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<東京怪談ノベル(シングル)>


『力を求めるということ(2)』




「――神の御名において、あなたを“断罪”します」
 その言葉を合図に、白鳥・瑞科は駆けた。
 細身ながらも色気漂う豊満な肉体が俊敏に動き、狼の容貌と、禍々しき翼を持つ悪魔へと迫る。
 瑞科の振り下ろした剣と、化物の刃のごとき爪が、火花を散らしてぶつかり合った。
 その瞬間、瑞科は自分のこの怪物に、圧倒的な力量差があることをしっかりと感じ取った。
 そして彼女の心に浮かんだのは、こんなものか、という感情だった。
 ――悪魔に魂を売って、人の姿を捨ててまで、得た力。けれど、この程度では、わたくしに指一本ふれることもできない。
 二合、三合と剣と爪を打ち合い、瑞科が不敵に笑う。
「ほらほら、あなたに合わせてさし上げていましてよ? せっかく、悪魔と契約して得た力なのだから、もう少しほねをみせていただけませんか」
 瑞科の挑発に、悪魔が唸るように喉を鳴らして反応した。
 放たれた鉤爪による大振りの攻撃は、しかし瑞科の眼前を空振ってゆく。
 まったく無駄のない、瑞科の回避であった。
 さあ、反撃だ。
 ばちり、と瑞科の手から、何かが弾けるような音。
 ばち、ばちばちばち、と火花をちらし、生まれた幾筋もの稲妻が、眼前の悪魔を徹底的に打ち据えた。
 肉の焦げる、嫌な匂い。
 化物の口から、耳をつんざくような悲鳴が上がった。
 この武装審問官には、とても敵わない――それを思い知ったのだろう、悪魔は、体中からぶすぶすと黒煙をあげつつ、翼を羽ばたかせ宙を舞い、逃走に移った。
「あら、殿方が敵前逃亡だなんて、情けない」
 ――宙を飛べば、わたくしから逃げられるとでも思っているのかしら。
 さらに稲妻で痛めつけてやるのもいいが、ふと、瑞科はあることを思いついた。
「せっかくですから、わたくしのとっておきも披露させていただきますわ」
 言うや、瑞科は手のひらから重力弾を放った。それは瑞科のすぐそばで破裂し、発生した重力場が彼女を包み込む。
 瞬間、彼女のヴェールが、スリットの入った戦闘服の裾が逆にはためき、瑞科の体が宙へ浮かび上がる。
 ……いや、浮いているのではない。
 浮いているのなら、ヴェールや戦闘服の裾が逆にはためいたりはしない。
 彼女は自らを包み込む重力場を利用し、重力を逆転させ、宙へ“落ちている”のだった。
 瑞科ほどの使い手となれば、こうした応用法も可能となる。
 蠱惑的な脚も露わに、悪魔めがけて一直線に“落ちて”いった彼女の剣が、悪魔の胸をぶちぬいた。
 それだけでは終わらない。
 銀光が十字状に閃くや、悪魔は瞬く間に四つに分断され、崩れ落ちていった。
 再び重力を逆転させ、ふわりと地に降り立ち、髪をなびかせた瑞科の顔には、柔らかな微笑があった。
「――任務達成ですわね」
 そして、少し物足りないですけれど、と付け足すのも、彼女は忘れなかった。





 任務を終えた瑞科は颯爽と“教会”本部へ帰還した。
 すぐさま、司令官である神父の部屋へ向かう。
 途中、廊下で行き違う“教会”の構成員が、瑞科の豊満な肢体に釘付けになっているが、これはいつものことなので、彼女もまったく気にしていない。
 やがて彼女は、神の祝福を受けた大きな銀の十字架を飾る、黒檀製の扉の前に立った。扉を二回、ノックして言う。
「白鳥・瑞科です。ただいま帰還いたしました」
「おお、あなたですか。入ってください」
 返事をして、そっと扉を開く。
 扉の向こうには、小さな礼拝堂があった。
 神父は壁に飾った十字架の前に立っていて、瑞科を慈愛に満ちた笑みで出迎えた。
「よく、無事に戻りましたね、瑞科さん」
 優しい声で、そう語りかける。
 神父は、一見、要職についているとはとても思えない丁寧で優しい口調の持ち主で、彼が瑞科を信頼しているように、瑞科も彼に全幅の信頼をおいている。
「ええ、あの程度の任務、造作もありませんわ」
「そうでしょうね。まったく頼もしい限りです。それで、首尾はいかがでしたか?」
「前情報通り、構成員は全て魑魅魍魎と化しており、組織の長も上級の悪魔と契約していたようで、わたくしの目の前で、化物の姿に変じました」
「そうでしたか……。なんと罪深い……」
「構成員、及び組織の長は殲滅完了。悪魔との契約に使われたと思しき書物、機器、魔法陣は全て破壊済みです」
「なるほど。否のつけようのない、完璧な仕事ですね。いやはや、あなたがいてくれて、本当に助かっていますよ。次もぜひ、よろしくお願いします」
「ええ、わかりました。けれど、次は張り合いのあるものを、お願いいたしますよ? こう楽な任務ばかりでは、体がなまってしまいますから」
「力強いお言葉です。では、次もぜひ。わたしは、悪魔に魂を売り渡したものたちのため、祈りを捧げていましょう。あなたに神のご加護があらんことを」
「神のご加護を、神父様……」
 そう言って、瑞科は神父の部屋を後にした。
 廊下を歩きながら、彼女は、ある言葉を思い出していた。
 自分の前で醜い化け物と化した、あの男の言葉。
(人は、力を求める。たとえ、悪魔に魂を売り、けだものの姿へ変じてしまうのだとしても、欲しいもの、全てを手にするために。そしてその気持ちは、わたくしには決して分からない……)
 本当にそうなのかしら、と思う。
 力とは、そうまでして欲するものなのか。
 確かに男の言うとおり、瑞科には分からない。
 考え続けたところで、わかる日がくることは、絶対にないだろう。
 力を、他のものから得ることを求める者たちの気持ちなど……。
「哀れ――ですわね」
 ふと立ち止まって、そう呟く。
 そして、自分が手にかけた者たちの魂が、神に救済されることを、瑞科は祈った。

            力を求めるということ(2)』了