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<東京怪談ノベル(シングル)>


     Lunatic Call

 ある日、中古品を引き取って新品よりも安価で店頭に並べるという典型的なリサイクルショップに、これまたよくあるタイプのトラックが、しかし非常識にも正面から飛び込んだ。時は夕刻、一日の疲れが出たのか運転手は数十秒ほど意識を睡魔に奪われ、道なりに角を曲がらず突き当たりの店に直進したのである。その時トラックに激突されたはずの男性店員は奇跡的にもかすり傷一つ負わずけろりとしていたので、店主も他の店員たちも彼に気まぐれな微笑を投げかけた幸運の女神を賞賛した。
 しかし運の良さを喜んだのもつかの間。それからまもなく件の店員はしばしば夢遊病のようなものに悩まされ始めた。朝目が覚めると足は泥だらけ、手や顔、服には血と思しきものがこびりつき、記憶にはうっすらと道行く人を襲ってかみついた感触さえ残っていたのである。
 彼はそれをはじめのうちは悪夢だと思い込むことにしていたが、断続的にくり返されるばかりか、血の味さえ生々しく覚えるようになるとその現象を現実と認めないわけにはいかなくなってしまった。しかも近所では深夜に人を襲う凶暴な野犬が出るということで、警察が血眼になってそれを探しているという。射殺もやむを得なしという構えだ。
 彼はその野犬が自分ではないかと疑い、ある探偵に調査を依頼した。
 「それがおれというわけだ。」
 そう言って読み上げていた手帳から顔を上げ、眼前の少女――海原(うなばら)みなもに目を向けたのは、怪奇事件専門の自称探偵、雨達圭司(うだつけいじ)である。雨達は和やかなBGMの流れる喫茶店のテーブルに身を乗り出し、店の雰囲気には不釣り合いな声音でこう続けた。
 「そこで依頼人の家の前を張り込んでみたら、深夜に二足歩行の獣が出てきたというわけさ。野犬のしわざだと公表されているが昔の警察仲間に聞いてみたところ、実際に襲われた人々は狼男みたいな奴だったと言っているらしいし、依頼人で間違いないと思う。あわてて車であとを追ったら、通りすがった人に襲いかかろうとしているところだった。クラクションを鳴らしたら逃げて行ったけどな。その日は被害は出ていないと思う。」
 「雨達さんはそれを最初、付喪神(つくもがみ)のしわざだと思っていたと言っていましたけど、依頼してきた方が古い道具に触れる機会の多い職だからですか?」
 空になったティーカップをテーブルの隅に押しやりながらみなもが尋ねると、「さすが嬢ちゃん」と言って雨達はにやりと笑った。
 「伝承を調べたら、狼皮のベルトをして狼になるって話が人狼の定番だったからな。仕入れた古道具が何かいわくつきで、それで変身するようになったんじゃないかと思ったんだ。それを獣憑きと言うのか物に憑かれたと言うのかおれには判らないが、実際のところ、付喪神に関する事件が増えつつあるんだ。」
 付喪神と言われるものの主な誕生要因としては、長く使われた道具が意思を持って成るか、粗末に扱われた道具が化けて成るのが通説である。大量生産と消費が当たり前のような現代社会では分母となる「物」の数が膨大であるため、それに応じて付喪神も増えているのではないかと雨達は話した。
 それを聞いているみなもの中にも、携帯電話の付喪神がもう一人の”みなも”として溶け込んでいる。その”彼女”も増えた付喪神たちの先駆けであったのかもしれない。
 「付喪神からすればリサイクルショップの店員は味方のようなものかもしれないし、扱いやすいかもしれないだろう? ところが最近仕入れたという物を調べても、妖しい道具は見当たらないんだ。それでふと思い立って今度は依頼人の家系を調査したら、過去に人狼だと言われた者が一人いたらしいことが判った。」
 「遺伝ですか?」
 「かもしれん。でもそれなら急に変身するようになった理由が判らないんだよな。はじめから持っていた力なら、子供の頃から兆候があるもんじゃないか? 両親も一般人みたいだし。原因が判らないんじゃ、根本的な解決のしようがない。」
 そこで行き詰まったので、人魚の末裔という特殊な血筋であり変身能力を持つみなもに助言を求めたのだと雨達は言う。
 その一連の話を聞いたみなもは少しの間思索にふけっていたが、やがておずおずとこう口を切った。
 「能力自体は生まれ持っていたけど、ずっと眠っていたんじゃないでしょうか。事故にあった時に、命を守るため目覚めたのかもしれません。あたしもそうですけど、変身すると人間の時よりもずっと強くなりますから。ただ急に目覚めて制御するだけの経験も知識もないから、暴走したのかも……自信はありませんけど。」
 「いや、きっとそれだ!」
 雨達はそう叫んで、何故事故のことと関連づけて考えてみなかったのかと己の鈍さを嘆いた。彼はその事故でケチがついたに違いないと言う依頼人の感情に感化されたのか、関連性については深く考えなかったらしい。
 『その依頼人とやらに会って変身を可能にしている「力」を解析してみればはっきりするわよ。』
 みなもの意識の中でもう一人の”みなも”がそう呟いた。”彼女”は携帯電話の演算能力を使って、みなもの意識や、水を操り人魚に変身することを可能とする力、「妖力」を解析したことがある。その要領で依頼人の現状を解析すれば、本当に彼が変身しているのか、もしそうならどのように変身しているかがつかめるだろう。
 「その依頼人の方と会わせてもらえませんか。」
 「もちろんだ。」
 みなもの申し出に雨達が応じた瞬間、まるでそれを待っていたかのように彼の携帯電話が鳴った。発信者は噂の依頼人。しかし雨達が出ても何の言葉もなく、返って来たのは獣の遠吠えだけであった。

 ビルの谷間に引っかかった太陽が赤く染め抜く空には、気の早い真円の月がかかっている。並んで走るみなもと雨達の耳に再度、獣の咆哮が届いた。
 『電話の発信元はこのあたりよ。』
 みなもの中で”みなも”が言うのとほぼ同時に、
 「あの屋根の上にいる奴! おれが見たのと同じだ。」
 と雨達が叫んで前方に立ち並ぶ工場の一つを指差した。そこには月に向かって咆えている、人影と言うには異様な半人半獣の姿が見える。幸いにも周辺は工場や倉庫が多く、大型の車は行き交っているが人通りはほとんどない。
 『直接触れられれば、どうやって変身しているのかすぐに解析できると思うわ。道具じゃなく血統による変身なら、前にデータ化した、妖力を制御する時の意識パターンをその場であいつの頭に叩き込む。それで変身を解かせましょう。誤情報を流し込んで幻覚を見せるなんてことはやったことがあるけど、あたし自身以外にまとまったデータを流したことはないから完全にうまくいくとは限らない。でも同じように妖力で変身しているなら一時的な制御はできるはずよ。その間に意識を携帯電話経由で繋ぐから、細かな制御はそっちで直接やって。”あたし”は言わばマニュアルをあいつに渡して、連結するところまで。』
 「変身が道具によるものや、別の原因だったら?」
 そんなみなもの問いに”みなも”は答えなかった。とはいえ意識が溶け合っている彼女たちには、相手が漠然と考えた――返答として形にするまでもない意識も読み取れる。
 「力ずくで何とか、ですね。何にせよ『このまま』じゃ無理そう。」
 心の中でそう呟いたみなもは妖力を物質化させる術式、妖装(ようそう)を瞬時に発動させた。”みなも”の作った制御プログラムによる補佐を受けて物質化させた妖力を防護用の衣服にする術である。とはいえ見た目はいかめしいものではなく、学生服とメイド服を合わせたような、可憐と言っていいほどのものだ。華やかに姿を変えるみなもを見た雨達が口笛を吹くのもおそらくは無理もない。
 ところがその口笛が気を引いたのか、はたまたみなもの妖力を敏感に感じ取ったのか、月の方を見ていた二本足の獣がふいに彼らの方を振り返り、ぎらりと鋭い目を光らせて低いうなり声をあげた。腰を落とし、今にも飛びかからんばかりの威嚇の姿勢を取る。
 「あたし、実戦経験なんてほとんどないんですけど。」
 『水を操る時みたいに、とにかく接触すればいいのよ。情報を操るのはあたしの担当。』
 力勝負ではみなもに勝ち目がなさそうなのは目に見えている。妖装は基本的に防護を目的としたものであり、身体能力そのものを向上させるわけではないからだ。
 だが変身の経験が浅く、本能のまま力任せにかみつくばかりの相手であるため、致命傷になるような部位にかみつかれたり、妖装の強度を超える力でかまれないよう気を付けてさえいれば、直接触れるだけで勝機をつかめるみなもの方に分があった。
 みなもは身をかわして相手の背に触れようとしたところ、腕にかみつかれて地面に引き倒されたが、その瞬間には”みなも”が人狼の妖力を解析し、道具ではなく自らの妖力で変身していると判断したため、すぐさま妖力制御の意識データを電気信号によって脳に叩き込んだ。そして相手が動きを止めた隙にみなもの意識を繋げ、まるでリモコンで機械を操作するようにみなもの制御でもって人狼の変身を解いたのである。
 人の姿に戻ったそれは、間違いなく雨達の依頼人であった。
 人間としての意識を取り戻した彼に話を聞くと、今日は気分が落ち着かず具合も悪そうだということで、早退するよう言われ倉庫での作業から早々に解放されたのだという。そのことを雨達に伝えておこうと電話をかけた依頼人は、その時ふと見上げた空に満月を見つけた。
 そしてその直後から記憶が途切れたのである。
 満月の日に狼男が変身するというのは定番だ。どうやら依頼人の血筋もその例にもれないらしかった。
 ”みなも”の解析から、意図しない変身と攻撃衝動はみなもが推測した通り変身能力の制御ができないことによる暴走だろうと判断されたので、依頼人には能力制御の訓練が課せられた。手本となる知識は先ほど意識に直接叩き込まれたので、ある程度は現状でも把握できているはずである。それを足がかりに、あとは彼が人狼の血を引く人間として自制できるよう訓練する他ない。
 「嬢ちゃんみたいに倒れるまで根を詰めろとは言わないが、危険な獣だからと殺されたくなければ、頑張ってくれよ。」
 雨達はそう言って依頼人と、病院行きを断ったみなもを家まで送り、今度改めて礼をするという口約束を残して去って行った。
 無事に帰宅したみなもは腕にできた軽度のあざを眺めながら、
 「かなりの力でかみつかれたのに、この程度ですむんですね。」
 と感心したように呟く。それにどこか愉快そうな口調で”みなも”がこう応じた。
 『今回のことはある意味幸運ね。妖装の強度を実践的に確認できたし、人狼と接触したことでその意識データが拾えたもの。まあ、意識と言っても人間のようなものとは違うけど、視覚や聴覚なんかを最大限まで研ぎ澄まして活用する方法というのかしら……攻撃衝動とか本能的な雑念も多いけど、それらはカットした上で有益なデータを模倣して妖装に実装できたら、便利だと思わない? 肉弾戦や探索に使えると思うわ。実装するには妖力を具現化するためのイメージが必要だけど。』
 「狼みたいに感覚を鋭くするためのイメージ、ですか?」
 そう呟いたみなもの脳裏には、狼のように尖った耳やふさふさとしたしっぽをつけた自分の姿が鮮やかに描かれていた。



     了