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●斡旋屋―雨遊び―/青霧・カナエ
雨が降る、冷たい雨が――。
体温を奪う、秋独特の重たい雨が。
しとしとしと、東京を覆い尽くし、降り続く。
青霧・カナエ(8406)の手にした黒い折りたたみ傘を、雨垂れがしっとりと濡らしていく。
自分を――と言うよりは寧ろ、制服を濡らさぬように差している折りたたみ傘は、仕事の装備品に入っていたもの。
恐らく、研究員の内の誰かが、雨だと知って入れておいたものだろう。
――誰が、と気にするのは自分の仕事ではない。
そして、制服を心配したのか、カナエを心配したのか……についても、カナエが気にする事ではない。
ただ、命じられた事をこなすのみ……今は仕事終了の報告を終え、帰還の最中なのだ。
繰り返される、一般人にとっては『非日常』の『日常』
故に、彼の目にその姿が映ったのは『現実から解離した』ものだった、だからかもしれない。
『非日常』ではなく『日常』でありながら、ほんの少しだけ解離している。
その瞳の色を窺い知る事は出来ないが、しっとりと黒い髪と着物を濡らした斡旋屋(NPC5451)の姿は異質。
徒人ならば、足早に去っていくこの雨の中を、間違いなく彼女は『視て』いる様な気がしたのだ。
……その瞳が、開かれていなくとも。
そして、その姿は、どこか寂しげで孤独な情景に見えた。
誰も彼女に注意を払わない、足早に人々は去り、傘と言う花畑を形成する。
そして、彼女もまた注意を払う事はない、ただ立ち、空を見上げ、ただ、その場に在る。
雨のヴェール越しに、二つの世界は確実に、隔たっていた。
その領域に踏み込むと言う事は、その世界を知ると言う事だ――。
そ、と彼女を招き入れ、傘の中に入れる。
所有者の動きに併せて跳ねた傘の水滴は、弧を描いて地面に落ちた。
冷たい白い肌が、驚いたように震える。
「……お嫌でしたら、立ち退きます」
「いえ、構いません。――些か、退屈していたものですから。宜しければ、お話でも如何です?」
空を見つめていた彼女は、随分と緩慢な動作で、カナエの方へ顔を向けた。
横に立つ白い陶器の様な人形も、カナエへと闇の様な空洞をカナエへと向ける。
一人と一体の注目を浴び、そしてお話でも――という言葉は思いがけないものであり、カナエは瞬目した。
積極的に断る理由は、特になかった。
告げられた仕事は既に終えているし、特に性急な報告を必要とはしていない。
今、この時間は、研究所からも誰からも、指示を受けていない。
そして、行動指針も無い……ぽっかりと開いた空白の中に、カナエは佇んでいたのだった。
何も、無い――何も無い、と言う事が即ち、語る事が無い、と言う事ではない。
無いのなら作ればいい――物質的に無から有を作る事は不可能であるが、会話であれば無から有を作る事は可能である。
尤も、それをカナエが得意としているかは、別の問題であるが……。
「如何です。雨粒が落ちる音を聞きながら、過ごすのも悪くはありませんよ」
ああ、と小さく呟いた彼女は、白い名刺を取り出すとカナエへと差し出した。
透かし模様で扇と蝶の描かれた、質素だが優美なものだ。
「私、斡旋屋と申します。――名前は『晶』ですが、ショウ、でも、アキ、でも」
どちらでも構いませんよ、と渡された名刺には、中央に『斡旋屋 晶』とだけが書かれていた。
電話番号どころか、住所も書かれていない。
「……青霧・カナエです」
その名刺を受取り、どうしようかと逡巡したカナエだが、手持ちの鞄の中に片付けた。
如何ですか? そう、もう一度、斡旋屋に問われてカナエは、漸く口を開く。
「自分の中に……語れる何かがあるのならば」
それがあるのかは、わからないのだけれど――。
「では、暫し時を過ごしましょう」
コクリ、頷いて――秋雨を見ながら、二人は過ごす。
●
「雨はお好きですか――?」
不意に問いかけられたカナエは、暫し逡巡してから頷いた。
嫌いでも好きでもない、が、この穏やかな時間は決して、厭うものではない。
ならば、好きなのだろう……そんな曖昧な判断基準だったが、斡旋屋は気にした様子もなかった。
足早に去っていく人々の足音を聞きながら、アスファルトに当たっては跳ねる雨粒の音を聞きながら。
ただ、そこに『在る』だけだ。
「そうですか……私は、雨が好きですよ」
「――何故、ですか?」
少し首を傾げた後、カナエが紡いだ問いかけに斡旋屋は少しだけ、笑みを零したようだった。
口元に手を当て、笑みを抑えた後、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「音が――」
「音……?」
パタパタ、パタパタ――傘に、雨粒が当たって跳ねる音。
シトシト、シトシト――降り続く雨が、他の音を飲みこむ音。
ザァザァ、ザァザァ――強くなった雨が、風と共に吹き荒ぶ音。
――斡旋屋の知っている雨の日は、晴れの日よりも騒がしい。
「こうして、雨の音の中にいると――まるで、夢を見ている気がしませんか?」
「夢……ですか」
人工生命体―ホムンクルス―であるカナエとて、夢と言う概念は理解している。
脳の持つ、記憶の整理作業だ。
ゴーレムと違って無機質なものではなく、有機的生命体であるカナエも、夢を見る。
だが、斡旋屋の『夢』と言うのは『脳の持つ記憶の整理作業』ではない、様な気がした。
「夢……現の消えた世界、とでも言いましょうか」
「――現の消えた世界、ですか」
「このまま、雨粒の一つになって、降り注いではまた、空へ昇る――そんな、夢を見ている様な気がします」
哀しくも優しい夢だと、思った。
だが、それを口にしたところで斡旋屋は、納得しないだろう。
こうして降り続く雨のように、決して意味のあるものではない――どちらかと言えば、意味のない会話を続けることが、有意義だと思えた。
有意義――否、そうしたい、とカナエは思う。
それはぽっかりと空いたままの、空白を埋める為の本能、と言うべきものなのかもしれないが……。
「……何故、僕に声を掛けたのですか?」
ふ、と生じた疑問のまま、カナエは斡旋屋の方へと視線を移す。
彼の深い青をした瞳が、静かに佇む少女と人形を映した。
視線を感じながら、随分と、気配の稀薄な人物だ、と斡旋屋は思う。
とは言え、其れを口にする事はない。
現の消えた『今』に必要なのは、相手の実体ではない――霧でも陽炎でも、構わないのだ。
「そうですね。……傘に、入れて下さったから、かもしれませんね」
曖昧な返事しか返って来ない――はぐらかされる事は慣れているし、深く問いかけても返事は返って来ないだろう。
それを理解しているからこそ、カナエはそうですか、と大人しく引き下がった。
興味がない訳ではない、だが、何度も問いかける程強く興味を示した訳でもない。
「ただ――」
納得する、その刹那に斡旋屋が口を開く。
意図的なものか、それとも故意なのかは分からない。
「ただ、貴方の纏う雰囲気が――寂寥としたもの、だったからかもしれません」
自分は、寂寥としているのだろうか……?
カナエは首を傾げながら、降り続く雨に耳をすませつつ、斡旋屋の表情を窺う。
その顔には特に、感情と言うものが見受けられない。
――何処までも、人形らしい、と思う。
「それは……お互い様だと、思います」
カナエが斡旋屋に興味を持ったのは、その姿が寂しげで孤独だったから。
――無意識に、同じ『もの』を探しているのか、求めているのか。
それは、どちらにも分からないけれど。
二人の心情など知らず、雨はシトシト、降り続いている。
人々から隔離された時間、隔離された空間。
呼ばれた者だけが手を結び、言葉を交わし、空間を作る。
だが、その時間はやがて――終わりを告げるのだ。
夢から覚めるように、決して夢を見たままではいられない。
●
「雨、上がりましたね――」
閉じたままの瞳を空に向け、斡旋屋は口にした。
カナエも、空を見、そして黒い折りたたみ傘の雨粒を軽く払うと、丁寧に折りたたむ。
濡れた指先をハンカチで拭えば、まるで秋雨の中でかわした言葉さえも、淡く夢に消えるような気がして。
「また、縁があれば――お会いしましょう」
「……ええ、では」
それでも、感傷よりも納得が上回る。
感情を制御する事、自分一人で納得する事……カナエはそれに、慣れ過ぎていた。
一枚の絵画の様な、雨に濡れる孤独な少女の姿を目に焼き付けたまま、カナエは何時もの日常へと戻っていくのだった。
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【8406 / 青霧・カナエ / 男性 / 16 / 研究員補助】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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青霧・カナエ様。
この度は、発注ありがとうございました、白銀 紅夜です。
発注文を頂き、詩的で繊細な方なのだな――と思い、綴らせて頂きました。
雨の音や、心情や比喩表現など、楽しんで頂けたら幸いです。
どうか、気にいって頂ける作品でありますように。
では、太陽と月、巡る縁に感謝して、良い夢を。
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