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<東京怪談・PCゲームノベル>


とある日常風景
− 箱の底に残されたもの −

1.
 叩かれた頬が痛い。
 抱きしめられた腕が苦しい。
 その体の温かさが、私をただの女に変えていく。
 零れそうになる涙を堪えて、黒冥月(ヘイ・ミンユェ)は草間武彦(くさま・たけひこ)の腕の中でただ草間が無事であったことに安堵した。
 けれど、いつまでもここにいるわけにいかなかった。
 光の消えた最上階。異変はすぐに下層も気づくだろう。
 その前に逃げなければ。せめて、武彦だけでも安全な場所へ。
「巻き込んでごめんなさい。来てくれてありがとう」
 体を離そうとした冥月だったが、草間はそれを許そうとしない。
 ぎゅっと抱きしめて、2度と離さない勢いだ。
「武彦…聞いて。今は片がついたけど、同じことはまた起こるわ。今は少しでもここに証拠を残さないことが先決なの。全ての証拠を消して、逃げなきゃ…」
 草間はそれでも冥月を離そうとしない。
「おまえはどうするんだ? 今おまえを離したら、おまえは…また俺の前から消えるつもりなんだろ?」
 草間の言葉が冥月の心に突き刺さる。
「私は…貴方を愛してる。でもきっとまた巻き込んでしまう。貴方に何かあるくらいなら私…私は…武彦と一緒にいないほうがいいの」
 冥月は涙をこぼさぬように言う。
 幸い、暗闇の中で顔は見えない。涙が見られることはないだろう。
「…おまえは、どうしても1人で全部片をつけようとするんだな」
 草間はいっそう腕に力をこめて冥月を抱きしめる。それが草間に出来るただ1つの冥月を逃がさないための方法だった。
「一緒に…また旅行に行こうって言ったじゃないか。俺はおまえを犠牲にして生きるつもりはない。…なんで、俺の覚悟を信じないんだよ…」
 自戒と自責と、そして絶望。
 草間の言葉からそれらが見え隠れして、冥月の心は締め付けられる。
「信じてないわけじゃ…」
「信じろよ! 俺の覚悟を…信じろよ…」
 草間は抱きしめた冥月から体を離して、しっかりと目を見据えた。


2.
「あのな? 人間ってのは誰もが誰かの迷惑をこうむってんだよ。だけど、迷惑をかけてるだけじゃなくて、助けられてもいるんだ。意味わかるか? 人間ってのは助け合うもんなんだよ」
 突然人間のつながりについて語り始めた草間。
 一体何が言いたいのか? 冥月にはさっぱりである。
「例えば俺がお茶をこぼすとする。そうすると誰かがそれを拭かなきゃいけないわけだ。だけど、それを拭くことによってそのこぼした場所はこぼす前以上に綺麗になるわけだ。わかるか?」
 例え話が全然わかりません。
 冥月はキョトンとして返事も出来ないでいた。
 しかし、草間はそれを真面目に聞き入っているとでも解釈したのか話を続ける。
「確かに俺はダメなヤツだ。自覚はある。料理も出来ない。掃除も出来ない。人間としては最低の部類に入るかもしれない」
 自分のダメだしを自分でして、草間はため息をつく。
 自分で言ってて結構傷ついたのかもしれない。
「…だけどな、俺みたいなヤツにでも出来ることはある。自信を持って言えることがある。それはおまえが好きだってことだ。これだけは全力をもって言える」
 冥月は暗闇の中とはいえ、真正面に向かって好きと言われて赤面した。
 だが、もっと驚くべきことを草間は告げたのだ。

「おまえが俺を巻き込んですまないと思うのなら、俺を全力で守れ。俺を失いたくないなら…殺されるのが嫌ならずっと傍にいて俺を守り続けろ」

 …頭の中が、真っ白になった。
「あの…ね? 武彦。それは…違うと思うの」
 よくわからないけれど、冥月は混乱した。
 どう理解していいのか、武彦は私の話をどう聞いているのか?
「私、人殺しだし敵多いし…」
「だから、なんだよ?」
「1日で何十人も殺すし…」
「今見てたから知ってる」
「指一本で人を殺せるし…」
「元暗殺者だからな。しょうがないだろう」
 話がかみ合っているようでかみ合っていない。
 クラクラする。どう説明したら伝わるのだろう?
 武彦は、私の話を真面目に聞く気があるのだろうか??
 切迫した状況にもかかわらず、違う意味の冷や汗が冥月の体から溢れていた。


3.
 外が騒ぎ出した。
 どうやら最上階の異変に気がついた人間がいるようだ。
「だから! 武彦、お願いだから聞いて!」
「だから、聞いてるだろ?」
 切迫した状況にもかかわらず、違う意味でこちらも全く切迫している。
「私、本気で怒ったら怖いのよ?」
「あぁ、知ってる。嫌っていうほど」
「亜空間だっていくつも持ってるし…」
「あぁ、便利だよな」
「い、色々期待しちゃうし…」
「想像力が豊かなのは、いいことだぞ?」
「やきもち焼きで気難しいし…」
「でも、根が素直だし、そういうところも可愛いよな」
「そ、そんなに素直じゃないし…」
「知ってる」
 すべて軽くいなされる。その内言い訳もできなくなってきた。
 …言い訳?
 私、言い訳をしているの?
 暗闇でも見える冥月の瞳は、草間がこちらをまっすぐに見て微笑んでいる姿を捉えた。
 私…私は…どんな言い訳であなたと離れることが出来るっていうんだろう?
「私…私は…」
 震える言葉に草間は冥月をもう一度強く抱きしめた。

「いいから俺といろ!」

「は、はい!」
 草間の強い言葉に、思わず返事をした冥月だったがそう言ってから何かが軽くなるのを感じた。
 私、この胸の中にいたい。
 私は、武彦と…共に生きていたい。
 離れることなんて…どんな言い訳したって無理だったんだ。
 最初から、私は私を騙していた。
 あの人のお墓の前で誓ったはずなのに…。
 私はあの人に許しを貰ったというのに…。
 もう、逃げない。

 武彦を好きだという気持ちから。
 武彦からもう逃げたりしない。


4.
『火事だーーー!!』
『消火器を! 消防にも連絡を!』
 ホテルが騒ぎ始めている。
 だが、最上階のこのフロアに火の手はない。
 冥月と草間は顔を見合わせた。
「どうなってるの?」
 すると、暗闇のどこかから声がした。

「他のフロアにボヤ騒ぎを起こしてきました。逃げるなら今のうちです。…今回の件は貸しですよ。いずれ返してもらう日も来るでしょう。それでは…」
 
 それは、草間の居場所を教え、室内の照明を壊したあの同業者と名乗った人物の声だった。
 言うだけ言って、その気配はすぐに消えた。
「…あいつの言うとおりだな。今のうちにここを出るぞ」
 草間が冥月の手をしっかりと握った。
「そうね。いきましょう」
「…もう、逃げたりしないよな?」
 草間がそう聞くと、冥月は少し間をおくと答えた。
「逃げないわ。私の居場所はここだってわかったもの」
 草間には暗闇で見えなかったが、冥月は何もかも吹っ切ったようににっこりと笑った。
 それは草間が見れないことが残念なほど、極上の微笑だった。
「いきましょう。2人で」
 冥月は草間の手を握り返し、亜空間を開いた。
 2人は手を繋いだまま、ホテルを脱出した。

「おまえはパンドラの箱だよ」
 草間は冥月にそう言った。
「パンドラが開けてしまった箱の中からは、憎悪や災厄が出てきたという。だけど、最後に残ったのは希望。おまえは俺の希望だ。だから…」
 繋いだ手の温かさが、2人が今ここにいるという証。
 握り締めた手がお互いの気持ちをつなげてくれる。
 帰ろう。興信所へ。
 いつもの日常へ。
 そして、いつもの2人へ。

 希望があるならば、何度だってやり直せるさ。
 俺とおまえが一緒なら、何度だって…。



■□   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  □■

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 2778 / 黒・冥月(ヘイ・ミンユェ) / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒


 NPC / 草間・武彦(くさま・たけひこ)/ 男性 / 30歳 / 草間興信所所長、探偵
 

■□         ライター通信          □■
 黒・冥月様

 こんにちは、三咲都李です。
 ご依頼ありがとうございます。
 お帰りなさい!(うるうる)
 お2人で仲良く気をつけて帰ってください〜!
 少しでもお楽しみいただければ幸いです。