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<東京怪談・PCゲームノベル>


粒粒辛苦

 空は高く、淡い青で彩られて。
 雲は朧に、緩やかに棚引いている。
 窓を開けると、涼やかな風が吹き込む。
 ついこの間まで、この厳しい残暑はいつ終わるのかとうんざりしていたのが嘘のよう。
 流れる景色までもが心地よく感じる。気分が浮き立つ。
 舞い始めた落ち葉、雲の切れ間から覗く柔らかな陽光。
 前に目を向ければ、硬直した顔でハンドルを握るタクシーの運転手。
 そこだけが、違和感のある光景だった。
 でもまあ、仕方ないことだろう。
 ハンドバッグから手鏡を取り出し、自分に向ける。
 化学繊維のようなサラサラの髪、まるでガラス球のような冷たい瞳。肌はプラスチックのように硬く光り、装飾過剰なゴシックドレスから伸びる手足の関節は球状に見える。手鏡を持ち上げるその動作で、身体の節々がカチャカチャと硬い音を奏でる。
 等身大の球体関節人形。それが、今の自分――海原みなもの姿だった。顔立ち、髪の色にかろうじて元の自分の特徴を残しながらも、とても人間には見えない。その全ての造作は特殊メイクの賜物なのだが、かなり高額なだけあって、精巧さは折り紙つきだ。
 この格好で外を歩こうものなら大騒ぎになるのは目に見えた話だったのでタクシーを使ったが、それでもタクシーの運転手を驚かせるのは仕方のないことだった。
 目的地は、そう遠くない。普段だったら歩いて向かうところだ。
 目指すは――久々津館。後ろのトランクに載せている、こちらは本物の球体関節人形のマリーのメンテナンスもあるが、この格好をしているのはそれだけが理由ではない。ちょっと相談したいことがあった。
 そして、久しぶりに館の面々と会える、ということもちょっとした楽しみだったし――何より、この姿を見せた時の反応も、かなり楽しみだった。

「あらいらっしゃい。どうしたの、気合の入った格好ね」
 しかし、みなもを見たレティシアの最初の一言は、その淡い期待をあっさりと破った。一瞬だけ怪訝な顔をしてくれたが、いつもどおりの笑顔で声を掛けてきて、ちょっとだけ悔しかった。
「最初はびっくりしたけどね、人形の気配が混ざってたり、独特の気配があるのよ、みなもちゃんは。それに、お友達に失礼しちゃいけないじゃない?」
 やっぱりばれちゃいましたか、と取り繕ってみると、レティシアがそう返してきた。なるほど付き合いも長いし、以前の人形になりかけた事件の際に助けてくれたのも彼女らだから、無理もない話だった。
「とりあえず、そっちにはマリーがいるのよね? メンテナンスでいいかしら? あとは――何の相談かしらね?」
 こちらが切り出すより先に、話を振ってくれた。相変わらず話が早い。とは言え、こんな格好をしておいて何の意味も意図もないのもおかしな話だから、当然か。
「守秘義務があるんで詳細は言えないんですけど……今度、あるハロウィンイベントで『球体関節人形』のコンパニオンをすることになったんです。ご覧の通り、見た目は完璧なんですが……どうにも人形らしく見えなくて。それで、レティシアさんに、人形らしい仕草や言動を教えてもらおうかと思いまして」
 ちょっと不躾かとは思うが、もったいぶっても仕方がないので、お願いしたいことを率直に話してみる。
「……人形らしい、ね、うーん……まあ、とりあえず立ち話もなんだから、こっちへどうぞ。お茶も淹れるから」
 すると、返ってきたのはそんな言葉だった。
 そのとき、お安い御用よ、と返ってくるのを期待していた自分に気付いた。
 少し、気軽に考えすぎていたのかもしれない。

 レティシアはいつもの応接室へと案内してくれた。
 みなもが座ったのを見てから向かいに座って、ちょっと困ったように頭を掻きながら、何か考え込んでいる様子だった。
 程なく、炬が紅茶を運んできた。爽やかな香りが鼻をくすぐる。それをきっかけに、レティシアは口を開く。
「動きか……私も人形には詳しいけれど、専門はアンティークドールだし、パフォーマンスとしての動きまではね。でもまあ、球体関節の動きは把握してるから、そうね……ありえない動きはしないように制限してあげるから、それで練習……とかどうかしら」
 珍しく、少し自信が無さそうな声。
 それでも、ありがたい申し出だった。マリーにも色々聞いてはみたのだが、そもそも彼女は球体関節人形ではあるが、自力で活動できるわけでもない。動きについて聞いてみたところで参考になるわけもなく、正直もう、頼れるのは久々津館の面々だけだった。
 一も二もなくうなずき、よろしくお願いしますと頭を下げる。
「で、今からでいいのよね? その格好、何度もするのは大変だものね」
 自分から言おうと思っていたことを、またも先んじて話すレティシア。確かにこの格好、そう何度もできるものではない。
 準備するからちょっと待っててね、と言ってレティシアは退室していった。
 待ってる間にと、ハーブティを口につけようとする。
 と、その直前で、気づいた。危なかった。
 特殊メイクでそう簡単に落ちないようになっているとはいえ、この状態でカップに入った熱い飲み物を口をつけるとどうなるか。零しでもしたら大変なことになる。
 ということは――ただひたすら、じっと待つしかないようだった。

 しばらくすると、レティシアは久々津館の住人の一人である鴉を連れて戻ってきた。
 すぐに作業は始まり、指示されるままに腕を出し、足を出し、関節にてきぱきと妙なものを取り付けられていく。さすがに少しは不安になるので聞いてみると、ちょっとした呪術的なものらしい。確かに、よく見ると幾何学的な文様が記してある。ギプスのように見えるが、今のところ不自由は感じない。
 しかし、呪術的なもの、と言われて何とも思わない自分にも苦笑する。自分の存在もこれまでの体験も、一般常識で言えば、『荒唐無稽』と笑われるような話だ。けれど、どれも本当なのだから仕方ない。
 と、とりとめもないことを考えているうちに、準備が終わったらしい。
 手足を動かしてみて、と言われて手を挙げようとしてみると、確かに動きづらい。重いだけでなく、硬い。腕にギプスが嵌められているような感覚だった。
 立とうとしてみる。同様に、軋みでもあげそうなほどの動きだった。自分の身体とは思えない不自由さだ。
 用意してくれた姿見で動きを見てみると、確かに、ちょっと人形っぽい。
 これなら、このままでもコンパニオンができそうなくらいだ。
 ――ん?
 そこではた、と気づく。
 ――これって、別に練習しなくとも、これを借りれば問題ないんじゃ?
 我ながら、名案かもしれない。ただ、そこまで厚かましいお願いをしてもいいのかどうか……。
「これ、貸してもらえないですか?」
 と、ちょっとだけ迷ったが、結局口にしてしまう。
 そう、これさえあれば、別に練習しなくてもよいのではと思ったのだ。
「……あー、それはちょっと……やめといたほうがいいわね」
 苦々しい顔で、レティシアはそう返した。やっぱり、図々しかったのだろうかと思ったら、続く言葉はそんな内容ではなかった。
「呪術的、って言ったわよね。長時間は危ないのよ。普通の人ならそんなに問題はないんだけれど、貴女はね……例の人形化のことがあるでしょ? この術式が呼び水になって、人形のフリじゃ済まなくなる可能性が……って」
 そう語り始めたレティシアの声が、だんだん遠ざかっていく。
 声を出そうと思ったが、もう遅かった。
 炬が駆け寄ってくるのが見えた。それが、その時覚えている最後の映像だった。

 気づいたのは、もう日もとっぷりと暮れた後だった。
 聞くと、あれから三時間は意識が戻らなかったらしい。
 久々津館の住人たち、特にレティシアからは何度も謝られたが、元々はこちらがお願いしたことだから、責めるような話ではない。
 どうやら、予想以上にみなもの中に溶け込んでいる雛人形の魂との繋がりが深く、過剰に反応してしまったらしい。
「まあ、地道にコツコツ頑張らないと、ってことですよ。気にしないでください」
 彼女らにはそう返して、その後もう少し休ませてもらってから、久々津館を辞去した。
 結局のところ、当初の目的は果たせなかった――けれど、自分の中に溶け込んでいるあの雛人形との繋がりが深い、と言われたことは、なぜか、ちょっとだけ、うれしかった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【1252/海原・みなも/女性/13歳/女学生】

【NPC/炬(カガリ)/女性/23歳/人形博物館管理人】
【NPC/鴉/男性/30歳/よろず人形相談・承ります】
【NPC/レティシア・リュプリケ/女性/24歳/アンティークドールショップ経営】

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■         ライター通信          ■
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 伊吹護です。
 本業、私事にて忙しいためなかなか窓口が開けなくてごめんなさい。
 今回はこんな感じで書いてみました。いかがでしたでしょうか。
 またのご依頼、お待ちしております。