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<東京怪談ノベル(シングル)>


■ナナメウエ図書館■





 すらりと流れ落ちる美しい金髪。それが白い面差しを飾る一人の女性。
 彼女は閉ざされた扉を背に佇んで、青瞳をきらりと巡らせた。それだけで惹かれ、ふらふらと近付いてしまいそうな色めいた眼差し。だがそこに警戒を抱く者も少なくはないだろう。どこかしら油断ならない、そう、狡猾さを彼女のどこかに感じ取ることが出来るならば。
「……!」
 と、いいたいところだが、彼女の周囲にそういった人々は存在せず、そもそも存在からして見当たらず、第一に人間自体がその空間には、
「……静寂すぎるわ」
「モスカジが誇る防音材です」
 彼女と、彼女に付き従う何人かと、遠くで作業に勤しむ大勢と、といった構成だったのでまるで密度が足りておらず、彼女がどれだけ印象の強い存在であったとしても意味はなかった。
「同じ場所にあるなんて思えないわね」
 そして青い瞳をきらきらと輝かせて己の前後を見比べる彼女には『狡猾』などという単語はおそらく大多数が繋げて考えたりは、出来ないだろう。それも無理はない。彼女の内面に『狡猾』などという要素は存在しないのである。ぱっと見ただけのイメージなんて裏切られてナンボな人物。それが彼女、リサ・アローペクスだった。
 さて、リサが建物内の静けさに驚く程の場所とはどこなのだろうか。
「通関済追加ー!」
「右手奥から回って担当に渡せ!」
 答えは羽田空港。その一角。
 端というには随分な広さだが、とりあえずは端を利用する形になっている、そこだ。
 モスカジ社――世界屈指の総合商社が自社専用としている一帯。専用輸送機が駐機場に向かう音、通関を済ませて地下物流倉庫へと荷物を運ぶ作業の声、そういったものが雑多に溢れる場所。付け加えるならば、一般に利用されている通常の空港部分からの音だって届かないわけでもない場所だ。つまりなかなかに、ざわついている。
 そんな場所に突貫工事で建設中の倉庫、ではなく倉庫型図書館の入口が、リサの現在位置であった。そして防音材の優秀さを実感したところ。さらに最初の驚きを通り越し、館内奥で作業する社員達と思しき声を拾い始めたところである。
「もう書架も見て回れるのかしら」
「陳列作業中で宜しければ」
「かまわないわ」
 ニューヨークから到着したばかりのチャーター機。そこから運び出されたばかりの大量の本。これから探検する書架に現在進行形で並べられていく様を想像してみるだけで面白い。にこりと笑ってリサは社員に頷いた。一見すると含みのある笑顔だったが、実際のところはストレートに含みのない笑顔であった。



 ** *** *



 今回、縁有ってリサが参画することになったのは配偶者が営む会社。
 となれば立場が立場であるし、リサ自身がそもそもアローベクス家令嬢という肩書を持つアルファブロガーである。驚天動地、なぞと揶揄されるようなブロガーを、ごくごく普通に一般社員に出来るだろうか。ちょっと勿体ない。
 そういった何方向からの見方の結果、当たり前に彼女には重役の椅子が用意されている。書類上だけでなく現実に。
「ここは執務室?」
「司書室です」
「さっきの看板のあったところは書斎よね?」
「書斎です」
「…………」
 そして現実での重役の椅子は、ここにあった。案内の社員曰くの司書室に。
 はて重役の椅子というものは司書室にあるものだったっだろうか。名ばかり重役の椅子だけがとくべつなのだろうか。書斎にあるのとどちらの方が似合うだろうか。そういえばあの『司書:亜楼辺楠 理沙』という看板はなかなか面白かったが役職名での看板もあるのだろうか。まあいい。配偶者の用意したものであるのだから、問題無し。
 司書室――と言われるだけで、別に際立って司書業務に適した配置でもなく、重役の椅子に似合う空間を整えているわけでもない、そこをゆったり歩いて眺めていくリサ。ひとしきりその部屋のインテリアなども楽しんだ彼女は、屈んでいた背中を伸ばすと、流れ落ちる滑らかな金髪を何気ない動きで背中に戻した。動作ひとつ取っても様になるのだが、第三者への印象を計算しているかといえば、そんなこともないのは常のことである。
 そうして司書室だか重役室だか混ざっちゃったのか、な名称としてはやっぱり司書室なそこの中央で、身を起こしたリサ・アローペクスは愛をこめて言葉を紡いだ。
「この素晴らしき想定外の斜め上」
 大多数から離れた発想と付随する行動力。その才覚で配偶者は財を成した。そんな愛する配偶者を褒めるとき、リサはいつだってこんな風に言うのである。
 商業施設にでも展開されていそうなフードコート、自販機コーナー。それを併設した読書室。へたをしたら眠ってしまいそうな、ゆったりと心地よいソファーの置かれた視聴覚室。勉強室も作られていたけれど、そこはさながら寺子屋。時代劇で見るような光景が、そのくせ四十畳ばかりの広さに相応しい規模に拡大されていたのは、なかなかに壮観だった。
 世間一般的に連想されるもの、想像されるもの、そんな『普通』を軽々と裏切り、思わぬ方向へと発展させる行動力。目を丸くする程度は当たり前の反応になる、そんな彼女の奇想天外をリサは愛してやまない。
(――――)
 音にせず、愛する相手の名前を呼ぶ。伴侶を想ってリサは唇を綻ばせ、眼差しを和らげる。ほっそりと優しく息を落とす。
「ん。それじゃあ探検させて貰うわね」
 それから、さて、と振り返って案内役に宣言すると、丁寧に礼をする社員に見送られてリサは書架へと足を向けることにした。
「さてさてどんなことになっているかしら」
 未だ陳列作業中の一角もある書架。
 言葉の意味を確かめたくなる規模のそこが、単純に膨大な量の書籍を収めていくだけの場所だなんてリサは思っていない。いや、愛する伴侶のことだから、といったある種の期待を持っていると言うべきか。
 うきうきと、それこそテーマパークに足を踏み入れた子供のように瞳を輝かせて、靴音高く彼女は書架へと入り込む。並べられた本達がリサを誘い、右へ左へと忙しなく眼球を彼女は動かす――と。
「ん?」
 活躍中の視界の中に、なにやら横切る黒い影。見間違いでなければ蛇だ。しかし黒蛇なんて入り込めるのか。それとも錯覚か。ぐるりと周囲をリサが見回す。黒蛇と思しき影は見当たらない。しかし見回した中で、引っ掛かるものがあった。なにやらまとめて掲示してあるアートの一角だ。それは白紙にあれこれと書き殴っているような、そんなアートだった。
「……書道という奴?」
 近付いて首を傾げ、呟くリサの前。
 その沢山のアートはもぞもぞと蠢いており、見るからに何かが起きそうだ。となれば、と半綴じの古書を一冊手に取ってリサはそれを紐解く。傷めないように幾分か慎重に、開く。
「あら!」
 途端にそこから飛び出したのは、色鮮やかな花だった。瑞々しい花がいくつもいくつも、古書に記されていたのだろう墨色も濃い文字に絡んで溢れてくる。満開の花の色彩と、それを逆に飾るような白黒の紙と文字のコントラスト。花が溢れる程に古書が踊り、舞い上がる。
 観ていたいたリサは堪らないと言わんばかりの笑みを、その美しい面に乗せた。そしてぽつり。
「面白い」
 言うなり手近な場所にあったロール紙を取って開く。なんら躊躇なく広げられたそのロール紙が中身を晒すなり、それを覆うようにどろんと煙。やたらと固まって湧いた煙が薄まるとそこに現れたのは蛙。これはやはり巻物。流石の不思議。これはあれか、ジャパニーズなあれか。
 どんどんと楽しくなり、リサの気分も昂揚する。次は何を見てみよう。
 子供の好奇心を上回るそれでリサは更に手を伸ばす。素晴らしきかな斜め上。こんな状況は想像していなかった。うきうきわくわく。勢いに乗りつつあるリサを止める者はここに居ない。絶賛陳列作業中な一角はこの広々とした書架の遠くだ。いや近くても止められるかは別だけど。
「じゃあ次はこっちの――」
 このままでは書架がワンダーランドな方向にチェンジしてしまう。
 そんな危険な第一歩。リサの指が次なる獲物にかけられる直前、彼女の携帯が鳴った。この音は愛する人。伸ばしていた腕を戻して呼び出しに応じるリサ。
「どうしたの」
「貴女何やってんの!」
 キィン!と耳の中で跳ねる甲高い、伴侶のキンキン声。何やら怒っているのか切羽詰まっているのか焦っているのか。リサの行動を察知して繋いできたらしいが、はて。
「本の蟲が悪さしてるの早く退治して!」
 鼓膜を突き破りそうな鋭い声を耳元から受けながら、リサは相手が続ける言葉を聞いた。本の蟲。足元やらに広がる花々と文字を見る。蛙は跳ねて書架の向こうへと消えていく。本の蟲。なるほど。というかこれも本の蟲かしら。
 さておき、自分はこの片付けを期待されているらしい。本の蟲の退治、か。
「やっぱり虫干しが妥当かしら」
 通話を切った携帯をしまってリサは思案する。難しい顔にはならない。むしろこの到着から続く想定外が面白く、楽しさが笑みを形作る程だ。ふふ、と思わず洩れる声。
 どうや着任早々の任務は蔵書の虫干しになりそうだ。
 あ、なんとなく司書っぽい。重役だけど。
「面白いわ〜」
 既に周囲で存在を主張している白黒と色彩を眺めて、リサは笑った。





end.