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VamBeat −Incipit−
暗い路地裏。
大通りからは街のネオンと、車のヘッドランプが流れ込む。
だが、その人が居る場所だけは、何の光も降り注がなかった。
腹部を押さえ、きつく瞳を閉じた顔は青白い。
汗が額から頬へと伝わり、落ちる。
腹部を押さえている手の下から、じわりと滲む赤い………
―――血だ!
思わず駆け出した。
あふれ出る血は路地に赤い血溜まりを作っていく。
「大丈夫―――!!?」
声をかけた瞬間、首筋めがけてその人の頭が動いた。
突然向けられた衝動に驚き、向坂 嵐 (さきさか あらし)は思わず相手の顔を平手でべしっと押さえ込む。
手の平で見えない顔つきは分からないが、荒い息遣いを感じ、そういえば自分は彼が怪我をしているのを見止め、近づいたのだと思い出す。
「やべっ」
冷や汗気味に呟き、嵐は急いで手を引っ込めると、押さえをなくした身体はそのまま地面に逆戻りする。
先ほどの衝動など嘘のように、そのままフーフーと抜けるような呼吸を繰り返す彼に、改めて様子を気遣うように近づく。
(救急車? 病院連れった方が良いのか?)
ぎゅっと手で押さえられた腹部からは止め処なく血が流れている。
嵐は携帯電話を取り出すため懐に手を入れたまま、止まる。
「………」
どう考えても訳ありだ。
瞳はぎゅっと閉じられ、もう一度「大丈夫か?」と声をかけるも反応はない。どうやら意識を失ってしまっているらしい。
怪我による脂汗で髪の毛はべっとりと額に張り付いていたが、覗き込んだその顔は、多分、同年代くらいだ。
どうするかという思いが頭の中を一巡させた後、持ち合わせの荷物の中からタオルを取りだすと、その腹部にきつく巻きつける。この程度でも多少の応急処置になればいいが、巻きつけたタオルにもゆっくりと血が滲み始め、速い治療が必要だなと思わせた。
(うわ、軽りぃな。こいつ)
抱え上げた少年は、栄養失調一歩手前なんじゃなかろうかというほど軽く、嵐は眉根を寄せる。
まぁ確かに生活が安定しているような恰好は、お世辞にもしていない。
最初は襲ってきたくせに、今は何でこんなに静かなんだ。
(何だか普通の人間とは違う気がするな)
しかし、とりあえずこいつは怪我人で、自分はそれを見かけた人間。それ以上でもそれ以下でもない。
「……ん?」
微かな身じろぎを感じ、嵐は足を止めて、少年に視線だけを向ける。
「起きたか?」
「……俺、どうして?」
嵐の質問に答えるよりも、自分の現状に対しての疑問を口にして、やっと少年は自分に降りかかった嵐の声に気が着いたかのように顔を上げた。
「え? あんた、誰!?」
「誰って……お前自分が襲い掛かった人間の事も覚えてねぇのかよ」
嵐ははぁっと盛大に息を吐き出す。
「それは、ごめん。いや、それより、何で、俺」
言葉を途切れ途切れに発しながら、現状に少々パニックを起こしかける。
「ご、ごめん。降ろして欲しい」
「歩けるのか?」
少年はその問いに大丈夫だと大きく頷き、嵐は訝りつつも少年を地面に降ろす。だが、少年は足を地面につけた瞬間、よろりと転げかかった。
「やせ我慢するんじゃねぇよ」
嵐は寸ででその腕を掴むと、やれやれと息を吐く。
「……悪い」
短く謝罪の言葉を述べた少年に、嵐はため息をつく。
「そういう時はありがとうだろう。まぁ、俺もあんたを見つけたってだけで、何もしてねぇけど」
そんな嵐の言葉に気が着いたのか、少年ははっとしてタオルが巻かれた腹部に視線を向けた。
「良かった……」
どこかほっとしたように呟かせた言葉に、嵐は怪訝気に眉根を寄せる。
「何が良かったと言うのです?」
ボソッと呟いた少年の声に答えたのは、自分ではなく、知らない少女の声。
「誰だ?」
嵐はその声の方に振り返ろうとした瞬間、少年に思いっきり腕を引かれその場に転がる。
「は? え、何だ??」
カンカンカンと鈍い音を立てて、近くのビルの壁に食い込んでいるこの痕は―――
「銃!?」
嵐ははっとして少年に視線を戻せば、少年はその腕や肩などに新たな傷を作り、その場に膝を着いて倒れた。
「お前っ……!?」
嵐は倒れた少年に駆け寄り、新たにつけられた傷口を見る。
(ん?)
が、その傷はゆっくりとだが、自然と閉じられているように見えた。
靴音を鳴らして近づく少女の姿は、シスター。聖職者が人殺しなんてしていいのか!
カチッと、銃のセーフティが解除される音が嵐の耳に届く。
「止めろ! 止めろ! 死んじまうだろ!!」
シスターは一瞬考えるように目を伏せたが、すぐさま視線を上げ、腕を持ち上げる。
「どちらでも構いません」
シスターの銃口は思いっきり嵐の額に照準を合わせている。
(えー、俺もしかして厄介事に頭からスライディング状態…?)
と、遠い目をしたい心境になりつつも、そんな事考える余裕などなく、嵐はどうにか現状を打破しようと足元に何か落ちてないか探る。
「あんた、逃げろ…!」
少年がぎゅっと嵐の服を引く。この状況でよくそんな事を……! と、思いつつも、怪我人ほっとけるか! という思いの方が強い。
「っ……!」
少年はまたも嵐を思いっきり引っ張る。
目の上を風が駆け抜け、鈍い音が響く。先ほどまでこの軌跡にあったのは、嵐の頭だ。
「止めろイロナ! この人は関係ない!!」
「気安く呼ばないでください。ダニエル」
ちょっとストレッチ的に厳しい体勢のままで、嵐は2人の会話に耳を傾ける。
(厄介事が大きすぎんだろーが)
しかし、名前を知ることは出来たのは、いいのか悪いのか。
嵐はシスターの意識が自分に向いていない隙に姿勢を整え、近くに転がる空き缶に目を留める。
(あれだ…!)
嵐は急いで転がる空き缶を拾い、シスターに投げつける。
「…っ!?」
そして、ダニエルを抱え上げ、シスターの利き腕側の横路地を駆け抜けた。
「な…っ!」
「言うだろ! 脇が開くと照準が甘くなるって!!」
漫画で! と、早口で答え、嵐は土地勘を生かして走る。脇道、細道、抜け穴。そういった知識は心得ている。
どれだけ走ったか分からないが、火事場の場火力だったとしても、それは長続きするわけもなく、嵐の息は荒くなっていく。それに、追いかけられているような雰囲気は感じない。
嵐は足を止め振り返る。
何時もの街だ。
ダニエルをその場に下ろせば、やっぱり腕や肩の傷は消えているのに腹部の傷はそのまま。
「彼女は、多分追ってこない」
「何でだ?」
「それは……」
言いかけて、止める。
「いや、何でもない」
「何でもないってことあるかよ」
途中で言葉を止められるのは、何とも気になって仕方がない。だが、ダニエルの何かを堪えるように唇をかみ締めた表情に、それ以上踏み込めなくなる。
「……怪我、いいのかよ」
嵐は話題を変えるように、ダニエルが今まで負った怪我の治療をしようと語りかける。
「いや、これ以上は、迷惑かけられない」
「確かに、残ってんのは、腹の傷だけみたいだな」
それを指摘すれば、ダニエルは寂しそうに微笑み、嵐に顔を上げた。
「まきこんで悪かった。それと、ありがとう」
そして、短いお礼と共に軽く膝を折った少年は、その場から消えるように跳び去る。
「……礼、言えるじゃねぇかよ」
止める暇さえもない早業に、嵐は軽く頭をかいた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【2380/向坂・嵐 (さきさか・あらし)/男性/19歳/バイク便ライダー】
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■ ライター通信 ■
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VamBeat −Incipit−にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
どうやって抱きかかえているのかというのは詳しく書いていません。俵のように抱えているのか、小脇なのか、そういった部分は想像で読んでいただければと思います。
それではまた、嵐様に出会えることを祈って……
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