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<東京怪談ノベル(シングル)>


古書とヒト、その意志と想いと
「ここが噂の古書肆淡雪かぁ……」
 セレシュ・ウィーラー(セレシュ・ウィーラー)は古びたビルを見上げる。彼女の視線の先にはこれまた古ぼけた分厚い木の板に書かれた「古書肆淡雪」の文字。
「果たして探しもんはあるやろか……」
 ごめんくださーい、と言いつつ彼女はとことこと店内に。
「はいはい、いらっしゃいませ」
 大量に立ち並ぶ本棚の向こうから男性の声が聞こえ、さらにはぱたぱたと足音もする。
 漸く彼女の前に姿を現わしたのは、眼鏡の中年男性だった。
「何かお探しですか?」
 古書肆淡雪店主、仁科・雪久は穏やかに問いかける。
「神話時代の記述がある本を探してるんやけど」
 ここなら色んな本が揃ってる訊いて来たんや、とセレシュは述べる。
 本棚をさらっと見ただけでもかなりの量。そして、マニアックな品揃えである事はセレシュにも理解出来た。もしかしたらここならば確かに神話時代に関わる本も見つかるかもしれない。
 ベストなのは神話時代に書かれたモノだが、さすがにそれは厳しいだろう。
 だがその時代に限りなく近いモノならば。
 更に言えば武具・道具に関する情報が得られれば彼女の研究は捗る事だろう。
「神話の時代……どこの地域の、という希望はあるかな?」
 雪久に問われセレシュは答える。
「どこでも良いんやけど、できれば装具に関するものが欲しいんよ」
 彼女の言葉にふーむ、と雪久は小さく唸り、そしてポンと手を叩いた。
「ちょっと待っててくれるかな?」
 ぱたぱたと店の奥に引っ込んで暫し。
「あった、これはどうかな」
 引っ張り出されてきたのは確かに古い本だった。
「最近店に入ったばかりのものでね。恐らく古代ギリシア絡みのモノだと思われるんだけれど……姿を透明にする金の指輪の作り方が載っている……と言われているよ」
 即座にセレシュは自分の記憶からその指輪に関する話を引っ張り出す。
「その指輪、架空のものやなかったんか?」
「私もそう思ってはいたんだけれどね……」
 雪久曰く、本自体も近年作られたレプリカという感じでもないらしい。素人目にはよくわからないものの、古書店店主として働いている雪久の目を欺くことは難しいだろう。
 尤も、雪久の目が節穴でなければ……という注釈はつくが。
 勿論本自体は実際に古いものだが、指輪の作り方がただのフィクションである可能性は十二分にある。ならば専門知識を持つセレシュが自分の目で確かめるしかあるまい。
「見せて貰ってええやろか?」
「ええ、勿論」
 雪久に席を勧められ、セレシュは椅子に座って本文へと目を通していく。邪魔をしないようにとばかりに雪久は彼女の傍を離れ、そして暫くしてからお茶を運んできた。
 セレシュはひたすらに集中し、ページを捲る。
 確かに指輪の作り方について書かれているらしい。
 ……書かれているらしいのだが。
(材料の固有名詞がわからんなぁ……)
 むう、と額にしわを寄せつつ彼女は必死に読み下す。
 コレが確かに貴重な資料なのはよくわかる。だがはっきりと理解できないのは困る。
「仁科さん、ちょっと訊きたいんやけど」
「何なりとどうぞ」
 笑顔で傍によってきた仁科にセレシュは本文の一部を指さし。
「これ、どういうものか分かります?」
「うーん……流石にネットで検索してもわからない……よね?」
 困った顔の雪久。その答えを聞くにどうやら彼も詳しくないあたりだったらしい。
「役に立てなくて申し訳無い」と雪久は頭を下げる。そんな彼へと礼を述べ、セレシュは再び本へと向かう。
 この本は確かにセレシュが望んだ神代の、それも道具にまつわる本。解読が出来れば研究に役立つことは間違い無い。
 しかし……まずわからない部分が多く、現状では読むことが出来ないのだ。
 雪久に問うた所、レアな事もあってか中々の値段。
 読めればそれだけの価値があるものなのだろう。
 ……読めれば。
 セレシュの心の中、天秤が揺れる。果たして買うべきだろうか? と。
 今買わなければ他の誰かに買われてしまうかもしれない。
 それでも良いお値段のシロモノ。気軽においそれと買えるものでもない。
 いくら貴重な本でも読めなければ――意味は無いのだ。
 煮え切らずページをいじりながら悩む彼女。そこに。
「もー、おねーさん、何なやんでんのさ!」
「え?」
 突如かけられた少年っぽい声にセレシュはちょっと驚いた。
 まず右を見る。そこには驚いた顔で周囲を見渡す雪久が。
 左を見るが、特に人は居ない。
 念のため上方も見やる……も、ただ天井があるばかり。
 ならこの少年っぽい声は一体どこから?
 いくら何でも雪久の声はこんなに若く無い。それに彼の驚きっぷりを見るに流石にセレシュの事をからかおうという趣向ではなさそうだ。
「ここだよ! ここ!」
 声の方向はセレシュの手元だった。
「まさか……この本……?」
 セレシュと雪久が慌てて本をじっと見つめると、開いたページの間からにょこっと1人の少年が「生えてきた」。
 金髪に金の瞳。精々手乗りサイズの少年はセレシュを見上げる。
「僕さー、この本に住んでるモノだけど、おねーさんホント煮え切らないね。何迷ってるの?」
 なんだか生意気な調子で少年は喋る。
「そう言われても……ああ、そうや!」
 ぽん、とセレシュは手を叩き。
「ちょっと訊きたいんやけど良い?」
 ぺージの上の少年には一旦机へと移動してもらい、彼女は先ほどの読めなかった材料のページを開く。
「これ、どんなものか分かる?」
「ああ、これなら見たことあるよ!」
 にこにこっと笑う少年にセレシュは食いついた!
「見たことがある? どんなものだったか教えてくれへんか?」
 眼鏡の奥の青の瞳を輝かせ、セレシュは懸命にメモを取り始める。
 少年も鼻高々と言った様子で身振り手振りをつけて彼女に語りきかせている所だ。
 そんな2人の様子を微笑ましく見守り、雪久は邪魔にならないようにと店の奥へと引っ込んだのだった。

 ――それから暫くして。
 セレシュのメモ用紙は様々な絵やら文字やらが大量に並んでいた。
「何か収穫はあったかな?」
 一段落ついたと思ったか、雪久がお茶のおかわりを持ってきた。本は閉じられ、少年もどうやら本の中へと帰ったらしい。
「それがなぁ……残念やけど現存しないもんらしいんや……」
 世の中そんな甘くないわな、と彼女は力なく笑う。
「いや、わからないよ?」
 雪久の言葉にセレシュは目を見開いた。
「架空のモノとされた指輪の作り方が分かるくらいだろう? どこかにそれに繋がるものがあるかもしれないよ。例えばここの本の中……とかね」
 こんこん、と手の甲で軽く本棚を叩く。本の世界に入り込み、材料を取ってくれば良い、と雪久は言いたいらしい。
 希望はゼロではないのだ。
 ……となると更に気になるのは手元の本。
「……しかしこの本、どうしたもんか……」
 セレシュは困ったように表紙を撫でた。
 彼女としてはこの本は貴重な資料。何せ、望んでいた神代の武具・道具に関わる本。先ほどまでは読めなかったが、あの付喪神と思しき少年が手伝ってくれるのならば、解読はかなり楽になる事だろう。
 出来る事ならば、いや、本当の所は喉から手が出る程欲しい。
 しかし――。
 セレシュにはどうしても気に掛かる部分があった。
 というのは、この本が意思を持っているという事だ。
 意思あるモノを売り買いするというのは、彼女にとっては正直な所抵抗があった。
「仁科さんはどう思います?」
「私? 私は……そうだなぁ。書店員として言うならば、買ってくれるのは嬉しいよね」
 そうすれば私も糊口をしのげる、と彼は笑う。
「でもね、この本の事を訊ねるなら相手は私じゃないさ……きみはどう思う?」
 雪久が声をかけた相手はセレシュでは無かった。
 ぱらり、と本が開かれる。現れたのは先ほどの手乗りサイズの金髪少年。
「え? 僕?」
「そう。君はこのお姉さんに付いていきたいかい? それともうちの本棚で別の人が来るのを待つかな?」
 雪久はストレートにそう訊ねた。
「そりゃ、このおねーさんについてくに決まってるでしょ! おねーさん知識凄そうだし、一緒についてったら面白いもの沢山みられそうだしね!」
 にこっと満面の笑顔で少年は即答。
「……だそうだよ」
 答えを聞き雪久は本を持ち上げセレシュの手の上にぽん、と載せた。
「えっと、じゃあお金を……」
 財布を探すセレシュに雪久は続ける。
「お代は結構。彼がついていく、って決めただけの話だしね」
 雪久もまた意思ある本を売買するのは少々躊躇いがあったのかもしれない。
 とはいえセレシュはもう1点気になる事があった。
 現持ち主は本を販売して生計を立てているわけで、それを考えれば気軽に受け取れるものでも無い。それに先ほど聞いただけでも値段は相当なものだ。
 そんな彼女の戸惑いを見抜いたように雪久はあっさりこう答えた。
「そうだなぁ……どうしても気になるというのなら、今後も当古書店を贔屓にしてくれれば構わないよ。一般書籍もあることはあるし、それに『彼』の世話とかも色々あるだろうし、その際は他の本を資料として買ってくれれば良いさ」
 そもそも、君と縁ある存在だから彼はこうして姿を現わしたんだと思うよ、と雪久は笑ったのだった。

 ――東京の冬空はもう既に暗くなりはじめていた。
 セレシュは本を抱えて古書店から外へと出る。
「気をつけて。彼とも仲良くしてやってください」
「勿論です」
 雪久の言葉に笑顔でセレシュも答える。本の端からは少年が顔を出し雪久へと手を振っている所だ。またのご来店をお待ちしております、と笑顔で告げられセレシュは古書店に背を向け歩み出した。
 ほんのすこしだが、彼女の頬が綻ぶ。
「おねーさん、どうしたの?」
 本の端から顔を出した少年の不思議そうな顔に、セレシュは笑んだ。
「ん? そやなー、ちょっと良い事があった、かな?」
 少なくとも雪久はこの本をただの物体としては見ていなかった。
 売り買いするだけのモノなら「彼」などと呼びはしないだろう。その事実はちょっぴりだがセレシュの胸を温かくする。
 それは、東京の寒空の下でも冷え込む事なく彼女の胸の内に留まり続けたとか。