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鉄の荊棘
広大な敷地内にある鳥井組の本部……と、構成員の家を兼ねている屋敷内。
仕事部屋の椅子に背をもたせかけたまま辰川・幸輔(8542)は眉間に深い皺を刻み、よく手入れされた素晴らしい眺めの庭を睨むように見据えていた。
その眼光鋭い視線は現在の風景を見つめたままだが、彼は自身の記憶から過去の出来事を掘り起こしている最中だった。
それは鳥井のシマを狙っていた小賢しいアメリカンギャングを壊滅させた時のこと。
幸輔の戦いぶりと勢いは凄まじく、相手は恐ろしい相手を敵にしたと怯み、戦意を喪失ししていく。
その際、隙をついて逃げていく男が『ヴェルノ』と口走った。
その名前に心当たりのあった幸輔は、腕を折ってうずくまっている男の足元に立つと、ヴェルノのことを詳しく聞かせろ――と、獰猛な表情で尋ねたのだった。
記憶からそれを引っ張りだすことに成功した幸輔は、
そんなこともあったなと独りごちて、卓上へ投げ出すように置いていた煙草の箱から一本取り出し、口に運ぶと火をつける。
ふー、と盛大に吐き出された紫煙で、視界が一瞬覆われた。
次に考えたのは……今本部で療養させている外国人の事だった。
煙草を指に挟んだまま、眉間の皺を親指で伸ばすように抑え……目を閉じる。
(ウチの組員として迎える事になろうとはな……)
数日前、鳥井の若い衆が、血塗れの白人男性を連れて帰ってきた。
どう考えても怪しい、この外国人男性の素性は分からないが……腹部など数カ所を刺された重症を負っている。
自分たちもカタギではないとはいえ……見知らぬ男だったにしろ、血塗れで倒れているという惨状に出くわして素通りする事など出来なかった、いうこともあったのだろう。幸輔だとてそれは同じに違いない。
だが、違う解釈をするならば……外人が繁華街の裏路地で刺される、ということは……なにか裏――幸輔らにしてみればこちらの世界――に関わっていることも予想できる。
どのみち鳥井のシマでの稼ぎに関連した情報を持っているかもしれない、とも考えて拾ってきたようだ。
そして、組長直々に幸輔と、拾ってきた当事者を交えた話し合いがあった。
組長は男の回復を待つため鳥井の屋敷で面倒を見ること、そしてその外人を組員に迎えると告げたのだ。
当然、その話は瞬く間に屋敷全体に広がり……何らかの事件に巻き込まれているようなキナ臭い外国人を快く思わない者が、幸輔に苦言を呈する者も少なくはなかった。
屋敷の長い廊下を歩く幸輔の後を幾つもの足音が追い、男たちの野太い声が輪唱のように『若頭』と連呼された。
「てめえらッ! いつまでゴチャゴチャと聞き分けの無ぇ女みてぇに抜かしやがる!
いいか、これは親父が決めた事だ。アヤつけて妙な考え起こしやがったら、俺が許さねぇぞ」
幸輔の迫力に顔を見合わせ、口をつぐんだ組員たちを尻目に廊下を進んでいった。
しかし、そういった手前幸輔も組員たちが不安に思う気持ちは十分理解できるし、何より彼自体も謎の男のことを訝しんでいた。
不安というべきか……心配というものか。鼻腔ではなく本能で危険なのではないかという『ニオイ』を嗅ぎ取った幸輔は、独自に調査を始めていた。
そして、ようやく男の正体を突き止めたのだった。
男の様子はといえば……命には別状もなく快方に向かっている。
あの時は血塗れだったが大事な臓器周辺には酷い損傷もなく、どうやら打撲や殴打による怪我のほうが大きいようだった。
現状や男の素性を、包み隠さずひっくるめて速やかに組長に報告し――これからのことや方向を考えなければなるまい。
やれやれ、と内心重い気持ちを奮い立たせ、吸っていたタバコを灰皿へ押し付けると……組長の元へと向かったのだった。
その夜。幸輔はようやく歩けるまでに回復した男の部屋へと出向き、ちょっといいかと声をかけた。
声をかけられた男も頷き、2人はそのまま庭へと向かい、幸輔は周辺に他の者が居ないことを確認し――すぅと眼光の鋭さをそのままに目を細めた。
「ヴェルノ・マーズ……お前はいつぞや鳥井組が潰した、アメリカギャング組織の幹部をやっていた男だってな」
名を言い当てられた赤髪の男……ヴェルノは緑色の瞳をやや大きく見開き、素直に驚きを見せていた。
「いつ調べた?」
「決まってるだろうが。お前がやってきたその日からだ」
それを聞いて、ヴェルノは小さく何かを呟いた。幸輔にはよく聞き取れなかったが、状況からして恐らく諦めや失態のような言葉ではなかろうか。
「……良く調べたな。ちょっと組織内部でいろいろあってね」
いろいろ、と言って濁していたが、内輪もめにでも遭ったのだろう。
もう済んだことだけどな、と肩をすくめるヴェルノ。幸輔は微動だにせず、男らしい眉を顰めヴェルノの顔や仕草を注意深く伺っている。
それに気づいたヴェルノは『俺をどうするつもりなんだ?』と逆に尋ねた。
「オトシマエとかを取らせる気だって言うなら……抜けたとはいえ関わっていた事は事実。ちょっとの間面倒かけたしな、多少の制裁は甘んじて受けるしか――」
「先走って勘違いすんじゃねぇよ……そっちの組織やお前の事は、俺と組長しか知らねえ。
下っ端どもにゃ、何も言っちゃいねぇよ」
幸輔の言葉に不思議そうな表情を浮かべたヴェルノは『なぜだ?』と問いを重ねる。
「どこだってこういう、厄介事を抱えるのは……組織の足並みが乱れから嫌うんじゃないのか?」
「ああ、確かにな。俺だってお前を怪しいと思ったから調べたくらいだ。
だが……親父がお前を受け容れた以上、俺はお前をここから追い出すつもりも、お前の素性をバラすつもりも毛頭ねえ」
組長の意見は絶対であるし、幸輔も……こうして話してみて、ヴェルノが危険を孕む因子だとは思えなかった。
この男には、そういう輩が持つような不安定さはない。それとは逆に、何らか……うまくは言えないが、純粋さを感じ取ったのだ。
「とにかく……俺が言いてぇ事は、それだけだ。
悪りぃな、具合も万全じゃねぇのに付きあわせちまってよ」
何も言葉を発さず、自分を見つめたまま微動だにしないヴェルノの表情をちらりと見ながら、すれ違いざま見た目よりしっかりした肩へと手を置く。
「ヴェルノ、覚えとけ。お前はもう、俺達の『家族』だ。
困ったことがあったら、なんでも遠慮なく言えよ。抱え込むんじゃねえ」
段々遠ざかっていく足音を聞きながら、ヴェルノは肩に置かれた手の暖かさが広がって、心に流れこむのを感じた。
「……家族……」
スラム街で育ったヴェルノにとって、親や仲間といった、人間同士の強固な繋がりなどはなかった。
明日も分からぬ野良犬のような生活ばかりだった彼は、そのようなものは不要とさえ思ったこともある。
だが。
幸輔の言った『家族』という言葉は、ヴェルノの心に奇妙な感覚をもたらした。
言われたのが嫌では――なかったのだ。
逆に、心が温まるのを感じたヴェルノ。自分でもまだ整理のつかぬ心情を抱えたまま、幸輔の背中を見送っていた。
ヴェルノの傷も癒えて暫く経ってからのこと。
幸輔は、皆を集めてからヴェルノの事をきちんと説明した。
しかし、その経歴は適当かつ不自然すぎぬ程度にでっち上げたものだ。
幸輔の説明を聞き終えた組員は、なんとなくではあるが……それなりに納得してくれたようだ。
それからヴェルノはそれなりに組員とも会話を交わし、それなりに良好な関係を築いていくようになったのだが……。
「おいヴェルノ。お前ちったぁ俺のいうことを聞きやがらねぇか」
「それなりに聞いてるだろ? それに、俺がちゃんと言うことを聞くのは一人だけだぜ」
一人いればいいだろ、と軽いことを言いながらまだ『おい』だとか呼びつける幸輔を無視し、鼻歌を歌いつつ通りすぎていく。
そう、組員なのだから幸輔の意見にはきちんと従うべきなのだが……反発をしないかわりに、雑用でもなんでも、きちんとこなすことは稀である。
その度に幸輔が注意するのだが、それもどこ吹く風。ヴェルノは『はいはい』と聞き流してしまうばかりだった。
「……ったく。奔放と身勝手は違うんだがな……まぁ、何言っても聞かねえしな……」
幸い、組に迷惑をかけるようなことはしていないのが幸いだろうか。
ヴェルノの言うとおり、彼が慕う人物から直接注意を促してもらうほうがいいかもしれない。
そう思いながら、幸輔は面倒くせえなぁ、と呟きつつスーツのポケットを漁るが……愛用の煙草が入っていない。
そういえば先ほど空になったので捨てた事を思い出した。
すると、突如先を歩いていたヴェルノがくるりと振り返り……『そらよ!』と、幸輔に向かって箱状の何かを投げて寄越す。
ぱしっと片手で受け止め、正体を確認すると……幸輔の愛用している銘柄の煙草だった。
(開封は……してねぇな)
まさか、買っておいてくれたのか……?
そう思ってヴェルノをへ視線を移すと――既に廊下の角を曲がっていったらしく、姿は消えていた。
「……フン、可愛げがあるんだか無いんだか分からんが、ありがたく受け取っとくぜ」
迷惑料の一部としてな、と呟き……幸輔はまた新しく入った別件の『仕事』準備に取り掛かるため、二階へ上がっていくのだった。
-end-
━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
登場人物一覧
【8542 / 辰川・幸輔 / 男性 / 年齢36歳 / 極道一家「鳥井組」若頭】
【8598 / ヴェルノ・マーズ / 男性 / 年齢27歳 / ミランダの飼い犬】
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