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<東京怪談ノベル(シングル)>


秋味香辣小龍蝦(あきあじシアンラーシャオロンシア)
久しぶりの部活を終え、外に出た海原みなも(うなばら・みなも)は思わず声を上げた。
「わあ、もうこんなに暗い」
それを聞いた部活仲間が笑いながらみなもに言葉を返す。
「最近帰宅部だったからわかんなかったんでしょ。とっくに秋なの、世間は」
「帰り道とか寒いもんねー」
別の子が大げさに寒がってみせながら言葉を続ける。みなもがじゃあさ、と提案しようとしたところに最初の子が言う。
「あー、早く帰ってご飯食べたい」
「おうちであったまりたいよねー」
「あたし、今日ハンバーグリクエストしたんだー」
「いいなー。うちは何だろう。うちのお母さん、和食ばっかり作るんだよね」
二人のやり取りを聞きながら、みなもは軽くどこかで食べていかないかという提案を諦めることにした。

別れ際、二人に言われた。
「もうちょっとまめに出なよ、部活」
それには答えず、小さく笑って手を振り返すみなも。
二人の声が遠ざかる。
冷たい空気に乗ってどこからか金木犀の香りが漂ってくる。
両親は元より海外だ。姉妹たちもそれぞれ用がある。この時間に帰ってもおかえりを言う相手はいないだろう。
みなもは一旦家のほうに向けた足を、繁華街へと変えることにした。

平日だというのに、街はにぎやかだ。足早に通り過ぎる人、コーヒーショップの窓際で人待ち顔の人、赤ちゃん連れの家族、そんなに遅くもないのにもういい気分になっている焼き鳥屋の常連たち。みなもは両手でかばんを抱えて歩く。
中学生のみなもは一人で飲食店に入ることに慣れていない。かといってファーストフードを食べる気にもならない。どうしようか、と迷っている時に中華惣菜店の店頭の赤いものが目に止まった。

真っ赤で、大きさは手の平くらい。どう見てもザリガニにしか見えない。それが赤い香辛料に浸り、茹で上がった甲殻類と中華系のスパイスの入り混じった匂いを漂わせている。
目を丸くしてそれを見つめるみなもに、店員らしい中年男性が声を掛ける。
「おっ、食べてくかい? すぐ用意するよ」
店員は店の横の路地を手で示す。路地には会議机とパイプ椅子が並んでいる。この店の惣菜らしい餃子を食べている人もいる。
「え、えっと」
「今年はもう食べ収め。今食べないと後悔するよ」
畳み掛ける。みなもは答えられない。
「あんまり中学生困らせないのよ」
通りかかった女性が店員に言う。ついさあ、と店員。そのまま世間話を始めた二人に、みなもは勇気を出して声を掛ける。
「あの」
二人がみなもの方を向く。
「あたしこれ、食べてみたいんです。でも、食べ方とか、よくわからなくて」
「ああ」
「確かにあんまり食べないよね、ザリガニ」
それを聞いたみなもは少し後ずさる。
「あ、やっぱりザリガニなんですか」
「うん。でも中国語だと小さい龍のエビって書くよ」
店員がフォローめいたうんちくを語る。
「辛いのとか、エビとかカニが嫌いじゃなかったら結構おいしいと思うんだけどね」
女性が味についてコメントする。
「辛いのも、エビもカニも好きです」
だって人魚の末裔ですから、とみなもは心の中で付け加える。女性はその答えを聞き、笑顔で言う。
「じゃあ付き合ってもらっちゃおうかな。家だといろいろ面倒だし。あ、持って帰るつもりだったのかな」
みなもは首を振りながら答える。
「ここで食べるつもりではいたんです。でも、いいんですか?」
「いいよお。うち、帰っても一人だしね。せっかくなら楽しく食べたいじゃない。じゃ、決まりね」
女性は注文を通し、勝手知ったる雰囲気で路地へ向かう。みなもは慌ててそれを追いかける。
二人は店に一番近い場所に腰掛ける。店員がビニールの使い捨て手袋とエプロン、そして皿に盛ったザリガニとステンレスの小さなボウルを置き、去っていく。女性は慣れた手つきでエプロン、手袋の順に装着する。みなもは見よう見まねでそれを付ける。
みなもがエプロンと手袋を付け終わったのを確認し、女性が宣言する。
「では」
みなもは真剣な顔で頷く。
「一番おいしいと思うザリガニを選んで」
女性がザリガニを手に取る。みなももそれに続く。
「頭を外して」
頭の部分の間接に手をかけ、殻から外す。ザリガニの白い身が現れる。身の部分は親指の先ほどだ。
「かぶりつく!」
みなもは思い切って口に入れる。想像していたより淡白な味が口の中に広がる。
「どう?」
「おいしいです」
「このタレ付けるとまた味が違うよ」
二匹目は示された餃子のタレのようなタレを少し付けて口に運ぶ。何も付けずに食べた時よりさらにエビっぽい感じだ。
「あと味噌ね。蟹味噌いやじゃなかったら」
「あっ、蟹味噌も好きです」
そう言いながらザリガニの頭をすする。みなもはうん、と頷き三匹目に手を伸ばす。
女性はそんなみなもを見ながら言う。
「飲ませたいわねえ」
みなもはザリガニを頬張ったまま向かいの女性を見返す。
「おいおい、セクハラすんなよ」
顔見知りらしい男性が瓶ビールとコップを手にさりげなくみなもの隣に座りながら会話に割り込む。
「だってこの子、見てる方が幸せになる食べ方すんのよ。いや本っ当、飲ませたい」
「俺が言ったらヤバい発言はあんたが言ってもまずい発言なの。自覚したほうがいいよ」
「そういうんじゃないって。いやそういうのでもいいわよ、この際」
「いやいやいやいや」
みなもは殻を剥く手を止め、言い合う二人を交互に見ながら発言する。
「あたしは今日、こうやって食事ができて幸せですよ」
二人はみなもを見返す。みなもは急に二人が黙ったことに戸惑い、小首を傾げる。
男はみなもを見つめながらつぶやく。
「これは、飲ませたくなるな」
女性が得意げに言う。
「でしょ? わたしの気持ち、わかったでしょ?」
みなもはきょとんとするばかりだ。

結局ザリガニは三人で三皿を空にした。飲み物は男がビール、みなもはサービスのウーロン茶。
店を出て、ほろ酔いの男が言う。
「大人になったらまたおいで」
女性は酔っ払い自重しろ、と男をぶつ真似をする。男は大げさに怯えてみせる。女性はもう、と言ってみなもに向き直る。
「今だっていつ来てもいいよ。またご飯食べよ」
「はい、ぜひ」
「あとあれよ、今日は手を塩もみしてね。そうしないと匂い取れないから」
「そういえば手がべとべとです」
「でも、食べる価値はあったでしょ?」
「はい、っていうか、お付き合いありがとうございました。楽しかったです」
「こちらこそ。いいもん見せてもらったわ」
「……それはよくわからないんですけど……」

一人になった帰り道。
「あたし、ちょっとザリガニくさいかも」
明日も匂いが残ってたらやだな、とみなもは笑顔でつぶやいた。

<了>