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<東京怪談ノベル(シングル)>


- Gray day -

 師走――それは一年の中で最も忙しいとされる時期。年末年始の準備は勿論、目先のクリスマスに向け街は華やかに彩られ、行き交う人々で賑わいを見せている。勿論それは地上に限った出来事で、彼――灼鷹がのんびりと飛行するこの周辺は普段通り穏やかなものだった。
 ただ、近い空は普段より灰色に見え、そろそろ雪でもちらつくのかもしれない。
「あー……」
 それは溜息ではなく間の抜けた声。ここにはそんな彼の姿を咎めるものは居らず、のんびりと煙管を吹かしながらの飛行に当然これと言った目的はなかった。単なる暇つぶしだ。
 見上げていた、と言うより眼前の空から目を逸らすと軽々と身を翻す。すると今度は眼下に町並みが広がった。ゆっくりと夕刻が近づき、昼にも増して街は様々な色で明るくなる。
 そろそろ暇つぶしという飛行行為にも飽き始め、少し早いが帰るかと考えた時、不意にその身体が止まった。
「――……?」
 果たしてそのにおいに気付いたのか、眼下にある薄暗いビルの異質な雰囲気に引き寄せられたのか。どちらが先だったかを考えるよりも先、一時停止していた身体はゆっくりと高度を下げていた。
「やっぱり、クセェな……」
 ビルの屋上に降り立つと、改めて鼻を鳴らし確認する。それはやはり嗅ぎ慣れた貧乏のにおいの筈なのだが、何か違和感を覚えもした。
 おもむろに灰吹きを取り出すと火皿から灰を振り落とし、煙管は咥えたまま再び地を離れる。そのままビルの壁伝いにゆっくりと下降した。古く狭い建物は一階につきワンフロア程度の雑居ビルなのだろう、幅も大してなければ窓も少ない。傍から見れば、このビル自体から貧乏臭を感じるだろう。しかし、発生源はごく一部の限られた場所からだと彼は確信していた。
「……ここ、か。草間…興信所?」
 言葉と同時身体は下降を止め、窓に書かれた半ば掠れた文字を読み上げる。ブラインドが半開きなものの、明かりが点いていないおかげで、外から室内を見るのは少しばかり困難だった。
 無用心にも鍵の開いた窓を静かにスライドさせ、平然と室内に侵入し辺りをゆっくりと見渡す。染み付いているのか真新しいのか分からない煙草のにおいが鼻を衝き、その複雑なにおいに思わず眉を顰めた。
 目の前のデスクには書類が乱雑に置かれ、後はゴミなのか必要なものなのか良く分からないものが山積みになっている。
「きったねぇな…おい」
 言葉とは裏腹、彼の表情は活き活きとし、現状を楽しんでいるように見えた。
 人の気配は無いようで、灼鷹が地に足を着けるとカランと高下駄の音が大きく響く。それと同時感じた気配に彼は思わず一歩後ろへ退くものの、特に何かが起こったわけではない。ただそこで、この空間に人が居るということに気が付いた。
「発生源は貴様か」
 ニヤリと口の端を上げると煙管も嬉しそうにゆるりと動く。
 応接室の、本来ならば来客用ソファーとして使われるそこに寝そべる男こそ、ここの主だ。灼鷹自身、それを瞬時に理解していた。一時でも気配を感じなかったことが気にはなるものの、目の前の男は今確かにいびきを掻いて無防備に眠っている。
 ようやく出しっぱなしだった翼をしまうと、灼鷹は歩いてソファーの横に立ち草間を見下ろした。静かな部屋でカランカランと散々音を立てたにもかかわらず、よほど眠りが深いのか草間は微動だにしない。
「……おい、起きろ?」
 つまらなさそうにぼやくとしゃがみ、ぺちぺちと頬を叩いてみるが反応はなく、すかさずいびきを掻く口を掌で塞いでみた。するといびきは止むものの、鼻での息に変わっただけで起きる様子はない。最終的に鼻も同時に抓み数十秒後、ついに男は飛び起きた。
「っ…………、が…はっ…!?」
 状況が理解できないものの、身体は酸素を求め深く息を吸い込み、肺が驚き咳き込みながら腕時計を見ては項垂れる。
「か、完全に油断してた…いくら依頼がなくなったからってコレはないだ――」
 そこで不意に言葉を止めると、男は数秒の沈黙の後恐る恐る顔を上げた。目が合った瞬間灼鷹は殺気を感じるものの、気付かぬ振りで「起きたか、草間」と手を挙げれば、その殺気は嘘のように消え去る。
 上半身こそ起こしているものの、未だソファーに預けていた足を下ろしきちんと座り直すと、改めて男――草間は目の前の見慣れぬ男を見た。
「いつの間に入ってきたか知らないが、依頼人ってわけじゃない……そもそも人間でもない、な?」
 警戒心は解かないままサラリと出てきた言葉。それは、草間にとって日頃の経験から自然と出た言葉だったのだろう。その反応に灼鷹は笑みを深くした。
 薄暗い部屋の中でも草間には良く分かる。赤く束ねられた長い髪にギラギラとした金色の瞳を持つ灼鷹の肌は更に小麦色で、とにかく見た目が派手。更に体格もよく不敵な笑みを浮かべている反面、妙な威圧感もあった。
 草間の問いに対し灼鷹はすぐ答えを出すことなく、彼が座るソファーの向かい側に乱暴に腰を下ろす。そして咥えていた煙管を手に移し。
「俺様は貧乏神だ」
 己が身を明かす。
 すると草間は灼鷹を凝視した後鼻で笑ってみせた。
「……はっ…冗談を。貧乏神なんてとっくに尻尾巻いてここから逃げ出してるぜ?」
「にしては随分におうな。しかも今まで嗅いだことのない極上な…――おい、嘘吐いてんじゃねえだろな?」
 こんなにおいを前にすれば、どんな貧乏神も黙っていられないはず。況して逃げるなど以ての外だ。
 スンッと鼻を鳴らした灼鷹に、草間もつられたかのよう鼻を鳴らし、自分の匂いを気にする素振りを見せながら一言。
「っ、におうって……なん、の話だ?」
 しかしそれは人間には感知することの出来ないものだ。
「体臭の話じゃねえよ。いや、ある意味身体からも発せられてるか。貧乏のにおいがな」
「………フッ…バカバカしい。今日はもう店じまいだ、帰ってくれ」
 フウッと溜息を吐くと草間は立ち上がり、室内の明かりを点けデスクの方へと移動する。
「調査依頼が幾つかキャンセルなったと思ったらなんだ次々と面倒なのが来やがっ――」
 ぼやきながらデスクの椅子に腰掛けた瞬間、ギィッと甲高い音と同時背もたれが壊れ、草間はそのまま後ろに転がり壁に激突した。
「ぐあっ」
「おおっ、派手にいきやがった」
 当然帰ることなくソファーで寛ぐ灼鷹の言葉は聞こえているはずだが、草間はそれを無視すると立ち上がり、何度か首を鳴らした後ポケットから煙草の箱を取り出す。そしてそのままぐしゃりとそれを握り潰した。
「くっ……そういえばさっきのが最後の一本だった」
「ほおっ」
 草間の独り言に灼鷹は楽しそうに目を細め、わざとらしく顎をしゃくる。
 帰れと言った手前関わらないようにしていたものの、ついに観念したのか「…ん、だよさっきから?」と鬱陶しそうな反応が草間から返って来た。そうして食い付いてきた彼に、ここぞとばかり灼鷹は言葉を投げかける。今ならいい反応が伺えそうだった。
「仕事はなくなり煙草は切れ、椅子が壊れた次はどんな不運に不幸が欲しい? いや、もう知らない所で次が起こっているかもしれねぇなぁ」
「そりゃ…なんだ、今までの全てはおまえの、仕業だとでも言いたいのか?」
 否定的かつ相手にしないような反応から打って変わり、草間は顔を上げると訝しげに問いを投げかける。
「さァ? どうだかなァ〜、でもこう言っちゃなんだが俺様はベテランの貧乏神だからなァ〜、こんなのまだ序の口だぜェ?」
 実際の所、ここまでの事柄で灼鷹が関わったことは何一つない。全て草間の下で自然と起きている事柄だ。だからこそ、それが灼鷹には面白い。この家の空気なのか、草間本人が原因なのか現状からはよく分からない。ただ、ここにいればどうも楽しみが尽きないかもしれないと、このホンの数分で考えは固まりだす。
「リクエストがねぇならそうだなァ…、次はいっそこの薄汚ぇ部屋を丸ごとバーン!と派手にぶっ飛ばして、住む家もなくなりゃサイコーに貧乏で今以上に不幸じゃねえか? よし、そうと決まりゃ一仕事ぶちかますぜェ〜!!」
 突拍子もない台詞と同時灼鷹が立ち上がると、その勢いでソファーが酷い音を立てて後ろにひっくり返る。
 既に居心地が良いと感じ始めているこの空間を灼鷹がその手で無くすつもりはないものの、唐突に変わった口調とソファーの音は草間を動揺させるに充分だった。
「まてまてまて!? 意味が分からない!」
 言葉と同時無意味にデスクを両手で叩き、山が崩れ床に落下する。それを目で追ったようではないものの、草間は俯くとブツブツとぼやき始めた。
「いいや…物はいつか壊れる不運は続くこんなのいつものことだろたまたまなだけそこにたまたま貧乏神って名乗る輩が……仮にそんな神がいたとしても目の前でおかしなことをされちゃただの怪現象でだな俺はこんな現象信じな――」
「……(チッ…)」
 冷静に思考を巡らせているのか、その言動に灼鷹は内心舌打ちをする。このままではまた冷静に戻りあしらわれるかもしれない。
「そうだ、仮におまえが貧乏神だとしよう」
 しかし唐突に迷いと戸惑いが消えた草間の口からそんな台詞が飛び出し、完全に意表を突かれた灼鷹は再び煙管を咥えては笑みを戻す。
「貧乏神ってのは人に憑いてるようなもの、じゃないのか?」
「生まれた時からとは限らない。どこかからやってくるって概念はねぇのか、その小さな頭には。金銭じゃ飽き足らず頭んナカまで貧困かァ〜?」
「んなど派手な頭してる奴に言われたくないな。でかけりゃ中身が詰まってるとも限らないだろ。そうは言っても、今更貧乏神なんてもんがいきなり目の前に現れてもな……説得力が無いというか。てか、おまえはそもそもいつどこから入って来たんだ!?」
「貴様が目覚める少し前に窓からだ」
 サラリと返すと草間は「どうりで…」と項垂れた。玄関の鍵は確かに閉まっていて、残された侵入経路はそこしかない。しかし一階でもないのにどうやって入ってきたかまでは思い至らないようで、そもそも実は鍵が閉まっていようが貧乏神である灼鷹には関係ないことを草間は知る由もない。
「それで、つまりのところ俺はおまえに今日憑かれたわけなのか? それとも、おまえはただの不法侵入神か?」
 そして、先程から会話にわずかながらズレがあることにも気付いていなかった。ズレというより、それは人間が自然と思い描く貧乏神像と、実際のギャップの大きさがもたらすもの。
 灼鷹が現れる前から嫌な事が立て続けに起きていたとは言え、その出会い方と言葉の数々は"厄介なものに憑かれた"と考えさせるには充分で。
「なんだその沈黙っ!」
 灼鷹の無反応さに苛立ち上げた草間の声は思わず裏返る。
「いや、少し考え事を。そうだな、やはりしばらくここに邪魔することに決めた」
 そう言うと、灼鷹は倒れたソファーを戻し再び腰を下ろす。
「やはりって、いきなり話の流れが見えないんだが。居座るのか…貧乏神が……ここに?」
「ここをどうにもしない代わりだ。それに、前にも居たのだろ?」
 どうするつもりもなかったものの、そう言っておけば都合の良い流れにはなると思い、現に草間を見ればビクリと肩を震わせた。
「あれは言葉の綾と言うかだな……」
 貧乏神が奪っていくほどの物はここにはないと言いたかっただけのこと。しかしそんな状況こそが灼鷹にとっては居心地が良い環境であり、そこに住まう草間はやはり実にからかい甲斐もある。
「とにかく出てけ。厄介事はゴメンだ」
 言い捨てると草間は床に散らばった紙や本を拾い上げ、また積み上げていく。
「ふむ……今後困った時、場合によってはコレを吸わせてやっても良かったんだがなァ?」
 そう言って灼鷹は煙管を草間にわざとらしくもよく見せた。彼にとって本来それは別の役割も果たす大事な物だが、今交渉の材料にするのも悪くはないのだろう。だから交渉のようでありながら、曖昧な言葉を使っている。
「煙管、か? 煙草に代わりにと?」
 灼鷹は何も言わず、ただ笑みを深くした。
「分かった、今以上に酷いことなんてこの先ないに決まってる」
 一体何の根拠がありそう断言したかは不明なものの、草間はさほど考える素振りを見せず了承する。
 そもそも煙管に興味がなかったわけではない。手入れが面倒だと言うことや一回に吸える時間が短かったり回数が少なかったりを除けば、金が浮くと言うメリットや煙草より良い味を堪能することが出来るらしい――と草間は認識しているが、とにかく魅力があった。
「ただし、厄介事を持ち込むな、俺の仕事の邪魔をするな」
 念を押す草間に対し、灼鷹は一瞬の沈黙を生む。
「…貧乏神にソレを言うのはどうかと思うが、交渉成立だな」
「じゃあ早速――」
 煙管に飛びつこうとした草間の頭を灼鷹は左手で跳ね除けると、そのまま煙管は懐にしまってしまう。
「っ、騙したな!?」
「今後と言っただろうが、バァ〜カ!」
 灼鷹の台詞に対し言い返す言葉も出ない草間は、そのままソファーに腰を下ろすと無意識にポケットを漁りかけてしまい、引っ込みのつかなくなってしまった手で頭を掻くと一度深呼吸をした。
「ちっ、物は言い様だな、えーっと――――おまえ名前あるんだろ? 貧乏神じゃ長いから教えろ」
「神に向かって教えろとは…俺様は灼鷹だ。しかと覚えておけ」
「あらたか……か」
 聞き慣れない文字の羅列に、草間は何度かその名を反芻する。
「で、草間。下の名はなんだ?」
「知ってたわけじゃないのかよ。武彦だ、草間武彦。家主の名前だ、ちゃんと覚えとけ」
 そう言うと草間は立ち上がり部屋の奥へと向かう。どこへ行くのかと問えば洗面所だと答えが返りその姿は消える。その数秒後、ガタンと大きな音が響いたかと思うと。
「っっ、灼鷹! これはおまえの仕業かっ!?」
 草間の絶叫が響く。
「おっと、そう言えばさっきまで手が灰塗れだったなァ、いつの間にか随分綺麗になってたけどな!」
 洗面所へ届くよう、灼鷹はわざとらしく声を上げると両手をパンパンと叩いてみせた。