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<東京怪談ノベル(シングル)>


     Call "Trick Or Treat!"

 愁いを帯びた日差しがゆるやかに降りかかり、切なげな冷風が色づいた落ち葉を巻き上げる秋空の下の公園は、夏の炎天下と違って居心地が良い。海原(うなばら)みなもと雨達圭司(うだつけいじ)は行楽客にまじって木製のテーブルとベンチを一つ陣取り、売店で買った温かなお茶と共に秋の風情を味わっていた。
 テーブルに並んだかわいらしい包みの上のクッキーは、みなものお手製だ。過剰なトッピングはなく、丁寧に型を抜いて程よく焼き上げただけのその素朴さがどこか彼女らしかった。ハロウィンが近いためか、クッキーはデフォルメされたハロウィン定番のカボチャやおばけといった愉快な形をしている。
 ほのかな甘さがまた丁度良く、ついつい手を伸ばす雨達だったが――みなもがあまり元気がなさそうにしているのに気付き、そういえば今日は相談があると言われていたんだったと、ようやく大事なことを思い出した。
 「妖装(ようそう)と言ったっけ? それに何か問題でも起きたのかい?」
 雨達がそう尋ねるとみなもはうつむきがちだった顔を上げ、少し困ったように微笑んだ。
 「問題というか……少し行き詰まっています。妖力を安定して具現化できるようにはなったんですけど、そのあとどうすればいいのか判らなくなりました。」
 人魚の血を引くみなもは妖力と呼ばれる、人魚への変身や水を自在に操るといったことを可能にする力を持っている。妖装というのは、その妖力を衣服として具現化し身にまとう、みなもが最近身につけた新しい能力だ。それを補佐しているのは、「海原みなもという存在」を共有していると言ってもいいもう一人の”みなも”――元は携帯電話に憑いていた付喪神(つくもがみ)である。
 本来のみなもと付喪神の”みなも”は、それぞれの持って生まれた能力を保持しながら存在が溶け合った状態で共存しており、互いの得意分野を生かして新たな能力の開発に励んでいた。その成果の一つが妖装である。
 「妖力を身にまとうことで防御力や運動能力は上がりますし、あたしが元々持っている”水”や”人魚”に関する能力も妖力を使いますから、妖装でそれを強くすることもできると思うんですけど、それじゃあんまり妖装を使う意味がないんですよね。あたしの精神集中を必要としない機械的な防御壁という点では文句はないですし、もう一人の”あたし”が機械的に補佐しているおかげで負担はずっと少ないんですけど……。」
 『生まれ持った能力は基本的に使いこなしているから、”あたし”が介入しても劇的な効果はないと思うわよ。』
 みなもの意識の中でもう一人の”みなも”がそう呟く。”彼女”の言葉は”彼女”が意図して外に向けて発しない限り、意識を共有しているみなもにしか聞こえないため当然雨達の耳には届かなかったが、彼はみなもたちが抱えている問題をおおむねつかんだようだった。
 「単に増幅器みたいな感じになってしまうってことか。確かに妖力をわざわざ形にしてるんだから、もっと別の使い方があっても良さそうなものだよな。」
 そう言って雨達はうーんとうなりながらお茶をすする。それにみなもは頷き、ため息をついた。
 「そうなんです。それで非常時にその場に合った対応ができるように――たとえば戦闘型とか探索型とか、役に立ちそうなパターンをいくつか用意しておいてそれを使い分ける感じにしてみたらどうかとも考えてみました。でもあたしにはほとんど実戦経験がないし……それで雨達さんに相談しようと思ったんです。素人同然のあたしが“非常時”に必要な力って何だと思いますか?」
 「難しい質問だな。」
 雨達はそう呟きしばらく何事か考えている風だったが、やがて「よし!」と叫んでひざをたたくと、ベンチの上に置いていた書類ケースの中からマチのついた大判の茶封筒を取り出した。そしてみなもが不思議そうに見守る中、ボールペンでそれに二つの穴を開ける。横に並んだいびつな破れ目はまるで目のようだ。
 雨達はその封筒を頭にかぶって、「どうだ?」とみなもに訊いた。
 「どうと言われても……。」
 『バカみたい。』
 返答に困ったみなもが言葉尻をにごすと、心の中で”みなも”が冷静に続きの感想を発した。
 「おばけに見えるか?」
 「ある意味では……。」
 「それなら問題なしだ。行こう。」
 「え、行くってどこへですか?」
 封筒を頭からはずした雨達にみなもが当惑の目を向けると、彼はハロウィンにおばけの格好で街中を練り歩く子供のような顔で「ちょっと変わったお祭りに。」と答えた。

 雨達はたまたまこの辺りで「本物のおばけによるハロウィンの祭り」があるのを知ったのだという。日本には百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)という、深夜に鬼や妖怪たちが行進する様を指す言葉があるが、それの西洋版のようなものらしい。違う点と言えばハロウィン前後の時季に限り、おそらく異界の一つで行われるパレードのようなものだということだ。現実の人間の世界でくり広げられるものではなく、あくまでおばけたちが楽しむためのもので、さまざまな怪奇現象をはらむこの東京ではしばしばその異界に入り込むことができるのだという。雨達はその入り口だと噂されている場所を教えてもらったのだとみなもに話した。
 「別に仕事の依頼があったというわけじゃないんだが、面白そうだからおばけらしい格好をして行ってみようかと思っていたところでな。嬢ちゃんも変身は得意だろう?」
 そう言われてみなもは雨達の勢いに流されるままに妖装を身にまとい、おばけのお祭りにまぎれ込むことになったのだった。
 幸か不幸か、先日みなもは人狼の事件に関わったことでその意識に触れ、狼のように聴覚や嗅覚といった五感を鋭くするための情報を得ており、それを妖装に取り込んで実際に五感の能力を上げる一形態を仮実装していた。その際、妖装には通常の制服に似た衣服に狼の耳としっぽが付く形になる。一見すると人狼のように見えるその姿は、おばけたちにまぎれるには最適と言えた。
 妖装の方向性が決まらずにいたため、その形態は五感強化を備えただけの仮実装のままであったが、あくまで「祭り」ということだから危険もないだろうし、万が一何かあった時はみなもが言う”非常時”であるから、それはそれで勉強になるだろう、と雨達は楽観的である。その当人は封筒に穴を開けたものをかぶっただけで平然としているのだから、心配はいくらしても足りないか、もはやするだけ無駄というものだ。
 そんなわけで、みなもも異界の入り口をくぐる頃にはある程度あきらめがついていた。
 不自然に空気の流れが変わる地点へと足を踏み出したその一歩先は、おばけの世界である。ハロウィンの祭りとあってかカボチャの中をくりぬいて明かりを入れたランタンを持った者たちが方々にいて、空は夜のように真っ暗なのに周囲はとても明るかった。ランタンの光源は謎だが、いろんな色を発している。どこからともなく流れてくる音楽は陽気で、おばけたちは踊りながら前へ前へと立ち止まることなく進んでいた。
 「この人たち、どこへ向かっているんでしょうか?」
 「さあ……最後までついていったらおばけになっちまうって話もあるが、途中にまた人間の世界につながっている場所が……。」
 「おや、かわいらしいお嬢さん。素敵なしっぽですね。」
 雨達が紙封筒の中からもごもごと言うのを途中でさえぎって、背後から狼の顔をした紳士がみなもに声をかけた。獣の頭に上等の燕尾服という出で立ちは異様なはずだが、ここではむしろ自然に見える。
 「お菓子はいかが?」
 そう言って差し出されたのは、クモとミミズを足して、みなもが太郎ちゃんと呼ぶ台所におなじみの虫の触角をつけたような、不気味としか呼べない代物だ。
 「え、遠慮します!」
 みなもはそう叫んで雨達と共にその紳士から逃げるように離れていった。
 「祭り自体は結構楽しい感じだが、あれはないな。」
 「あんなのお菓子じゃないです……。」
 かなり先頭に近いところまで駆けて来た二人はそんなことを言い合って息をつく。まるで生きているかのように左右に揺れていた触角を思い出し、みなもはそれを記憶から追い払おうと何度も頭を振った。
 その横で雨達が苦い口調で「しまった。」と言う。
 「わき目も振らずに逃げたもんだから、出口が判らなくなった。目印を教えてもらってたんだが、見過ごしたかも。」
 「えええ!」

 『あの封筒をかぶった時からバカみたいだと思ったけど、本当にその通りじゃないかしら。』
 みなもの意識の中であきれ返りながら”みなも”が言い、妖装を解いたみなもはそれに「まあ、無事に出られたんだからいいじゃないですか。」と心の中で苦笑混じりに応じた。
 結局、出口を見つけたのはみなもである。入り口をくぐる時に感じた不自然な空気の流れを、妖装で強化された五感で探し出したのだ。
 「嬢ちゃんのおかげで助かったよ。ありがとう。」
 雨達もお粗末な変身を解いてそんなことを言い、面目なさそうに頭をかいた。
 「おれはオカルト事件専門の探偵と言っても、さほど実戦経験があるわけじゃなくてな。探偵の一番の武器は何と言っても事前の調査能力だし、非常時は逃げるか現状を打開する突破口を探して運と勘に頼ってるのが実情なんだ。だからろくにアドバイスもできないんで、まあ、それならせめて気分転換でも……と思ったんだが、まったく申し訳ない。」
 「いえ、とりあえずあの形態も無駄ではないことが判りましたので。」
 なだめるようにみなもは言って、しきりに頭を下げる雨達に微笑みかけた。彼はそれを見返し、嬢ちゃんは本当にいい子だよなあ、と呟く。
 それから少し考えるような素振りを見せたあと、おもむろに彼はこう言った。
 「一応年長者からのアドバイスをしておくと、未来に何が起きるかは誰にも判らないからさ、どんなに備えをしても完璧ということはないと思うよ。よく調べて挑んだつもりでも、想定外のことが起きるのはざらだしな。おれの経験から言えば、非常時に役立つのは持っている能力そのものより、今の自分にできることで『何ができるか』を考える力とか勘とか、そういったものだと思う。非常事態を想定した能力があるとそりゃあ便利だろうが、そういうのは実際に経験で身につけていくつもりでもいいんじゃないかな。当面は基礎能力を上げることに重点を置いておいて、また方向性が見えたら変えるとかさ。」
 そう言って雨達は肩をすくめ、「おれには妖力もないし、こうすべきだと決めるわけにはいかない。正解も判らないから、こんなことくらいしか言えないけどな。」と苦笑する。
 「でも嬢ちゃんは一人でも『独り』ではないし、頭もいいからおれは非常時の判断力も充分あると思うよ。」
 だから最近増えてきている仕事を手伝ってくれても何ら問題ない、むしろ大歓迎、などと最後には言い出したので、みなもはまた苦笑を浮かべて「太郎ちゃんが関係しない事件なら。」と答えたのだった。



     了