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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


+ LOST―魂狩り編― +



「蓮さん! 蓮さーん! 助けて下さい。蓮さん!!」
『なんだい、朝っぱらから電話を掛けてきて』
「お兄さんが、お兄さんがっ……」
『ん? あの阿呆がまた何かやらかしたのかい』
「違うんです、お兄さんがっ……う、う……」
『――なんか良く分からないけど、そっちに行った方が良さそうだね。ちょっと待ってな』
「ふ、ふぁい……す、すびませ……」
『あたしがそっちにつく頃には鼻水とか引っ込ませて可愛い顔にしておくんだよ、いいね』


 そう言ってアンティークショップ・レンの女主人、碧摩 蓮(へきま れん)は電話を切る。
 そして外出用の衣服へと着替えると素早く電話の相手――草間 零(くさま れい)のいる草間興信所へと足を運んだ。朝が早いとはいえ通勤ラッシュなどが過ぎ去った後、それなりに快適な歩みで彼女が興信所に訪れれば、零が顔を見せ蓮を中へと手招いた。


「で、一体どうしたって言うんだい」
「実はお兄さんが……」
「うん、武彦がどうしたと?」
「――小さいんです!!」
「……ん?」


 蓮は意味が分からず首を傾げ、もう少し詳しく説明するよう零へと先を促した。零は実際見てもらった方が早いと判断し、蓮をある部屋へと案内する。


「お兄さん、昨日仕事を終えて疲れたからってそのまま寝室にすぐに入って寝ちゃったのは良いんですけど……その、朝、心配になって部屋を覗いたら――」
「――!? おや、ま。こりゃ一体どういうことだね」
「それが分かってたら蓮さんに連絡取りませんー!」
「確かにその通りだ」


 案内された部屋は武彦の寝室。
 そこに置かれているベッドに横たわり眠っているのは十二歳ほどの少年。零も蓮もそれが武彦だという事はすぐに気配などから判った。だが状況がわからない蓮はその少年を起こそうとその細肩に手を掛け――。


―― バチッ!!


「っ、弾かれた!?」
「そ、そうなんです。弾かれちゃうんです〜っ! だから私もお兄さんを起こせなくて……しかもお兄さん段々若返ってるんですよー!」
「何?」
「最初見た時は十五歳くらいだったのに、今見にきたら……」
「そりゃあ、危険だ」


 此処にきて流石の蓮でも危険を感じ、武彦だと思われる少年には触れないよう気をつけながら布団を剥ぎ取る。すると自分を抱きしめるように眠っている少年はぶかぶかの服を纏いながらすよすよと眠っている。だがその腕に明らかに異質な気を放つ腕輪が取り付けられている事に気付き、そして呪具等に詳しい蓮は一目でそれが何か見抜く。


「まずいね、これは魂狩りの腕輪だよ。こんなもんどこで付けられたんだい、この馬鹿は」
「え? え?」
「この腕輪はね、付けられた人間の魂を吸い取っていくんだよ。老化ではなく若返りってあたりは製作者の趣味かね。なんにせよ、このままじゃコイツは赤子になり、やがて死ぬよ」
「し、死ぬって」
「当然だろ? 胎児のままじゃ生きられないんだから」
「じゃあ、この腕輪をなんとかすればいいんですよね、ね!?」
「ああ、腕輪を外せばなんとかなるよ。でも腕輪に嫌がらせがされてるね。……んー……」
「わ、私っ、どうにかしてくれる人に連絡を取ってみますっ!!」
「そうだね、その方がいい。出来るだけ大勢、呼べるだけ集まって貰った方が良いだろうね」


 言いつつ、蓮は腕輪に施されている付与術式を読み取ろうと目を凝らす。
 犠牲者への呪いは魂吸収。
 犠牲者へ触れるものへは相応の反射。
 犠牲者本人へは夢を与え、死の恐怖を与えない。


「これは結構複雑な高位付与術式が組み合わされているけど……ホント、アンタは一体何をやらかしてきたんだい」


 蓮は己の携帯を取り出すと、自分もまた協力者を募るため電話を掛けた。



■■■■■



 零と蓮が頼み、都合が付いた協力者は六名。
 彼らはほぼ同時刻にこの草間興信所に訪れると真っ先に零に武彦の部屋へと案内された。当然此処に来るまでに武彦にどのような事が起こっているのか彼らは知っている。


 武彦が魂狩りと呼ばれる呪いの腕輪を付けており、そのせいで若返っていっている事。
 若返りが続けば死に近付くと同意義である事。
 だからこそ早くその腕輪を外したいが、腕輪には高位付与術式が組み込まれていて零と蓮とでは時間内に解く事が難しい事。
 時間は刻々と過ぎている。
 早く、早く何とかしなければ――そう皆、気を張り詰めて武彦の部屋の扉を潜った。――が。


「草間さん! なんて事に!」


 と、心配げな表情で近寄ったのは高校生男子である工藤 勇太(くどう ゆうた)。
 彼は幾つかの超能力を所持しており、これまで武彦の依頼を生活費稼ぎも兼ねて助けてきた人物である。武彦を兄のように慕っている面もあり心配してその肩を震わせている。
 しかしその震えが―― うぷぷっ、写メ撮りてぇ! ――と内心笑いを耐えている事から生じている事にはまだ誰も気付いていない。


「小さっ! ってか若!」


 勇太とほぼ同時に叫んだのは黒の短髪に黒瞳を持つ和風青年である椎名 佑樹(しいな ゆうき)。
 元々彼は大学在学時代この興信所でバイトをしていた経緯が有り、その流れで今この興信所に就職を果たした青年だ。今日は彼にとって珍しく日曜と重なった「休日」であったが、零の連絡を来てこうして馳せんじた訳である。


「草間さんは一般ピーポーだったよな?」


 金の三つあみ姿に黒いゴスロリ服、その顔には雫のペイントが描かれている可愛らしい少女の名は人形屋 英里(ひとかたや えいり)。
 彼女は首を傾げながら小さくなってしまった武彦を眺め見る。彼女は最近まで己の正体などに関して完全なる記憶喪失であったが、今は徐々に自分が人以外である事を認め始めた。その為少しずつではあるが『能力』に目覚めつつある人物だ。


 そしてそんな彼女を連れてきたのが隣に立つ銀色の長い髪を一部編み込んだアジア系統の衣服を纏い顔にペイントを施している十代後半に見える少年、鬼田 朱里(きだ しゅり)。
 直接零からの連絡を受けたのは彼で、「数打てば何かしら解決の糸口が出て来るでしょう」と英里の腕を取り、彼女と共に駆けつけた。
 そんな彼は今無言で武彦を不思議そうな目で見つめ、真剣に物事を考え込んでいる。
 彼の武器はその洞察力と己の正体に関わる「能力」。周囲に明かしているわけではないので此処では控えるが、彼もまた人外である。


「あら。武彦さんたら、随分可愛らしくなっちゃって」


 そう感想を口にしたのは協力者の中で唯一既婚者である黒い長髪が美しい人妻、弥生・ハスロ(やよい はすろ)。
 こんな可愛らしい子が、あんなヘビースモーカーに成っちゃうなんて……、と彼女もまた心の中で遠い目をしつつ、普段見られない武彦の姿にうずっとほっぺに触れたい衝動にかられるが、「触れれば弾かれる」と蓮から事情を聞いているため今は我慢の姿勢である。
 彼女の能力は「魔術」。彼女自身は人外ではなく生粋の人間。しかし魔術を独学で学び、力を付けていったいわゆる「魔女」と呼ばれる人物だ。


「ちっちゃい頃は意外と可愛かったんやな、ってそんなのんびり見とる場合やないか」


 最後の協力者はウェーブの掛かった腰ほどまである金髪に眼鏡をかけた外見十五歳ほどに見える実質二十一歳と公言している女性、セレシュ・ウィーラー。
 普段は雑居ビルの1Fを借りて開業している鍼灸院にて鍼灸マッサージ師として働いているが、今日は連絡を受けて臨時休業とし駆けつけてくれた人物だ。彼女は多くの知識を所有しており、特に神具・魔具の研究、「魔術」や「幻装学」などといった分野には秀でたものがある。その正体はゴルゴーンという神話で有名な「石化の視線」を瞳に持つ髪が蛇という姿を持つ人外。しかし本人は「石化の視線」も眼鏡で封じ、人間に変化してこの日本社会に交じり、至って平和に暮らしている。


「さて、状況を見てもらったところでそろそろ動き出さないとまずいね。あたしが見たところじゃ武彦はあと六時間程で死に至るよ。時間が無い」


 武彦の寝室は六人も入ればいっぱいいっぱいな為、皆の後ろに控えていた蓮は不安そうな零を慰めながらも現実問題を口にする。そんな蓮へと一同は注目した後誰からともなく頷きや「分かりました」などと理解を示した。


「……それにしてもこれ作ったもんは相当性格悪そうやな。うちはこの腕輪を外すか壊す方向で動くわ。皆は?」
「俺もどっちかって言うと時間がないって言うなら腕輪を何とかする方向で行きます。弥生さん達は?」
「勇太君達がそっちの方に行くなら私は調べ物の方に行こうかしら。でもこっちの状況も気になるのよね」
「零、俺は武彦さんがそれまでに受けていた依頼の資料などを調べ直して何か引っ掛かる依頼がないか調べてみたいんだ。手伝って」
「わ、分かりました! もちろん佑樹さんのお手伝いはします!」
「あ、ちょっと零さん待った。私は聞きたい事がある」


 皆がどういう方向で動くか話し出した時、英里が零に声を掛けた。
 英里は朱里へと視線を寄せ、彼もまた一つ頷きを返してから彼女は口を開く。


「私と朱里は興信所の事も呪いの事も詳しくない。だから腕輪を何とかする方向で動こうと思うんだ。だけど、情報が欲しい。とりあえず零さんが調べ物に行ってしまうならまず私の質問に答えてから行って欲しい」
「分かりました。何をお話すればいいですか?」
「草間さんが帰ってきたとき、この腕輪ついていた?」
「兄さんの腕を良く見てなかったんです。その時は変な気も感じませんでしたし、兄さん自身も長袖を好む傾向があるので付いてたとしても帰って来た時には服の下だったかもしれません」
「そうか、付けられたとしたら仕事先かと思ったんだが……ぶっちゃけその様子だと零さん自身も草間さんがなんの仕事で行ったのか知らないんだな?」
「すみません、昨日私が買い物に行っている間にお兄さんが依頼に出かけちゃって……か、書置きはあったんです! でも「依頼に行ってくる。怪奇系じゃないから安心しろ」とだけ。……あ! それをお見せする事は出来ますよ!」
「じゃあ、それは調査組に見せてやってくれ」
「分かりました!」
「あ、すみません。私からも一つ質問したいです」


 英里の質問が終わると今度は朱里が片手を挙げた。
 零は頷き、視線で先を促す。


「恐らくこれは悪意を持って草間さんに付けたんだと私は考えるんです。草間さん自身が偶然嵌めるとか不自然過ぎますからね。だから草間さんを恨んでそうな人を知りたい。その中でも特にこういう術が得意な人物がいるなら教えて欲しいですね」
「え、えっと……それがその、言いにくいんですけれど……」
「あー、それは零には答えられないとあたしは思うね。武彦はこういう職業故に多くの人間に感謝される反面恨みだって買っているさ。特に怪奇探偵なんて言われてちゃそういう筋のもんのリストアップは難しいよ。佑樹、あんたなんか特に雑務をこなしてんだ。理解するのは容易いだろう?」
「ええ、蓮さんの言う通りです。武彦さんは怪奇関係の仕事を請けるの本気で嫌がるんですが、やっぱり請けてしまう事が度々あるんですよ。ですから怪奇だけに絞っても、こう……山のように出てきてしまうんですよ。ですから俺が今から零を連れてせめて最近の中から引っ掛かったものを探してみます」
「――なるほど、分かりました。じゃあそっちは宜しくお願いしますね」
「はい、任せてください。これでも一応この興信所の一員ですから。――零、こっちに来て。もう用事が無いなら俺達は行こう」
「じゃあ、行って来ます!」


 最後に零は両手を膝の方にあて丁寧に上半身を折って礼をする。
 佑樹もまた頭だけではあったが客人に対して不快を与えぬ仕草で礼をしてから、彼女を連れて部屋の外に出た。間もなくして興信所領域内では彼らが情報収集に奔走し始める音が聞こえ始め、残された人達は顔を合わせた。
 そして次に弥生が蓮へと進み出た。


「蓮さん、私からお願いがあるの。良いかしら?」
「言ってみるといいよ。あたしに手伝える事があるならなんだってしよう」
「本当は私自身が図書館とかに行ければ良いんだけど、ちょっと時間が惜しいの。蓮さんには魔術関係の本を探して貰って過去に似たような事件が無かったかどうか調べて欲しいと思っているんですけど可能かしら?」
「過去にも似たような事件は出ているかもしれないねぇ。何故ならあたしがコイツの腕輪を見た時に即座に見抜く事が出来たのは過去に類似した腕輪があたしの店に回ってきたからさ。その時の腕輪も複数の術式が組み合わされていたけれど、今回ほど複雑じゃぁなかったね。まだ簡単なものだった」
「じゃあ、その腕輪の入手経路は?」
「――誰だったかねぇ。人相は申し訳ないが覚えてないが男であった事は覚えてるよ。ソイツが言ったのはただ一つ。「買ってくれ」だったから。……まあ、何かの研究に役立つだろうと思って買い取ってあるし、誰にも売った記憶はないから店にあるはずさ。なんならうちにある魔術関係の本と一緒にそれを探して持ってこようか」
「――っ、! お願いします!」
「言っておくけど、その腕輪と今回の腕輪が繋がっている可能性は低いよ。なんせその腕輪がうちの店に回ってきたのは……そうだね、五年、いや四年前くらいだったはずだ」
「それでもお願いします」
「じゃあ、あたしは店に戻るからあんた達は武彦の事を頼んだよ」


 蓮は言うや否や、身を翻しかつかつと靴音を鳴らしながら場を去っていく。途中、佑樹と
零に言葉を掛けて出て行くことも忘れない。弥生はこれで自分が調査しようと思っていた事を蓮に一任する事が出来たとほっと息を吐く。
 さて武彦の方へ対応に戻ろうと彼女は振り返る。
 なにやらわいわいと四人が武彦を囲み何かをしている様子が目に入り、遅れて弥生も輪に加われば……。


「う、これはきつい。持ってきていた人形がすぐに無くなってしまいそうだ」
「その子守人形凄いですね。っていうか子守、……草間さんに子守……ぷぷっ!」
「笑ってる場合やないで、勇太さん。しかし英里さんのその人形興味あるわー。後で機会があったら見して。うちそういうの好きやねん」
「英里、幾つ持ってきているの?」
「……わからん。とりあえず連絡を受けて尋常じゃない事は分かったからトランクに詰め込めるだけ詰め込んできたからな。子の呪いを身代わりに受けてくれる人形をなんとなく作っておいたのがここでこんな風に役に立つとは思ってなかった。――もしかしてこの日のために私は作っていたのだろうか」
「――英里ちゃん。それは何かしら? 私にも説明してくれるかしら」
「ああ、呪いの身代わりになってくれる子守人形だ。でも呪いの効果を遅くするのみで――あ、また壊れた。…………まあ、こういう風に頑張って草間さんの呪いを身代わりにしてみてるんだが、その腕輪の能力が相当強いらしくてさっきから勢い良く人形が破れて壊れている。一体につき二十分もつかどうか」
「それでもリミットが遠ざかるのは助かるわよね。暫くはそれに頑張ってもらいましょ」
「分かった。私は人形師として働きつつ皆に協力しよう――しかし呪いか。ちょっとやってみよう」


 ふと英里は思いつき、指先に己の強すぎる妖力を本当に微弱ではあるが込めて武彦に触れようとする。その瞬間、腕輪が光り静電気が弾けた時の様な音と共に「反射」が行われた。
 バチッ! と弾き、英里の身体に電流のような衝撃が一気に走る。気絶するほどではないが、痛みをも超えた「衝撃」が脳に直接伝い意識を一瞬奪ってくらっと彼女の身体が揺らいだ。
 そんな彼女を朱里が慌てて抱き込み、支えた。


「英里っ!」
「……跳ね返されても私は対して痛くないと踏んでやってみたんだが……いや、痛くは無かったが、目の前が真っ白になった」
「駄目よ、英里ちゃん! あまり迂闊な真似をしたら貴方自身が怪我しちゃうわ」
「ホンマに気ぃつけてくれんと困んよ。――あ、皆。今のうちに言うとくわ。うち防御符とか色々補助系の符を持ってきたんよ。だから何か行動する前には言うて。対応するわ」
「俺だってバリア的なものを張ったりすることだって出来ますから、どんどん使って下さい! ぶっちゃけ俺呪いとかよくわかんないんで、自分で出来る事教えてくれたらなんだってしますから!」
「……う、分かったのだ」


 有り難い言葉と各々の決意にも似た宣言を聞くと英里を筆頭に皆頷きあう。
 ここから先は何かしら行動を起こす時は口にすること、そして皆が協力し合う事、危険を避けるための最大限の対処はすること。自分達に反射するだけならば良い。だが腕輪を付けられている本人、武彦自身に害が及んでしまう事が一番問題である。それを心に留めながら彼らは次なる行動に移ろうとしたその時――またしても英里の持ってきた子守人形の腕がもげ、壊れる。
 時間がない。
 英里は新たなる人形を武彦の傍へと置き身代わりを続けさせた。


「えっと、英里は妖力の制御がちょっとまだ上手く出来ない為変な方向に飛んでいく可能性があるので、今から皆さんに防護符を渡しておきます。これは腕輪ではなく、対英里ですから念のために持っておいてください」
「う。早く制御出来るようにならなければ」
「良いんだよ。自覚してくれただけマシなんだから、ね。――さてと、私は今から基本中の基本をやってみようかな」
「何をするんや?」
「呼びかけです。起きてーって」
「それだったら既に零ちゃんが必死にやったと思うけど、効くかしら」
「やらないよりやってみた方がいいかなーって。もし効かなかったらすぐに次の方法に移れるよう準備がいる人は用意しておいてくださいね」


 言いながら朱里は今度は呪い系に対応した符を自分で持ちながら幼くなった武彦に寄った。
 此処に来た時の武彦の姿は十歳ほどだったが、今は九歳ほどに下がったように見える。それでも英里の人形のおかげで進行速度は格段に下がっているのだろう。
 朱里はすうっと息を吸い、武彦に触れないよう気をつけながら彼の耳ぎりぎりまで唇を寄せる。そして。


「たっけひこさーん!!! 起きて下さーいぃぃっ!!」


 それはもうその細い身体のどこから出てくるのかというほどの声量で武彦の名を呼んだ。
 びりびりと空気が振動し、控えていた英里らの耳にもキーンッ!! と痛みが走る。当然離れていてこれなのだから対象となった武彦の耳には相当の音が注ぎ込まれただろう。――聞こえていればの話だが。
 流石はアイドル。英里以外の皆は彼がMistのアッシュである事を知らないが、鍛えられた声量は並じゃない。


「皆さん! い、今の声なんですか!?」
「お兄さんに何かあったんですか!?」


 それはやはり調査に行っていた零と佑樹にも届いていたらしく、大声に反応した二人が部屋に飛び込んできた。その手には氷が浮いたお茶の入ったガラスコップが握られており、彼らは朱里が武彦の耳元で叫んだということが判明すると、ふぅううっとそれはもう脱力した。


「あー……本当にびっくりさせないで下さいよ。あ、これどうぞ、麦茶です。暑いだろうと思って丁度零と用意してたんですよ」
「あら、ありがとう。頂くわ」
「おおきに。あー、耳にきた。凄い声量やなぁ」
「俺、今耳の奥がぼわぼわってなんか、うん、暫く調子悪いかも」
「……朱里」
「あ、ははははは。これだけの音で呼びかけても無反応ですよ! これで目が覚めたらってちょっと淡い期待を抱いたんですけど無理でした! 後はもうあれじゃないですか。例えば――ほら! 眠り姫的に誰かがキスをしてみるとか」
「朱里!! 冗談は止めないか!」


 零と佑樹が配るお茶を皆受け取り、朱里にも渡る。
 その最中に冗談を交えた朱里に対して英里が叱咤の声を掛けた。実際朱里は冗談でも言わないと悶々とひたすら考え込んでしまう癖がある。英里は分かっているが、周囲はそうではない。朱里は叫んだばかりの喉を潤す為に麦茶を飲み、その冷たさに癒しを貰った。
 やがて笑っていた朱里は場の仕切りなおしとばかりに表情を引き締めると武彦もとい腰掛けていたベッドから離れ皆の元に戻り、腕を組んで考え出す。


「しかしこの製作者……いや、使用者かな。何で腕輪という形を残したのだろう? もし草間さんを殺したいなら形の無き殺し方もあろうに。なぜ、わざわざこれ?」
「んーなんでやろうな。でも製作者と使用者がもし同じならばうちはなんとなくわかんで。こういうアイテムを作るヤツっていうのはやっぱり使ってみたいもんや。そんで自分の作ったもんの効能が知りたくなる。残す残さない以前の問題やね」
「なるほどね。私もその考え方は分かるわ。あくまで同一人物だった場合に限るけれど」
「でももし違っていたとしても、呪具の製作者の方に罪を擦り付ける気だったとか色々考えられるんじゃないっすか? あくまで俺の意見ですけど――あ、佑樹さんに零さんの方はどういう感じですか?」
「俺達側? ああ、ちょっと待って。見つけた依頼書幾つか持ってくるから」


 佑樹は零に余っていたはずの菓子を皆に出すように、と指示を出した後素早く興信所の方へと駆けていく。
 その時間すら惜しい皆は次の行動へと移った。――英里の子守人形がまた一つ、壊れたのを見つつ。


「じゃあ次は私がやってみるわ。多分英里ちゃんと同じ結果になりそうだけど、駄目元でね」
「弥生さん何すんの?」
「魔術が関わっているかは現段階では分からないけど、構造を読み取ってみようかと思うの。多少苦手だけどそういう魔法を使ってみるわ」
「あ、それだったら俺手伝えるかも。俺サイコメトリー出来るから弥生さんのその術と組み合わせて使えないっすかね? だって魔術であれなんであれ、「人」が作った物、特に呪いであるならそこにある思念は強力だと思うんですよね。だから思念を読み取ってみようと思うんですけどどうでしょ。んで、一瞬だけ弥生さんとテレパシーで意識を繋げさせてもらってればもし俺が理解出来ないもの――ほら、暗号化されたものとかが見えても弥生さんには伝わるし、分かるんじゃないかと」
「それは良い案だわ」
「あ、それやったらうちも繋いで欲しいわ。付与術式見んのうち得意」
「じゃあ俺含めて三人で繋ぐって事でいいっすか? あまり大人数だとサイコメトリーに使う能力が弱くなっちゃうんで」
「私達のことは構うな。それが最善ならそっちはそっちで頑張ってみてくれ。――う、また子守人形が半壊した」
「では私は皆さんに危害が及ばないよう符を用意しますね。多分それを行っている間身体の方の防衛が甘くなると思うので、万が一外部からの攻撃が有った場合私が対応します」
「あー、それやったらうちがまず先に動いてええかな? サポートがあんねんやったら先に腕輪に破壊魔法を掛けてみたい。こっちかて駄目元やけどな。そんで無理やったら「反射」の効果を無効化する術式を編むわ。術式に関しては時間足りるか分からんけどやらんよりマシや」
「ではセレシュさんが動いてから弥生さんと勇太さんが動くと言う事でいいですね。英里は私の傍を離れないように」
「うむ、了解だ」


 各々役割を分担するとまず朱里が衝撃減少符を用意し、それを自分達の周りに浮かせた。セレシュ自身も己の持つ保護符に力を込めて発動させる。勇太や弥生も先に動くセレシュに何か害が及んだ時の事を考えて自らが行える守護魔法、能力の準備を怠らない。


「んじゃ、やるで。一番怖い「反射」に気ぃつけながらやるけど皆よろしゅうに」


 そしてセレシュが破壊魔法――つまり腕輪への攻撃を行う。
 発動した魔法は腕輪へと向かい、バチバチッ!! と物凄い音を弾けさせながら侵入を試みている。だがひゅっとそれがまるで吸い込まれるように渦を巻いて消えた。


「危ない、セレシュさん!!」
「――ッ!!」


 朱里が本能的に危険を察し、セレシュの腕を掴み後方へと力いっぱい引き自分ごと倒れるように保護した。その瞬間、腕輪が強く光り出し、先程までセレシュが立っていた場所に閃光が走り、避けた先にある壁がその光を受け止めるともろく崩れ始めた。
 それはまるで光の矢の如く。
 朱里が引かなければセレシュが貫かれていたであろう事は明白である。


「お、おおきに。助かったわ」
「いてて、セレシュさんはどこか打ちませんでしたか?」
「まあ、朱里さんがクッションになってくれたさかい大丈夫や。……しかし面倒な腕輪やね。こいつ「吸収」も持っとるわ」
「吸収?」
「英里さんの人形が壊れやすいのもそのせいやと思うよ。腕輪に向けられた何かしらの力を「吸収」してそのまま「反射」や。増幅がない分マシやけどこれはきついなー……――よっしゃ! ちょっと時間かかるけどうちは術式編む。「反射」に対してのみ対応するもんを作るから「吸収」は残ってまうけどやってもええ? 吸収まで対応してるもん編んでたらタイムリミットになってまうさかいに」
「時間が掛かっても安全に事を進めましょう。その方が良いわ」


 弥生の言葉に皆頷きを返す。
 そして先程光の矢を受けた壁を改めてみればぞっと悪寒が走る。セレシュは部屋の端へ行き、周囲に作業用の魔方陣を展開し、術式を編む準備を始めた。時間が無くても安全に、誰も傷付かぬように……、そして武彦が無事呪いから解放されるように皆祈りながら作業を見守る。


「さっきの音なんですか――ってうわ、壁が!?」
「あ、佑樹さんお帰りなさい」
「ただいま――じゃ、なくってですね。う、これ修理代大丈夫かな」
「え、えーっともし犯人が見つかったらそいつに賠償させるっつーことで良いんじゃないっすかねー、はは、ははは……」
「……本当に、見つかったらただじゃおきません。あ、これ依頼書。最近受けた中じゃ怪奇物はまずなかったですね。武彦さん本当に怪奇関係お嫌いだからな」
「セレシュさんが頑張ってくれている間に私達はそっちを見ましょう。佑樹さん、見方を教えてくれるかしら?」
「じゃあ、こっちがまず解決分の依頼、こっちが現在進行形で受けている分、これが受けなかったけど強制的に置いていかれた資料とかですね。武彦さんが昨日どのように動いたか分かりませんけれど、多分解決済みの依頼じゃないと思います」


 佑樹がてきぱきと皆に説明と共に持ってきた資料を三分割して手渡そうとする。
 だが、手渡してしまうと混ざりそうだと判断し、皆をまだ広い興信所の方へと呼び、そこで混ざらないよう資料を広げてもらう事にした。
 零は飲み干されたガラスコップを回収しつつ、また改めて麦茶を入れて持ってくる。その際お菓子を出す事も忘れない。そんな風にしてセレシュ以外の全員で資料に目を通すと確かに怪奇関係の依頼は存在していなかった。


「人探しはいいけど、猫探しって……仕事選ぼうよ、草間さん……」
「多分それ、金が無かった時に武彦さんが受けたヤツだ」
「あら、こっちは現在進行形の浮気調査。まあ、探偵だもの。やるわよね」
「旦那様が心配ならウチに依頼をお願いします」
「佑樹さん、冗談でも怒るわよ?」
「それくらいウチの興信所の金銭状況が厳しいと察してくださいよ」
「うーん……と、言う事は草間さんは零さんの言う通り本当に怪奇関係以外の仕事で昨日出て行って、でも何かに巻き込まれて戻ってきた……そういうことですね。依頼自体には関係ないのかもしれません」
「私達に出来る事はやはり草間さんを起こす事のようだな。あ、人形が壊れた気配がするから換えてくる。ついでに私はセレシュさんの傍にいて様子を見よう。術式とやらが出来たなら皆を呼べばいいのだろう?」
「英里一人で行かせないよ。私も行きます。というわけでこっちをお願いして――」
「――おや、あんた達武彦を無事起こせたのかい?」


 英里と朱里が立ち上がり、武彦の部屋に戻ろうとした丁度その時、興信所の扉が開き店に帰っていた蓮が戻ってきた。その手には布で包まれた何かと魔術書の入った鞄が握られており、彼女は興信所の応接室にて集まっている皆を眺め見る。
 武彦の部屋に行こうとしていた英里と朱里は軽く首を振って否定した後セレシュと武彦が篭っている部屋へとすぐに移動した。
 当然蓮にも今までの経緯を残された皆で伝えると、彼女は困ったように眉根を寄せた。


「ああ、セレシュが術式を編んでるなら安心しな。そっち方面は本当に頼って良い子だからね。しかし……「吸収」が付いていたとはまた面倒臭いね」
「それセレシュさんも言ってましたよ。あと増幅が無くてよかったとか」
「やっぱりあの腕輪を作ったヤツは相当の手練のようだ。っと、そうそう。これを持って来たよ。本は弥生、あんたに。腕輪は……まあ、今はあたしが持っておこうか。一応呪具だからね」
「有難うございます。助かりました。もし何も分からなくてもこれで魔法の復習が出来るわ」
「さて、依頼の方からは良く分からなかったんだね? じゃあ、直接武彦に聞くのが近道だろうよ」
「蓮さーん、俺その腕輪見てみたいー!」
「おや、勇太。あんたは嵌められたいのかい」
「見てみたいだけ! 嵌めてどうすんの!?」
「冗談だよ。まあ見るだけなら構わないが、次はあんたと弥生が二人でサイコメトリーやらを使うんだろ? あんまりお勧めしないね」
「うぐ」
「しかし……時間がそろそろまずいんじゃないかい。あたしは武彦の様子でも見に行こうかね。――と、それだとこのままじゃまずいね。佑樹、悪いけどこれを預かっておいてくれ。さっきあたしが持っておくと言ったけれど、中に入るとなれば話は別だ。で、それを持っている間はあんたはなるべく武彦の部屋に入らない事。共鳴する可能性が無きにしも非ずだ」
「分かりました。腕輪をお預かりします」


 時計を見れば既に時は午後五時半。
 英里が人形で呪いの進行速度を遅らせているとはいえ厳しい時刻だ。


 蓮は腕輪を入れた箱を佑樹に預け、武彦の部屋へと足を運ぶ。
 言われた通り佑樹はその箱を持っている間は部屋の外で待つ形を貫く決意を固めた。蓮が一歩武彦の部屋に踏み込めばそこには真剣な面立ちで術式を編んでいるセレシュの姿がある。その表情は真摯的で集中している事が一目で分かった。その筋のものには読めるが、多くの文字がある法則に基づき組み合わされ重なっていく。それが腕輪に吸い込まれる形で流れ、抵抗を破り、「中」で反射の術式を無効化させようと必死に蠢いている。
 だが相当辛いのだろう。室温からではない汗がセレシュの肌を伝い、額から流れたそれは顎からつーっと床へ落ちた。拭っている余裕すら今の彼女には無い。


 武彦の姿は人形の身代わりもあり、今は五歳児程度。
 予想では既に危ない状況に陥っていても可笑しくない時刻だが、見事なものだと蓮は笑った。


「弥生、勇太。術の準備をしな。そろそろ編みあがるよ」
「はい!」
「分かったわ」
「呪いを解くには色んな方法がある。これが出来なかったとしても別方面から攻めりゃ良い。そういう気持ちでやりな」
「武彦さんの事宜しくお願いします」


 蓮の後ろから佑樹が二人に声を掛け、何も出来ない悔しさに歯噛みしつつ預かった腕輪の入った箱を抱きとめた。
 そして蓮が指示を下す。


「朱里、英里、二人は外に! 弥生、勇太、あんた達は中に入りな! あたしが合図したら術を展開して思念を探るんだよ!」
「――っ、やる。絶対に草間さんの事助ける」
「魔術書のおかげで読みながら出来るわ。ぎりぎりなところまでやるわよ」
「無理だけはしないようにするのだぞ」
「私達も符などで援護しますから」
「お願いね」


 入れ替わる瞬間、四人は言葉を交し合う。
 朱里は符を構え、英里は最後の人形をそっと部屋の中に残し外へ。
 勇太は弥生と……本来ならセレシュとも繋ぐはずだった意識を繋ぎあう。二人の意識が見えない糸で繋がると互いに考えている事や感情がダイレクトに伝わってきた。
 ……緊張している。
 それはもう神経が痛みを覚え張り詰めるほどに。


 そして、緊張の糸を張っていたもう一人の人物の身体がぐらりと揺れ。


「入りな!」


 蓮の掛け声と共に弥生は魔術書を片手に術を唱え、発動させる。
 それを勇太が追いかける様にサイコメトリーを重ね、腕輪へと向かわせた。
 拒む腕輪の強さが能力者二人に襲い掛かり、直接触れてもいないのに雷に打たれるかのような刺激が全身を襲う。素早く蓮は床に倒れたセレシュを迎えに中へと入り、そんな彼女を保護するため朱里は保護符を放つ。


「良くやったね。次はあの子らの出番さ」
「――……やっぱ「吸収」はきっついわー……編んでる傍から食われる感じ。それ以上のスピードに加えて精巧さが必要やったからな……蓮さん、二人に合図ありがとな」
「合図くらい気にしなくて良い。それに「反射」を防いだ分穴が生まれる。それはあんたの手柄だよ」


 セレシュの腕を己の肩へと回し、引き摺るように部屋の外へと向かった。
 飛び火のように彼女達にも腕輪は攻撃を向けるが、それを防いだのは朱里の符だった。


「こっち!」
「蓮さん早く!」


 英里と零は手を伸ばし、セレシュと蓮の腕を掴み急いで外へ脱出させる。
 転げ出るように二人が出ると、今度は外の皆が中の二人――勇太と弥生の方へと視線を向けた。
 静かに、けれど弾ける静電気のような破裂音。
 勇太も弥生も目を伏せ、まるで肉体を放棄したかのようにその場に在った。


 ―― 一方。潜った勇太と弥生の精神は腕輪へと干渉し始める。
 文字列が見え、それらが絡み合い、動きを停止しているのが見えた。セレシュが編んだ術式が腕輪の「反射」の術式を喰らい、活動停止に追いやっているのである。
 思念体のような状態で彼ら二人はそこに在る。
 ゆらりゆらり、潜り、探り、文字を読み、深く、深く。


―― 勇太君、見える?
―― ええ、俺にはちょっと文字が良く分かりませんけど。
―― あっちは気にしなくてもいいわ。構造を読みに行きましょう。
―― 俺はコイツを作った製作者の思念を探しに。


 ゆらりゆらり。
 まるで陽炎のように。
 ゆらりゆらり。
 そこに在る事すら危険な区域へと足を踏み入れる。そして二人を何かが襲った。
 見えない敵。
 削られるのは『力』。
 それは精神を殺がれていくような『引力』。
 勇太を形作っていた手が一瞬消え、慌てて意識をそこに集中すると手が現れた。


―― っ、もしかしてこれが「吸収」!?
―― 見て、勇太君。奥の方に文字があるわ!
―― これじゃ、思念を読む事に集中出来ない……!
―― 落ち着いて。製作者を探す事が目的じゃないの。
―― 弥生さん……?
―― 私達の目的は「武彦さんを目覚めさせる事」よ。


 弥生は文字を読み、腕輪の構造を解析しようと試みる。
 当然その度に彼らの干渉は「吸収」によって削られていく。特にダイレクトに脳を使うサイコメトリーを行っている勇太にはそれは危険な状態である事には変わりない。しかしそれでも彼は武彦を助けるためならばと最初から決意して潜っていた。


―― 「吸収反射」「記憶欠如」「接触拒否」「生と死の逆転」「魂束縛」……。


 構造を読み取り始めた弥生の口からぽろぽろと言葉が綴られていく。
 彼女の目は虚ろで、まるで読み取る文章を口に出すための媒介と化していた。


―― 「呪術反転」「反魂」「術式融合」「精神停滞」「夢幻回路」……。


 その言葉は弥生の身体の方の唇からも零され、何が起こっているか外からでは分からない蓮達の耳に届いた。
 すぐさま佑樹が興信所から筆記用具と紙を持ってくるとそれを零に渡し書き留めるよう指示をする。


―― 「拘束解放」「覚醒要因の欠如」「不可逆固定」「時限操作」……。


 ふっと意識体の弥生が何かを見つけ、虚ろだった瞳に光を宿す。そして持ち上がる指先。
 見守っていた勇太はその方角を見やり、そこに「彼」を見つけた。


 淡い光に包まれた成人の姿。
 紛れもない、自分達が救うべき相手である武彦である。彼は今横たわる格好で宙に浮き、意識を完全に閉じている。その身体を包む光――否、文字が勇太と弥生には見えた。


―― 勇太君、あれを壊して!!
―― 了解ッ!!
―― あの文字列が「縛鎖(ばくさ)」よ!!


 勇太は弥生の言葉に従い、意識体のまま新たに能力を重ね文字列を破壊に掛かる。
 強力な「吸収」の鎖が今度は勇太を襲う。だが勇太の攻撃は肉体ではない。それは仮初めの思念体でも同じ事。彼の能力はサイコキネシス。
 念じる力こそが、彼の攻撃。


―― やぶ、れっ、ろぉぉぉぉー――!!


 強く強くぶつける見えない力の刃。
 それは武彦を捕縛していた文字列を綺麗に切り裂いていき、そしてやがて鎖として作用しなくなったそれはぼろぼろに崩れ、砂のように消えた。


―― 勇太君、出ましょう! もう限界よ!!
―― でも草間さんがっ!
―― もう大丈夫なはずだから! 私達まで外に出られなくなるわ!
―― ッ……! ……分かりました!


 不意に二人はぶち、と何かが切れるような音を聞く。
 自ら強制的に切る意識の糸。入り込んでいた糸を切断し、そして強制的に肉体へと意識を戻して……。


 そこで彼らの意識は暗闇に包まれた。



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「……そんな事があったのか」


 興信所の応接室で武彦がソファーに座り、組んだ両手に額を当てて項垂れる。
 あの後、倒れた勇太と弥生は他の皆に介抱され、三十分後に目を覚ました。それは能力を使い過ぎた事によるもので、頭痛こそすれど肉体には傷一つない。
 一方、武彦は勇太に縛鎖を破壊された直後、腕に取り付けられていた腕輪が綺麗に割れ落ち、すぐに覚醒に至った。そして全員が揃った今、やっと自分の身に起きていた事柄を蓮を筆頭に皆から説明を受けたところである。


「しかし、現状を考えると信じずにはいられんわな。……はぁ」
「お兄さん、タバコは駄目です!!」
「零、でもな」
「駄目ったら駄目です! ただでさえ今小さいんですから!」
「うぐっ」


 興信所のテーブルに置かれていたタバコに手を伸ばした武彦を叱る零。
 その時、ぐさりと言葉の刃が武彦を貫くのを皆見た気がした。
 そう零が言い放ったとおり、武彦の身体は小さいまま――五歳児程度で止まってしまったのである。


「腕輪が壊れても戻らんってまた変な話やね。腕輪に吸収されとったもん全部草間さんに還るもんやと思とったのに」
「小さい武彦さんは可愛いけれど、本来の姿に戻らないのは困ったものよね」
「でも一応草間さんに掛かってた呪いって解けたんすよね。腕輪が壊れたし、眠っているわけじゃないし」
「武彦さんの身の危険だけは一応遠のいたんじゃないかと俺は思うけどな。肉体はともかく」
「私達は起こす方向で動いていたからな。うーむ。しかし子守人形が大量に無くなってしまった」
「英里の人形がなかったら草間さんもっと小さくなっていたと思うから私はむしろ大役立ちだったと思うよ」
「その点は感謝する。……元に戻らんのは困っているが」


 武彦の指先がタバコを欲しがるように動く。
 しかし零が素早くタバコとライターを掴み、そのままどこかに隠しに行ってしまった。


「ところでどうしてあのような腕輪を付けてたんですか? 佑樹さん曰く怪奇関係の仕事には携わっていなかったとお聞きいたしましたが」
「ああ、それがだな。実は全く記憶にない」
「え、全く? ひとかけらも?」
「あったら早々に伝えるだろう。こっちだってこんな身体になって苛立ってるんだ。喫煙も出来ん身体なんぞヘビースモーカーとしてはきつい」
「飴でも舐めときや。子供の身体にはホンマ毒やで」
「くそ、昨日なんで出かけていったんだ、俺は……」


 舌打ちをしながら武彦はぶつぶつと記憶を思い出そうと必死に頭を抱える。
 その姿に本当のことを話していると感じ取った皆は何も言えなくなってしまった。実際辛いのは武彦本人。苦しんでいるのも武彦本人。
 何があったのか。
 何故今回の件に至ったのか。
 何故――大人の姿に戻らないのか。


「大人の姿に戻すだけなら手はあるけどねぇ」


 ふと蓮が声を掛け、それから佑樹に預けていた例の腕輪が入った箱を包んでいる布を取り払う。
 箱を開けば中には武彦に付けられていた腕輪とは似ても似つかないものが出てくる。しかし術式を組み込むのに外見は関係ない。


「これはあたしのところにやってきた魂狩りの腕輪さ。効果は眠ったまま老化し死ねる呪い。これを嵌めれば元には戻るかもしんないねぇ」
「……待て。ちょっと待て」
「同年齢くらいに戻ったら外せばいい。なんせその腕輪には複雑な術は掛かっていないからここにいる連中ならあっさり解けるだろうよ」
「記憶は?」
「戻らないよ」
「意味ないだろうが!!」
「だから『大人の姿に戻すだけなら』と言ったんだよ。選ぶのはあんたや周りの連中さ」


 蓮はそう言い切ってから蓋を閉める。
 そしてついっと箱の表面を撫でながら彼女は紅を塗った唇を持ち上げ、妖しく笑った。


「何はともあれ死なずにすんでよかったねぇ、武彦。この子らにはきちんと感謝しな」
「くっ」


 武彦には言いたい事は山ほどある。
 山ほどあるが……。


「……お前ら、有難うな。助かった」


 今はただ、感謝の言葉だけを紡いで。








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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1122 / 工藤・勇太 (くどう・ゆうた) / 男 / 17歳 / 超能力高校生】
【8538 / セレシュ・ウィーラー / 女 / 21歳 / 鍼灸マッサージ師】
【8556 / 弥生・ハスロ (やよい・はすろ) / 女 / 26歳 / 請負業】
【8564 / 椎名・佑樹 (しいな・ゆうき) / 男 / 23歳 / 探偵】
【8583 / 人形屋・英里 (ひとかたや・えいり) / 女 / 990歳 / 人形師】
【8596 / 鬼田・朱里 (きだ・しゅり) / 男 / 990歳 / 人形師手伝い・アイドル】

【登場NPC】
 草間武彦(くさまたけひこ)
 草間零(くさまれい)
 碧摩蓮(へきまれん)
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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、参加有難うございました!
 今回は連作になる「LOST」の序章に参加頂きまして有難うございました!
 結果としては草間氏を起こす事に成功。でもちっちゃいままだよ! っていう感じです。

 今回のLOSTは記憶と肉体(若返ったままという意味で)。

 何があったのか、これから草間氏はどうするのか……それはまた次のお話で。


■工藤様
 こんにちは!
 今回は能力的に縛鎖を壊す役割を担って頂きました、有難うございます。
 その為前半はちょっと控えめですが後半に出番ががつっと入りました(笑)あ、写メは今からでも撮れますね!