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<東京怪談ノベル(シングル)>


総力戦【狂獄】くれは

 時ならぬ和服ブーム。らしい。
 とはいっても別に古都でも何でもない。場所はオランダだ。美術館で人込みの中で誰かの声が呟いた。
「ブームって言ってもね。私、着られないし」
 嘆息する調子の声の主はどこにも姿は無い。ただ、鋭い者が注意深く見ていれば、風景の中に擬態した玲奈の目玉が微かに動くのだけは知れたかもしれないが、本日の美術館は盛況。ごった返す場所でそんな注意をする者もいない。その彼女の声が恐らくは聞こえているだろう人物もさして興味がある風でなかった。
 展示テーマが和服ということもあり、辺りは色鮮やかな布の海。その中で一点黒い、表情の動きも乏しいスーツの男だった。姿なき声より余程こちらの方が違和感がある。展示された作品を興味なさげに一瞥し、低い声で呟く。
「外れだな」
「そうね。最近この辺で日本の幽霊が出るなんて言うから見に来たけど。ヒントもなさそう」
 相変わらずの姿の無い声が応じる――と、不意に何を耳にしたか、男が口を噤み、姿なき声の主の瞳が一点の方向を見遣った。それからすぐに、男が踵を返す。
「…京都で異変か」
 姿の無い声もそれに続いた。
「ホンボシはそっちって訳ね。いいわ、行こうじゃないの」

**

 ――時は少しさかのぼり、場所は日本、京都。
 深い深い闇の奥――に見えるが辺りに所々武骨な鉄筋と配管がむき出しになっているそこは、某呉服店の地下である。そこに、大勢の幽霊がたむろしている。中心に居る姿は逆光で見えないが、巨漢らしいとシルエットで知れた。
 その姿は何事かを集う霊達に囁きかけ、語りかける。
 霊達は、その言葉に何を得たのか、陶然とした表情でひとつまたひとつ、姿を闇へと消していった。


**

 玲奈達が依頼を受けて訪れたのは京都のとある神社の境内だ。立ち入り禁止の札と人払いの結界で十重二十重に覆われた場所には、女子高生達が居る。まるで彫像のような姿だが、遠目に見ても異様な生々しさがある――否、生きている。
「強烈な金縛り、だそうで」
 説明を受けた玲奈は今は姿を隠していない。異形の姿を惜しげも無く晒して、彼女は一先ず、女子高生達に襲い掛かった。傍から見れば怪人が幼気な女子高生を襲っている図、にも見えなくはないが、そこはそれである。
 しかし。
 力づくでその場から動かそうとしてもぴくりともしない。髪の毛のひとつさえ動かせない。その背後で纏わりつくように、ふわりふわりと幽霊たちが蠢いていた。色とりどりの和装を纏うその霊達が、この金縛りの原因であることは明白だ――それ故に、彼女が呼ばれた訳だが。
 嘆息して、玲奈は改めて霊達に向き直った。ここで巌のように動かぬ女子高生相手に問答をしたところで何の得にもならない。さっさと原因を突き止めてしまうべきだと割り切ったのだった。
 異形の女に睨み据えられた霊達は、しかしどこか陶然とした表情のままだ。動じぬ霊達を相手に玲奈とても遠慮する理由が無い。
「一体何が目的?」
 問いに、言葉による返答は無かった。ただ、その場にいた玲奈と、そして傍らに物言わず立っていた鬼鮫――二人の脳裏に、奇妙な映像が過る。霊達の投げて寄越した思念だ、とすぐに知れた。幻視の光景は、幽霊のイメージを通したが故なのか暗く、ノイズがかかっている。
 どことも知れぬ暗い闇。
 地下独特の湿った空気感さえも皮膚に触れるようだが、耳に届く言葉はノイズが混じって聞き取りづらい。だが無数に揺らめく霊達の、じとりと陰湿な、しかし粘りつく様な奇妙な熱気は感じ取ることができた。その熱狂の向かう先、彼らの中心にはひとつの影がある。逆光でか、あるいは霊の寄越した思念ゆえのノイズか。その姿は見てとれなかったが、その影は朗々とした声で地下に言葉を響かせた。
「――――」
 説法、と似て非なる言葉が投げかけられる。まぁ長々としたご高説であったが、要は何やら霊達に精神論を説いているようであった。その言葉に、霊達は歓喜の声を上げて姿を消していく。
「死して尚、己のままに生きよ」
 ご高説の内容は意訳するとそういう意味合いであった。そこで、思念は途切れる。
 玲奈は胡乱な目つきで思わず腕組みし、横に居た鬼鮫が唸る様に一言。
「幽霊の結社か…」
 呆れきっているというか、この男にしては珍しく「あんまり関わりたくない」オーラが出ている物言いであった。玲奈も同じような気分ではあったが、だからといって眼前で石みたいに硬直している少女達を放置も出来ない。とはいえ。
「…で。これがあなた達の『己のままに』動いた結果?」
 玲奈の疲労の滲む物言いに、霊達は何やら重々しく応じた。いわく。
「嘆かわしや、嘆かわしや」
「最近の若い者は…」
「裸も同然!」
 ――冷え込む京都で生足にミニスカート。上着こそ着込んでいるものの、ブレザーのリボンタイは緩めているか外しているか。そんな「今時」の格好の女子高生がどうやら彼らはお気に召さないらしい。霊達が代わりに抱えて構えているのはいかにも重たそうな、煌びやかな和装である。まぁあれはあれで良いのではないかとは思うが、服の趣味の強要――それもこんな金縛りに合わせてまで、というのはいくらなんでもやり過ぎだろう。
 思案してから、玲奈はひとつ嘆息した。告げる。
「いいわ。じゃあ私が代わりに着てあげる。だからあの子達に手出しするのはやめてあげて」
「!」
 霊達は驚いたようである。生気が無いのでいまいち反応は弱いが、一斉に玲奈を注視する。――異形の身と言えど玲奈が女であることは霊達にも分かるだろうし、彼女が、その異形の身ゆえに、ではあるが殆ど衣服を身に着けられずに薄着であることも容易に知れた。
 ――霊達は一斉に、手に手に和服を構えて玲奈に飛びかかる。
「…!」
 と同時に、身に圧力を感じて玲奈は顔をしかめた。容易な霊力など受け付けもしない彼女の皮膚がぴりぴりと震えるほどの、強い霊力。霊達が一斉に金縛りをかけているのだ。予想外に重たい力を受けた玲奈がさてどうしたものか、と思案した一瞬。
 時間は一瞬もあれば十二分だった。玲奈に霊達は集中し過ぎたのだ。この現場に、もう一人いることを忘れるべきではなかった――霧散する霊体の向こう側に、黒いスーツの男が、日本刀を振りぬいたところであった。
「…ふん、つまらん」
 相手が霊では斬り応えもなかったのだろう。男は吐き捨てて、刀を仕舞う。血しぶきのひとつもなく、断末魔の悲鳴さえ無く――何せ相手は既に死んでいるのだ――、霊達は、消えていく。ただ、今わの際、微かに口惜しげな一体の霊の言葉だけが残った。
「クレハ姫…」
 それと同時、岩のように固まっていた少女達がばたばたと倒れ始めた。今まで彼女達を強烈に戒めていた金縛りの呪力が、消えたのだった。



 ――京都からいくらか離れた大阪某所。呉服神社、という場所で、日本に被服技術を伝えたという伝承と共に眠る存在が目を覚ました、と玲奈達が知るのはそれから左程遠くない未来のことである。
 名をクレハ姫。4人いるというその姫君たちの目覚めがいかなるもので、いかなる影響をもたらすものであったのか。霊達の今回の狂乱を見れば、これからただでは済まないことも容易に想像はつく。


「どうも、背後はでかそうだな」
 鬼鮫がいくらか興味の湧いた様子で呟くのを横目に、玲奈は、切り捨てられた霊達の残滓を視界の隅に捕えていた。色とりどりの和装は古裂と化し、宙に解け消えていく。およそあれらも霊達の思念で作られたものであったのだろう。
「…厄介なことになりそうだけど。まぁ、いつものことか」
 すぐに興味を失ったように、玲奈はその場から踵を返した。