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<東京怪談ノベル(シングル)>


『【HS】山脈は蒼く燃えて』


1
 不気味なほど静かだった。キューバの、とある神殿。巫浄霧絵(ふじょう・きりえ)はその場所で、降霊術を行なっていた。彼女の傍らには、ジャマイカ解放奴隷の女指導者が佇んでいる。
「……見えた。オランダ海軍……、敵は、我国を攻める足場として、貴女の祖国を荒らすわ……」
「……!」
「それは本当なの?」
「嘘を言うと思って?」
 霧絵の言葉に、ぎり、と女指導者は唇を血がにじむほど噛み締めた。
「祖国を守るには、オランダ海軍を沈めるしかないわね……?」
「分かっている!」
 怒りを露わにして、女指導者は、部下へ連絡を飛ばす。くくく、と霧絵の嘲笑が、あたりにこだました。――大丈夫。あなたは一人じゃない。こんなにも同志がついている。いつしか神殿に、かつて散っていった女指導者の、同志たちの怨霊が渦を巻いていた。


2
 ――時を同じくして、ジャマイカのポートロイヤル。そこには、かつてチャールズ要塞と呼ばれた旧英海軍の要塞があった。元、海賊の根拠地としても知られるが、その場所を襲った大地震により要塞はほぼ壊滅し、なおかつ著しい地形変化により、要塞の大部分が海没してしまっている。英海軍の兵士と、海賊たちの亡霊に満ち満ちたこの場所に、今、怪異が訪れようとしていた。
 それは、まるでビデオを逆再生しているような、異様な光景だった。かつてその場所に確固たる形を持って存在していた要塞、その時の姿にまで、時を巻き戻しているかのように、海没してしまったチャールズ要塞が浮上を開始したのである。
 やがて、完全に浮上を終えた要塞に、かくも高く見事な砲塔が姿を表していた。蒼い鬼火が、めろめろと不気味に揺れている――。



3
 玲奈号は窮地に陥っていた。後のキューバ攻略のための、ジャマイカ攻略戦。敵の砲撃は激しく、虚無の境界が放ったと思しい猛獣や骸骨の霊により、勇猛果敢な水兵たちも苦戦を強いられている。
「ここが天下分け目の天王山よ! みんな、頑張って!」
 射出した重メイドサーヴァントに乗り込みながら、三島玲奈(みしま・れいな)が叫ぶ。
 ブルーマウンテン山脈はまさに地獄と化していた。やまない砲撃による炎と亡霊、妖怪たちの鬼火がいたるところで燃え盛っている。
「はっ!」
 飛翔。砲弾の雨をかいくぐり、妖怪たちをなぎ払いながら、重メイドが戦場を翔ける。
 標的は敵砲塔。あちこちに聳えるこいつを片っ端から叩き潰してしまえば、幾分、こちらが有利になるだろう。
 高く、高く飛び上がってから、急降下。敵砲塔をぺしゃんこにする勢いで踏み潰す。まずはひとつ。その場でぎゅるんと回転して、次の標的へと目を走らせる。発見。一気に接近し、鋭い回し蹴りで砲塔を粉砕させる。これでふたつ。良い感じよ!
「さあ、もう一つ!」
 機体を反転させ、走りだそうとしたその時、がくん、と機体がつんのめるようにして、揺れた。
「いっ!?」
 息をつまらせる玲奈。機体が前へ傾く。いったい、何が。モニターの下の方で、強靭なワイヤーによる縄と、それに見事に引っかかった自機の足が見えた。
 しまった、勢いがありすぎすぎる。脱出――。
 反転と同時に、ワイヤーの縄に足をひっかけてしまった重メイドサーヴァントが、万歳をするようにして、勢い良く前のめりに転倒。地面に叩きつけられ、爆発した。
 玲奈は、間一髪のところで脱出装置によりコクピットから射出され、爆発を逃れていた。
「立て続けの戦いで、ガタが来てたみたいね……」
 重メイドサーヴァントを失ったのは痛い。戦況はますます泥沼になってしまう。
 立ち上がり、玲奈は銃剣を抜き放つ。戦え、戦えあたし。まだ戦いは続いている。
『珈琲を燃やさないで!』
 次の瞬間、どこからか、少女の叫びが聞こえてきたのに、玲奈は気がついた。こんな戦場の、どこに女の子が……。辺りを見回すと、その叫びの主を、離れたところに見つけることができた。銃弾の飛び交う中、まるで祈るように手を組んで、必死に叫び続けている。お願い、珈琲を燃やさないで! と。
 ――そうだ、ここはブルーマウンテン山脈。珈琲農園があったところでおかしくはない。まさかあの子は、この辺りの農園の子……?
 いや、そんなことはどうでもいい。ここは戦場だ。今すぐあの子を逃さなければ。玲奈がまさに走りだそうとした時、不意に、少女の体が後ろに傾いた。
 ……まさか! 最悪の事態を予想して、玲奈がすぐさま少女の元へと走り寄る。そして、玲奈の予想は忌々しいことに、的中していた。
 少女の腹部に広がる血。流れ弾は少女の腹を貫通したらしい。
「あ、あ……」
 呆然として、少女が口をぱくぱくさせる。――なんてこと。いや、でも、今すぐ戦場を離れしかるべき処置をすれば、助かるはず。玲奈は少女を抱きかかえ、この場からの脱出を決意した。ああ、こんなときこそ重メイドがあればすぐさまこの場を離れられるのに。
 泣き言を言っても仕方がない。銃弾を躱し、玲奈は走る。立ちはだかる妖怪たちを軌道上からの超精密レーザーでなぎ払い、怨霊は、手にした銀の銃剣で叩き斬ってゆく。
 はやく、もっと、はやく。ひたすら走り続け、なんとか戦闘領域外までたどり着いた玲奈。だが、その甲斐もなく、少女はすでに瀕死だった。
「おねえ、さん……」
 弱り切った声で、少女が言う。
「喋っちゃだめ。すぐに、助けるから」
「いいん、です。もう、わたし……。それよりも、きいてほしいことが、あるんです」
「きいてほしいこと……?」
「ええ……。これは、本来、夫婦から子へと伝えるのものなのですが……」
「私が、仮の旦那になったげる。だから、教えて」
 小さく笑って、少女は震える声で、話した。それは、同族以外には決して明かさない、太古アフリカの精霊術「クロマンティ・プレイ」のことだった。本来は一子相伝の呪法だが、間もなく訪れる死を悟った少女が、せめて「クロマンティ・プレイ」だけは後世へ残したいという思いからの行動であった。
 呪法を話し終え、こほ、と少女は息をはいた。目は茫然としていて、呼吸も小刻みに荒くなっている。最期の時が近いのだ。
「わたしが死んだら、亡骸はここに埋めて下さい。死んだ後も、この農園に包まれていたいから……」
「……分かったわ」
 少女の手を強く握る玲奈。少女は、ありがとう、と小さな声で呟き、ゆっくりと目を閉じた。そして彼女が目覚めることは、二度となかった。玲奈の握る手から力が抜け、冷たくなってゆく……。
 助けられなかった。
 助けられたはずなのに。
 あたしが、あたしがもっとはやく彼女を見つけていたら!
 彼方にゆらめく戦場の炎と蒼い鬼火を認めながら、涙をぼろぼろと流し、玲奈は、冷たくなった少女の体に、土をかけてゆく。
 嗚咽混じりの「クロマンティ・プレイ」の祈りが、辺りに虚しく、さめざめと響きわたっていった。


『【HS】山脈は蒼く燃えて』了