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<東京怪談ノベル(シングル)>


告白、そして


 晩秋の夜である。月が冴え冴えと、氷のように美しい。
 その月の光の下で、クレアクライン・クレメンタイン――彼女は悩んでいた。
 いや、その心の中を考えると、『彼』と呼ぶべきか。
 ほっそりとした、典型的な才女の姿をした彼女であるが、中身はごく普通のフリーカメラマン――その名も鶴橋亀造。
 ただの肉食系男子だった彼がどうしてこうなったのかは色々と事情があるわけだが、寒空の下で悩んでいてもどうしようもない。
「寒……」
 思わずそう呟いてベランダから室内に入り、なにかはこうとタンスに手を伸ばそうとして、はっと気づく。
「ああ……そっか。俺、いや私……クレアになったんだっけ」
 クレアという人物の立ちふるまいを踏襲するため、いまは滅多にズボンをはくこともない。タンスのなかにはもちろんズボン下なんて野暮なものはもちろん、ズボンのたぐいももなく、きれいに整えられたスカートばかり。
「うー……ちっくしょう! 俺だって本当なら今頃の時間ならナンパもしまくるのによぉ……!」
 肉食男子の中身は、そうそう変えられるものでもないらしい。そんなふうにブツブツと呟いていれば、隣室からは呆れたような妻の声。
「うるさいわね。女、女、って。そんなに女が好きなら、『かもめ水産』にでも行けば?!」
 そう言い捨てると、クッションを投げたかのような音が壁越しに聞こえる。
「……そうか、『かもめ水産』か」
 クレアは妙に納得してしまった。
 港区内にあるカフェバー『かもめ水産』といえば、『ドレスコードはスカート限定』という場所で、同族――エルフの若い女性たちが良く出入りをしているのだという。
「一度は行ってみる価値は、あるかな」
 クレアは頷いて、早速出かける準備を始めた。

 足をほっそり見せるヒールパンプスにあわせたのは、マーメイドラインの美しいミドル丈のスカート。上はカットソーにカーディガン、さらにその上に薄手のコートを羽織っている。
 クレアはおそるおそる、『かもめ水産』のドアを開けた。
 初めて行く場所だし、何より先だってのドレスコードゆえ店長はじめ客もすべて女性。自分も姿は女性だが、中身は若い男なわけで、戸惑わないわけがない。
「あら、見ない顔ね」
「こちらには最近来たのかしら」
 店の客達が興味深そうにクレアを見つめる。その耳は、たしかに尖っていた。聞いていた話は本当らしい。
「いらっしゃい、こちらにははじめてかしら?」
 女店主の優しい言葉。女性ながらに店を切り盛りする姿は優しく、母性にあふれていた。
「え……あ……」
 一瞬挙動不審になってしまったが、コクリとクレアは頷く。
「店が終わるまでまだまだ余裕あるから、ゆっくりしていきなさいな」
 まだおどおどしているクレアをカウンター席に案内すると、そして女主人はにっこり微笑んだ。
 途端、クレアの中にあったもやもやとした何かが弾けた。
「うっ……マスター……っ」
 これまでのことを思い出して涙目になるクレア。それを見たからだろうか、マスターは彼女の前にホットミルクをおいた。
「落ち着くわよ、とりあえずこれでも飲んで」
「あ……ありがとう……」
 受け取って飲んだそれには、やさしい蜂蜜の香り。
「とりあえず話してみなさいな。私で良かったらアドバイスもできるし」
 マスターはクレアを見つめて微笑む。その言葉をきっかけに、彼女の中から言葉が溢れだしてきた。
「お、俺……本当は死ぬところだったんだ。あ、俺は本当は男で、フリーカメラマンをしてたんだ。ひょんなきっかけで死ぬはずだったところを……嫁の友人の身体に入れ替わることで生きながらえたんだ」
 そう、そしてその『嫁の友人』こそが、本当のクレアクレイン・クレメンタイン。
 クレアの身体をした亀造は、涙を止められなかった。
 それまでの自分とは全く違う生き方をしていたクレア。自分は肉食系男子だが、クレアという人物は才色兼備の知的な女性で――どうしてもそのギャップは否めない。
「この身体の本当の持ち主は、国を脅かす龍を滅ぼすために犠牲となった……だれも彼女を止められなかったし、彼女にしか出来ないことだったけど」
 それでも、彼女は死んでしまった。
 それは紛れもない事実で、いまも夢に見る。
 本当のクレアが、夢に出てくる気がする。
 彼女の居場所を奪った己に対して、なにか言われている気がする。
 身体を結論として奪ってしまったこと、それについては悔やんでも悔やみきれない。
 けれど、『今のクレア』だって、言いたいことがないわけではないのだ。
 男であった自分が、気づけば女になっていた。
 それだけでも当人にとって見れば相当ショックな事実であるのに、、回りはその事実を知ってか知らずか、『元のクレア』と比較をする。
 比較される方は溜まったものじゃないし、比較されても変えようのないところだってある。
 肉食系男子だった自分が、それを満足に発散できず、どうしていいかわからなくなっている。
「本当ならもっと若い女の子に囲まれてウハウハとか、したくないって言ったら嘘だ。むしろやれるものならいますぐにだってやりたいさ! だけど今の俺は品行方正な『クレアクレイン・クレメンタイン』女史であって、『鶴橋亀造』じゃない……誰も俺のそんな姿を望んじゃいない。このままじゃおかしくなっちまいそうだよ」
 肉体と精神のバランスが崩れてしまいそうだと、そう訴えて。
 じっさい崩れているのだろう。女性の身体に男性の精神では、長く保つはずもない。
 マスターは、それをいやな顔ひとつせず、じっと聞き入っていた。
 そして、ふっと微笑む。
「笑わないでくださいよマスター! こっちは真剣に悩んで、真剣に打ち明けたんだから!」
 クレアは涙声で反論した。するとマスターは「そうじゃなくて」と一言断りを入れてから、
「いや、君のその発言。もちろん嘘なんてないって、わかるわよ。こんな事で嘘をついても楽しいもんですか。それよりおかしかったのは、その言い分が、まるでバブル期の女性そのものに見えたのよ」
 二十世紀も終わりを迎えようとしていた八十年代に現れ、文字通り泡のごとく消えいったバブル。
 その頃の女性を彷彿とさせるのだとマスターは言う。
「そういう生き方も存在しているのよ。君にはむしろ、相応しいわ」
 マスターは笑顔だった。更に言葉を続ける。
「それなら逆に、そのように生きてみることも、一つありだと思うけど……ボディコンを着て、キャリア系のOLでもなればどう? 当時の女も肉食系だったんだから、ね?」
 それを聞いたクレアは、ぱっと顔を明るくした。
「そうか……そういう手があったか! どうして今まで気づかなかったんだろう」
 それはきっと、それまであったクレア自身のイメージを、クレア自身が壊したくなかったから。無意識レベルで拒絶していたのだ。
「マスター、何だか楽しくなりそうだ。一杯、カクテルをもらっていい?」
 クレアはそれからしばらく、マスターと話し込んでいた。

 それからしばらくたったある日。
「うわ、遅刻するっ!」
「ちょっと、洗面所を独占しないで」
「うるさいな、全く」
 そんな会話が洗面所を舞台に繰り広げられる。
 無事に商社のOLとしてのスタートを切ったクレアは、今日も支度に余念が無い。妻と喧嘩しつつも身支度はしっかりと。
 そうして水を得た魚のように、意気揚々と出かけるのだった。