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これも日常の一部です
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―― ……ことん
本日新たに加わった魔法薬の入った瓶を倉庫の棚に並べる。
きちんとラベルの向きを揃えて、必要なときにすぐ見つけられるように順番にも気を配る。
隣りの棚には魔法が込められた装飾品の類もあるから、管理はそれなりにちゃんとしていなくてはいけない。
手にしたバインダーの文字と、棚の文字を指でなぞり再度確認しているのはファルス・ティレイラ。前に流れてきた、長い髪を人差し指でそっと後ろへと流して、作業を続ける。
そして、それをいつからか、じっと見つめている女性が一人。
気温湿度共に最適に保つため、煉瓦づくりの一室は、外気温とは無縁の場所だ。その壁に軽く背中を預け、組んだ腕の先でとんとんと思案気に自らの腕を弾く。
ティレイラが献身的に働いている様子を眺めながら、考えていることは一つ。
(今度の修行は何にしようかしら……?)
感情の起伏が少なく、常に穏やかに見える彼女はシリューナ・リュクテイア。
しかし、今なお考え事の先にいるティレイラを見つめる瞳は幸を含んでいる様にも見えた。
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「決めた」
ぽんっと手を打って壁から背を放したシリューナに、ティレイラはびくりと肩を強ばらせた。彼女の気配に気が付けていなかったと素直に表しているようだ。
「お姉さま……?」
可愛らしく、こくんっと首を傾げたティレイラにシリューナはにっこりと笑みを深めた。
「お題を考えていたの。それも決まったし、早速始めましょう?」
いつもの魔法習得の修行とは違う、魔法の杖の扱いを習得する修行法だ。
ティレイラは、最後の一つを棚に納めて毒のない笑顔でにこり。
「よろしくお願いします」
修行は成果有り。の時ばかりではないというのに、彼女の前向きさ愛らしさは何者にも代え難い。
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魔法衝撃にも耐えうる様に作り出した特別な異空間の部屋。
シリューナは、本日の修行のために用意した杖で、こんっと石床を軽く弾く。すると、それに合わせるように小さな光の粒がふわりと上がった。
内容は魔法の杖から放たれる魔法で、シリューナが魔力を籠めた魔法生物のガーゴイルを撃破するもの。
ただ、撃破、というだけならば、それほど難易度のあるものではないかもしれない。
しかし、今回は魔法の杖に籠められた魔力が高品位な状態でないと撃破できないようにシリューナは仕込んだ。
「見ていなさいね?」
ふっと瞳を細めて綺麗に微笑んだシリューナは一歩後ろで説明を聞きながら控えていたティレイラをちらと見る。ティレイラは僅かに緊張をはらんだ面もちで、神妙にこくんっと頷いた。
―― ……がっ!!
シリューナが緩く攻撃態勢に入ったのを察したのか、ガーゴイルは引っかくように強く、石床を蹴りあげ真っ直ぐにシリューナ目掛けて襲いかかってくる。
大きく鋭い爪が、ごぅっと空を切り、シリューナはそれを軽く避けると、ふわりと靡いた長い髪が、重力に従い元の位置に戻るまでに素早く杖に魔力を籠める。
そして二度目は、だんっと再び床を蹴ったガーゴイルが襲い来るタイミングに併せて、もう一度無駄な動きも無く美しい足運びで避けると、軽く杖を降った。
杖の先から迸る魔法攻撃は、ガーゴイルを直撃。
醜い断末魔を上げた。
「ティレ、最大の注意点は杖に籠める魔力」
静かに告げたシリューナの言葉にティレイラはきゅっと唇を噛みしめて首肯する。
「それが高品位のものでなくてはならないわ」
「―― はい、お姉さま」
差し出された杖を受け取り、ティレイラは杖をぎゅっと握りしめた。それはほんの少し杖に残った敬愛する姉の温もりに力を分けてもらっているようでもある。
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ドゴォォン……
突っ込んできたガーゴイルを飛び跳ねるように逃げ避けて改めて杖を構え直す。
ティレイラの息は上がっている。
はっはっと短く吐き出す息。肩が大きく上下してしまっている。
ただ魔法を放つという芸当だけならば、難なくこなせていたはずだ。しかし、相手は静物ではない。攻撃性を持ってティレイラに襲いかかっている。
息の根をというよりはまるでいたぶるように、もうすぐ手に掛ける獲物を逃がし追いつめ楽しむかのように……。
「ティレ、集中しなさい」
「はい……っ、お姉さま」
短くかかる言葉に頷き、杖に魔力を籠める。
ほわりと杖の頭部が淡く煌めく。
「行きます!」
パン……ッ!!
弾き出された光の球は、確実にガーゴイルへと向かうが、敵は寸ででそれを交わし、再び襲いかかった。
(―― ……まだ少し早かったかしら?)
成功する確率と失敗するかもしれない確率は、半々……いや、もともと実践を想定しているものという部分では失敗の可能性が高かったかもしれない。
シリューナは、美しく整えられた指先を顎に添えて、終わりを宣言するタイミングを計る。
(―― ……集中、集中……)
タッタッタッタ……ッ……
「はぁ、はぁ」
つぅとこめかみから汗が流れ落ちる。
室温のせいか、極度の緊張のせいか……おそらく後者だろう。
「今度こそ」
ガーゴイルの攻撃を交わしながら、ティレイラは強く杖を握りしめる。
ポ……ゥ……
「いっけぇ……っ!!」
ドガァァァ……ン……。
強風に巻かれ一刹那、ぎゅっと瞼を閉じた。
がりっと石床を蹴り出す音が聞こえる。ティレイラはガーゴイルを仕留めるに至らなかった。
もう一度、そう意を決したティレイラの想いとは裏腹に、シリューナは修行の終わりを告げた。
「……え」
とティレイラがシリューナを振り返った瞬間。
どんっ! と重たいものが両肩にのし掛かり、すぐには解けないように固定される。
「残念だけれど、出来なかったお仕置きは必要よね?」
残念そうなのか、嬉しそうなのか、口角を緩やかに引き上げたシリューナにティレイラは、え……と瞳を揺らす。
その揺れた瞳に籠められていたのは、諦めか救済か。
僅かにその身を捩っても、もうぴくりとも動かない。ガーゴイルの尻尾の先が怪しく光る。
(―― これでは)
「またいつもの展開……」
あわわっと焦りを見せても遅いのはティレイラもご承知なのだろう。
ガーゴイルの尻尾は無惨にもティレイラの身体を一刺し。シリューナがお仕置き用にそこへ仕込んでいたのは、石化魔法。
その効力は僅かばかりの痛みの後、ティレイラはじりじりと重たく圧迫されるような感じに襲われ、身体の自由は徐々に奪われていった。
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「もちろん成功しなかったことは、残念に思っているのよ?」
静かに微笑んだシリューナは、ぴくりとも自分の意志で身体を動かすことの叶わなくなったティレイラの頬を撫でる。
色と動きを失い完全な石像となっても尚、彼女は愛らしい姿でそこにある。
もちろん、動いているティレイラも愛らしく見ていて飽きることはない。
「ふふ……」
しかし、この完璧に近い造形美。これを堪能するのに、石化ほど適したものはないだろう。
柔らかな流線型を象る石像を見つめ、その形を確かめるように指先を走らせるシリューナの表情には素直に悦が浮かんでいた。
【これも日常の一部です:終】
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