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輝く想い
庭名会本部の応接室にて、同会傘、蔵藤組組長である蔵藤・誉(8612)は涼やかな顔に微笑みを浮かべて坐していた。
運ばれた程良い熱さの緑茶を啜りながら、待つこと数分。
数人の足音がこちらに近づいてくるのを耳にした蔵藤は、丸い湯のみを置いて顔を戸口へと向けた。
「お待たせしてしまいまして、申し訳ありません……」
扉が開くと同時に、両脇を強面の男に守られるようにしてやってきた少女――庭名・紫(8544)が蔵藤の姿を見つめ、謝罪の言葉を口にして、なおも頭を下げようとするのを……スッと腰を上げた蔵藤が手を差し出して制した。
「ああ、わたしが遅れないように早めに到着しただけです。紫さんは1分だって遅れてもいませんよ」
そうして蔵藤が壁にかかっている時計を示す。指摘の通り、約束の3分程前である。
「時間には余裕がありましたけれど……やっぱり、蔵藤さんを待たせてしまったようですから」
お久しぶりですね、と言いながら、優しい眼差しを向ける紫。
そんな愛らしい少女へ、蔵藤は形ばかりではない、心からの笑みを向ける。
「ええ、こんにちは、紫さん……いや、今は…会長さん、かな? 就任したばかりだというのに、色々と大変な日々をお過ごしのようですね」
若いとはいえ、紫はあまり身体の強い娘ではないはずだ。それに、彼女にとっては辛いことがあったばかり。
生活が一転し、何もかもが戸惑いの渦中。実際こうして向き合って紫の表情を伺えば、緊張を強いられていることで表情はどこか硬く、疲れも見える。
「大変だなんて、そんな……私が庭名を守るため動くのは当然ですし……辛いのは、皆さんも同じですから」
笑顔を見せて気丈な発言をする紫ではあったが、鳶色の瞳の奥には哀しげな色がある。
それもそのはずで、先代とその跡継ぎ……紫にとって、正真正銘の家族が日を置かずして亡くなってしまったのだ。
「蔵藤さんには随分前からいろいろとお心遣いをいただき、本当にありがたく思っています」
「勿体ないお言葉ですね。会長さん、わたしにはそう気を遣わないでください」
会長さんに頭を下げられては、こちらも恐縮して頭を下げ続けなければなりませんので……と言えば、紫はクスッと笑ってくれた。
(……だんだん、そっくりになってきたな……)
傍目にはただ少女が微笑んだだけだが、蔵藤は眩しいものを見たかのように目を細める。
――いや、最初に出会った時も、そう思ったではないか。
蔵藤の脳裏には、既にあの時の光景が思い起こされていた。
それは今から何年も前のこと。
先代の会長……庭名会六代目と共に、とある病院の一室を訪れたのだった。
その日は天気も良く、病室に入った時――真っ白なシーツは、まるで陽光をそのまま反射するかのようで、目に痛くも眩しかったのを覚えている。
「あ、おじいちゃん!」
そのベッドに横たわっていた少女こそ、幼き日の紫であった。
彼女は上半身を起こし、六代目の姿を見て嬉しそうな声を上げる。
そして、後から入ってきた蔵藤に視線を移し、誰だろうと不思議そうな顔をした。
紫の存在は隠匿されてきたため、庭名でも識るものがほとんどいない。一部の幹部……ごく限られた存在のみが知るだけだった。
そして紫の前では庭名組……家業のことは伏せられており、彼女はごく普通の少女としての暮らしを送っていると事前に聞かされていた蔵藤。
蔵藤は『こんにちは』と人当たりの良い笑みを紫へと向けた。
「初めまして、紫さん。わたしは蔵藤・誉と申します。
紫さんのお父さんとは『仕事仲間』です」
父の仕事仲間と聞いて安心したのか、紫の表情がふわっと明るいものに変わっていく。
「はじめまして! 庭名紫です! あの、くら……ふじ、さん。お父さん、がんばってお仕事してますか?」
「ええ、常に周りの事を考えて、お仕事されていますよ」 その言葉に満足そうな笑みを向け、よかった、と言った紫。
その表情や顔立ちは――とある女性のものと瓜二つだった。
(――……)
きゅぅと心が締め付けられるような、それでいて不思議な安らぎも感じる。
その蔵藤の想う女性こそ、紫の母親であったのだが……その面影は今もなお胸中にずっと輝いている。
この少女は、あのひとの忘れ形見。
そうして、六代目と紫のやりとりを眺めていた蔵藤。
楽しく穏やかな時間はあっという間に過ぎていき、病室を出る前に、蔵藤は紫へと優しく問う。
「……紫さん。またお見舞いに伺ってもよろしいでしょうか」
「はいっ。いつでも! そのとき、またお父さんのお話も聞かせてください!」
受け答えもよく、ひねくれたところもない素直な紫。
ありがとうございます、と丁寧な礼をし、病室を立ち去っていく蔵藤と、紫に手を振る六代目。
(……貴女の娘さんは、とても良い子ですね)
紫の成長もさぞ、楽しみだった事だろう。
貴女が慈しみ、心から愛したこの子を――わたしも守ろう。そして、健やかな成長も見つめていきたい。
愛した女性の娘だからというだけではなく、あの純粋無垢な笑顔を、血や悲しみに染めたくはないという思いも生まれていた。
それは誰にも語ることなく、静かに……されど想いは強い決意として、蔵藤の胸中に根付いた瞬間だった。
「――……藤さん? あの、蔵藤さんっ?」
どれくらいの間、当時のことを考えていたのだろう。
自分を呼び続ける紫の声にハッとして、意識を引き戻した蔵藤。
怪訝そうな表情で蔵藤へと声をかけていた紫に『失礼』と謝罪した。
「大丈夫ですか? もしお疲れが出たのでしたら……」
「ああ、ご心配には及びません……少し昔のことを思い出していただけです……」
自分も疲れているはずだというのに、相変わらず人の事をよく気にかける少女だ、と蔵藤は思い、その心遣いにも感謝の念を抱かずにいられない。
昔のこと、ですか……と口の中で呟いた紫は、そこから何かを思い出したらしい。
あの、と蔵藤の方へ僅かに身を乗り出すようにして続けた。
「……実は私……気になっていたことが。
蔵藤さんは、先代と杯を交わしていないと伝え聞きましたが……」
微妙な間を持たせ、何か理由などもあるのか、という無言の問いかけを示した紫。
口には出さなくとも、数年来の付き合いで……紫も蔵藤も、相手の『間』というものを無意識ながらに心得ていた。
「誓いの杯は、結びつきを強める大変重要な儀ではありますからね……ええ、先代とは確かに結んではいませんでした。それはいつかお話すると致しましょう。
そして――『七代目』である貴女にも交わさないのか、とご心配もされておりましょうが……
それは杞憂ですよ、と先に答えておきましょう。
ですが残念ながら、会長さんはまだ未成年でしたね……。
ですから貴女が飲めるようになるまで……わたしは待っていますね? その時に、是非」
誓いの杯であろうとも、彼女と酌み交わすならば――さぞ美味であろう。
深く頭を垂れた蔵藤にならい、紫もまた『こちらこそお願いします!』と頭を下げるため『会長』と、両隣から慌てた声があがった。
人に対して礼を尽くし、組の為にと立ち上がって歩きだした新米会長。
手探りでの出発を頼りなく思う者もいるのだろうが、
そこにある者は庇護欲を感じ、またある者は彼女のもって生まれた人徳により……支援の手を差し伸べてくれる者もいるのだろう。
「庭名の為、七代目会長のために。蔵藤組にいつでもお声を掛けてください」
「はい。蔵藤さんがそう仰ってくれるなら、私も心強いです――」
そう言った紫の前にも、温かい緑茶が運ばれて、それを両手で添えて包むように持つと……紫は蔵藤へ微笑む。
「お酒はまだ飲めませんけど、お茶ならいつでも」
「はは、可愛らしい杯だ」
軽く笑い声を響かせた蔵藤は、自身も湯呑みを手に取り、恭しく紫のほうへと掲げてくいっと飲み干す。
それを見ていた紫も、両手で包んだまま蔵藤へ同じように掲げると……緊張した面もちで湯呑みの縁に口を付けた。
「紫さ――……」
「会長! 一気はやめてくださいよ!? ……おい、誰か氷持ってこい!」
「ちゃんとフーフーを! 火傷しますから!」
何かの危機を感じ取った蔵藤と、両脇の男たちが注意を促すのはほぼ同時だった。
その後、紫は氷をひとかけ浮かべ、冷ましてから緑茶を口に運んで……。
「……お、美味しく、頂きました」
と、その透き通るように白い肌を紅潮させ、照れ笑いを浮かべるのだった。
-end-
━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・ 登場人物一覧 【8612 / 蔵藤・誉 / 男性 / 年齢42歳 / 庭名会系蔵藤組組長】 【8544 / 庭名・紫 / 女性 / 年齢16歳 / 庭名会・七代目会長】 ■ライターより こんにちは、ご発注いただきありがとうございます。
いつも庭名会の皆様にはお世話になっておりまして、感謝ばかりです。 今回、一人称が御二人とも「私」でしたので、 蔵藤さんには「わたし」表記、紫さんには「私」として適用させていただきました。 ちょっと切なくほのぼのテイストで、御二人の馴れ初め(違)を。 お気に召していただければ、私もうれしく思います。
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