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<東京怪談ノベル(シングル)>


「【HS】スリナム予防侵攻」


 キューバ。炎に包まれる“虚無の境界”の宮殿。“IO2”怒涛の侵攻により、キューバはまさに陥落寸前であり、“虚無の境界”が本拠をおく宮殿も例外ではない。“虚無の境界”盟主、巫浄・霧絵は窮地に陥っていた。
 彼女を追い詰めているもの、それは“IO2”の兵士たち以上に、とある少女の存在が大きい。他でもない“虚無の境界”が生み出した人造妖怪――三島・玲奈である。
「邪魔よっ!」
 玲奈は限りない怒りを露わに、彼女を迎え撃つ“虚無の境界”の雑兵どもを眼力光線でなぎ払いながら、霧絵の居る宮殿深部へ突き進んでゆく。
「霧絵! 出てきなさい! 母を誑かして殺し、あたしを兵器へ改造した恨み、今こそ晴らしてあげるっ!」
 叫ぶ玲奈はしかし、次の瞬間、はっと息を飲む。次に彼女の行く手を遮ったのは、こともあろうに、“虚無の境界”が作りだした実母のクローン体だった。それも、一人や二人ではない。数えきれないほどのクローン体が、あっという間に玲奈を取り囲んだ。
「玲奈、もう、無理をしなくていいのよ」
 優しい声。――ああ、間違いない。母のものだ。玲奈は涙をこらえ、唇を噛み締める。違う、これは母じゃない。まがい物だ。存在しては、いけないものなのだ。
 かっ、と目を見開き、光線を放つ。大多数の母のクローンが、一瞬で消滅した。
 玲奈は止まらない。どんなことがあっても、止まるわけにはいかない。
(――よくも、こんな卑怯な手を。絶対に、許さない……!)
 必ず、霧絵を仕留める。それだけを思い、張り裂けそうな心に気合を込め、玲奈は走る――。


 三島・玲奈の特攻。その知らせを受け、巫浄・霧絵は焦りを隠しきれなかった。足止めはそう長くはきかない。彼女は瞬く間に、自分の元へとたどり着いてしまうだろう。
 まさか“IO2”の攻撃がこれほどまでとは、予想していなかった。
 何より玲奈の存在、それが霧絵にとっての痛手だ。あれは“虚無の境界”の創りだした最強の人造妖怪。その恐ろしさは誰よりも霧絵がよく分かっている。今、この戦況で、彼女を迎え撃つのは非常にまずい。
「このままだと分が悪いわ。総員、ナニータウンへ退避! 態勢を立て直すのよ!」
 霧絵の命令が、神殿深部へ響きわたる……。



 オランダ領、シント・マルテンの空港。戦艦玲奈号を筆頭に、“IO2”の戦力が勢ぞろいする前線基地では、宴会が催されていた。“IO2”のキューバ侵攻は大成功をおさめ、キューバにおける“虚無の境界”の勢力は壊滅状態である。
 盛り上がる宴会の片隅で、玲奈はグラスを片手に溜息をついている。結局、あの後霧絵を捕まえることはできなかった。いくらクローンとはいえ、母の姿をしたものを手に掛けたことも、彼女を苦しめていた。
「……母さん」
 再び溜息をついて、そっと目を閉じた時、玲奈は不思議な光景を、まぶたの裏に見た。
 密林である。恐らくは、南米スリナムの密林。そこに、母の姿があった。そして、憎むべき敵――巫浄・霧絵の姿も。
 目を開いて、玲奈は呆然とする。――今のは、何?
「母さん、生きてるってこと……? そして霧絵も、そこにいるっていうこと?」
 確か、南米スリナムの密林には、マルーンと呼ばれる黒人逃亡奴隷の末裔が住み着いている。そこに、ナニータウンという名のマルーンの村があったはずだ。
「そこに、いるのね……」
 天啓を受けたように、玲奈の表情が険しくなった。


 玲奈はすぐさま宴会場に顔を出し、幾人かの、素面の兵士たちに声をかけ、スリナムの密林へ急いた。――この深い密林のどこかにあるナニータウンに、母と、霧絵がいる。今度こそは、逃がさない。絶対に仕留めてみせる。
 逸る気持ちを抑え、彼女たちは密林を進む。その時、風を切って飛来した一本の矢が、玲奈の頬を掠めた。
「っ!」
 しまった、奇襲だ。玲奈は息を飲む。どこから……?
 辺りを見回そうとした、玲奈の視界がぐにゃりと曲がった。
「な、何……?」
 思わず膝をつく玲奈。先ほど矢をかすった、頬の傷が燃えるように熱い。まさか、毒……?
 景色が、歪み、滲む。ぐるぐると回る。上と下、右と左、何もかもがわからなくなり、溶けてゆく。渦をまいた景色が、逆向きに回転をはじめ、再び鮮明さを取り戻した時、玲奈は、自分が白王社にいるのに気がついた。
「え……?」
 呆然とする玲奈。そんな彼女の肩を、ぽんぽん、と何者かが叩いた。振り向いてみると、そこにはこの白王社の編集長、霧絵の姿があった。
「玲奈さん、この発注文を作家さんにメールしてもらえるかしら?」
 そういって、彼女は玲奈に発注文の書き込まれた書類を手渡してきた。
「え、え……?」
 どういうこと? 玲奈は目を丸くする。そして今しがた手渡された書類に目を落とすと、大きな黒文字でこう記されている。

 ――世界は、こうして“記述”されている。

「ど、どういうことよ! 意味わかんない!」
 そもそも、ここはどこ? 本当に白王社? いや、違う。そんな訳がない。だってあたしはさっき……。
 再び景色が歪む。
 我にかえり、顔をあげると、玲奈たちはマルーンに包囲されていた。
 ――“戻ってきた”。
 そうだ、あたしは今、奇襲を受けていたんだ。膝をついている場合ではない。
 玲奈は霊剣を抜き放ち、一息にマルーンたちを薙ぎ払う。一閃。剣の軌道が光を描き、視界を、いや世界を包み込んでゆく。
 三度、景色が歪んだ。
 気づくと、玲奈はシント・マルテン空港前線基地の宴会場に立っていた。周りからは拍手と称賛の嵐。なぜこのような状況になっているのか――もう、玲奈には全くわからない。
 冷や汗を流し、呆然とする玲奈の視界の端に、ふと、不穏な影がうつった。
 そちらへはっきり目を向けると、“IO2”の兵士たちの中に、なんと、巫浄・霧絵の姿があった。彼女は怪しく微笑み、じっと玲奈を見つめていた。
 拍手の音が、兵士たちの声が、すぐそばにあるはずなのに、どんどん遠ざかってゆく。
 騒がしいのに、ひどく静かに思えた。
 そんな、不可思議な静寂の世界で、霧絵が冷たい声で、ぽつりと言い放った。
「京都に来なさい。そこで、全てがわかるわ……」
 そして、嘲笑。あっ、と声をあげる間もなく、霧絵は、宙へ溶けるように姿を消した。
 ――京都……?
 霧絵の言葉が、脳裏に蘇る。
 いったい、何が起こっていたのか――玲奈には分からない。
 彼女はただ、汗に冷えた手で、霊剣の柄を握り直すことしかできなかった。

                
「【HS】スリナム予防侵攻」 了