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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


【HS】ホームポートクルーズ


 少女は、細い麻紐で無造作に束ねられた手紙を、ぎゅっと握り締め、決意を込めてその胸に抱いた。
 ―― ……がんっ!
 椅子を蹴るように立ち上がり、そのまま自室を飛び出す。

 ハタハタと机上に残された一通の手紙がはためき、開け放たれた窓から空へと舞い上がり吸い込まれていった。

 青い空には子どもの落書きのような真っ白な雲がぷっかりと浮かんでいる。
 海は凪居ていて陸に上がる風が心地良い。
 戦時下にあっても束の間の休息を得ることも大切だ。

 カリブ海のオランダ領キュラソー島。
 海軍基地の外は、マカロンの様に色鮮やかな可愛いらしい建造物が並んでいる。

「准将さんに言えば判るわ。私よ!」
 無機質な基地の一角にて少女の声が響いた。
「アポもなしに突然准将閣下へのお取り次ぎは出来ません」
 きっぱりと何度も断られているにも関わらず、キューバ難民である少女は頑なに「言えば判る」を繰り返す。


 そんな騒動は届かない部屋のだだっ広い書斎机に、僅かに身体を斜めに傾けて腰掛けていた三島・玲奈は組んでいた足を組み替えて、その先をぶらぶらと所在なさげに揺らした。
 机仕事言うというのは実に退屈なものだ。
 山のように積みあがった書類の束の間に置かれたパソコンを無意味にいじくる。
 可愛らしい電子音と共に、ディスプレイの端にあったメールアイコンが点滅した。
「母港までの切符を下さい!」
 メールの書き出しはそんな感じだ。そして、肝心の中身の方は
『キュラソーの生活に馴染めず、不倫相手と破じょうした。婚約者であった男とよりを戻したい』
 大ざっぱにいえばそんなところ。

「玲奈号は汽船ではないわ」
 と渋い声を漏らす玲奈とは対照的に、夫であるクレアクレイン・クレメンタインは
「いーじゃんよ。他人の幸福に加担して序でに俺たちも挙式しようぜ」
 乗り気である。
 こうなると玲奈も無碍には出来ない。彼女と面識があるかと言えば、そうではないが、ネット上での顔見知りという奴だ。
 ただ、それだけの関係であったとしてもゼロではない。
 玲奈は、思案気にこつこつと机上を指先で弾いて唸った。


 虚無の境界が支配するキューバ。
 グアンタナモの米軍基地だけはIO2が数万のキューバ市民と共に頑迷な抵抗を続けている。
 この状況に、居心地が悪かったのだろう婚約者は……この土地を出てしまった。
 一介の兵士である自分はその後を追える状況でもなく、ようやっと迎えた夜の間に日課となりつつある手紙を今夜も認める。
「待ってるよ」
 とつとつと綴られる一途な文面をようやっと目にした少女の心は大きく揺れた。
 ―― ……やはり、自分には彼しかいないのだ。と……


 生暖かく感じる風が頬を撫でる。
 キューバの首都、虚無の神殿。
 青白くどこか艶めかしく今現在は苛立たし気でもある女性は、巫浄・霧絵。創られた神”虚無”に遣える神官だ。
 腹に据えかねるといった物腰で、こつとヒールが石床を弾き、つと三日月の軌跡を残すように片腕を持ち上げ……呪いの言葉を紡ぐ。
 破竹の勢いで本土に迫るIO2。今それを叩くべきだ。

 突如、暗雲が立ち込める。
 禍々しさを内包した黒い雲が空を覆い、大気を不浄のものへと変えた。

 霧絵は、自らに憑く霊団の一つを呼び起こし、召還する。
「来るが良い愚人共よ! 忘却の川の藻屑となれ」
 グアンタナモの周囲に巡らされたのは忘却の川レーテー。黄泉の国から召還されしは、不和の女神。


 グアンタモ周辺に突如現れたレーテー川。
 襲い来る不和の女神に、攻め上がる勢いがあったIO2は押され、その突破口を見出すことが求められた。
「婚約者が、今も私を待ってくれているんです。彼の元に返りたい」
 キュラソー軍港の一角では尚、少女の直訴が続いている。
 その願いは軍師たちまで届く。
 彼女の声は、想いは強く、それは力を持つ。
 ―― もしかしたら……彼女の想いは今必要とされている突破口を穿つことになるのでは……
 そう口を揃える。

 汽笛が鳴る。
 上官の命を受け、少女を舳先に乗せた軍艦がグアンタナモに向けて出港した。
 上空に弓をつがえたクレア夫妻と少女の祝詞が響く。

「ホームポートまでの切符を一枚♪
 丁度夜明け前に着く船の♪
 港には彼が待ってる筈なの一緒に暮らすの私達♪」

 曇天。
 幾重にも重なった黒い雲。あの遙か上には青空が広がっているのだろうか?
 十重二十重の護衛が脇を固める中。
 強力な防護祝詞――歌声が大気を震わせる。

 重圧な雲が割れ光が走る。
 レーテー川の流域に入った。
 不和の女神からの雫の矢。

 一行へと穿つ。

 流星のごとく直下してくる雫の矢は、加速加速加速……
 力強い玲奈の歌声が、

「ハイビスカス彩る浜辺、肩を並べて岬のチャーチへ♪」

 ―― パァァン……ッ……
 阻む。

「都会で溺れた波の色を綺麗さっぱり洗い流すわ♪」

 重ねられるクレアの歌声は、荒波を裂き船は進む。
 妖しくまとわりつくような、黒い霧を裂くように……光を求め切り開くように――

「ホームポートから届いたメールを開封せずに山積み♪
 真実の愛は母港にあると今更悟った私なの♪」

 少女が述懐すれば、不和の女神は怯んだ。

「父母皆がそうした様に二人で護るわ小さなハピネス♪
 藻屑と消えた素直な幸を今度はしっかり舫いでおくわ♪」

 重ねられる少女の紡ぎ出す祝詞に、苦悶の表情が浮かぶ。

「援護するぜ」
 告げたクレアは、上空を飛ぶ怪物めがけてつがえた矢を引き絞り、解き放つ ――

 ―― 緩やかに、確実に不和の女神は最期を迎える……


 荒れ狂った水面は凪居て、空青く。
 その下に停泊した船。

 陽光に煌めくドレスを纏った少女と彼女の帰りを待ちこがれていた兵士。
 それに連なるのは、同じく花嫁衣装に身を包んだ、玲奈とクレア。
 互いに交わしあう視線に笑みをこぼす。
「おめでとう玲奈、クレア」
 惜しみなく送られる祝辞。降り注がれるライスシャワーは白く煌く。

 連れ立つ二組の夫婦は、教会の鐘が玲瓏と響きわたる中、玲奈号の甲板にて改めて祝福された。

「ご成婚おめでとう!」

 鳴り止まぬ拍手とクラッカー。
 飛ぶ交う紙テープは七色の虹のよう。

 遠回りしたがようやっと真実の愛へとたどり着いた、少女を心より祝福する。
 玲奈とクレアは不和の女神を撃破するほどの少女の想いに、自らの想いを重ね。
 どちらからともなく、そっと繋いだ腕の先の指を絡めた ……――

「ホームポートクルーズ(クルーズ)
 ホームポートクルーズ(クルーズ)
 目覚めれば故郷の海♪
 目覚めれば彼の腕枕」




【HS】ホームポートクルーズ:終