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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


【HS】エピローグ。戦姫達の褥

 代官山のメキシコ料理店は、『天空のレストラン』と評判らしい。ランチタイムのにぎわいは、ラテンの祝祭にも似て晴れやかだ。クレアクレイン・クレメンタインと三島玲奈は、注文したタコスを食べながら談笑していた。夏の陽射しが降り注ぐテラス席は、さすがに事前予約なしでは取れなかった。若いカップルや女性客の姿も多い。
「ドリンクとトルティーヤは、おかわり自由なんだって」
「へぇ。店員も親切だし、居心地は悪くないな。代官山でサラダと食前酒も付いて千円は爆安だろ」
「クレア、また言葉遣い戻ってるわよっ」
「あらやだ、ついうっかり。テヘ☆」
 小声の指摘にクレアが芝居がかった微笑を返すと、玲奈はまったくもうと言いたげにため息をこぼした。
 端から見れば可憐な黒髪女子ふたりだが、クレアの精神は鶴橋亀造という男である。今日も今日とて、玲奈に誘われて――というよりは半ば強引に連れ出されて――優雅に食事やショッピングを楽しむ流れだ。
 ――これも、女子力を上げていざってときにボロを出さないようにするためだ、うん。
 そう自分に言い聞かせつつ、程好い辛味のタコスをなるべく上品に頬張る。女子の休日は長い。
 メキシコ料理を堪能し、腹ごなしにふたりで街をぶらぶらと歩いていると、路地でフリーマーケットが催されているのが見えた。周囲には、テレビ撮影用カメラやレフ板、マイクを持った人間も複数いる。何かのロケのようだ。あ、と玲奈が声を上げる。
「SHIZUKUだわ!」
「あぁ、オカルトアイドルの?」
「そうそう。今日もがんばってるみたいね」
 友人の仕事ぶりを眺めながら、玲奈はうれしげに微笑む。直接面識のない亀造は、ふぅん、とアイドル当人を見つめた。露店の前を行き交うエキストラらしい人々に、アクセサリーいかがですかー、安いよー、と元気よく声をかけている。たまにバラエティ番組で彼女の素のトークも聴いた憶えがあるが、そのときとほぼ同じ明朗快活な印象だ。
 街路樹の木陰に守られてはいるが、やはりこのじりじりとした暑さの中での撮影は大変そうだった。けれど、吹き溜まりのようなその場所が華やかに光り輝き、SHIZUKUの纏う独特のオーラが空間を支配しているように見えた。やっぱり芸能人はすごいな、と亀造は感心せざるを得ない。玲奈が微笑ましげに呟く。
「ずっと見ていたいなぁ」
「そうね。でも、テレビには映りたくないわ」
「同感」
 立っているだけでも、肌に汗がにじんでくる。タオルハンカチでそれを拭いつつ、車を停めてある駐車場へ向かおうとすると、背後から少女のソプラノが飛んできた。
「玲奈ちゃん!」
「え、雫?」
 立ち止まって振り向くと、SHIZUKUがにこやかに駆け寄ってきた。玲奈も笑い返す。
「さっき、見ててくれてたでしょ。ありがとね!」
「うん、今日もがんばってるなぁって。お疲れさま」
「あれ、こちらの美人さんは?」
「あたしの友達のクレアよ。一緒に食べ歩きしてるの」
「へー。初めまして、オカルトアイドルやってるSHIZUKUですっ」
「ええ、玲奈からお話はかねがね。初めまして、クレアクレイン・クレメンタインと申します」
 ――おぉ、けっこう礼儀正しい子じゃないか。
 アイドルには何となく高飛車で生意気なイメージがあるが、この女子高生はちがうらしい。どうにか自然に挨拶できた。
「そういえば、春に公開されたあの映画の演技は素晴らしかったですね」
「わぁ、観てくださったんですか! ありがとうございます!」
「あたしたちふたりで観に行ったの。ほんっとかわいかったぁ! さすが雫っ」
「玲奈ちゃん、ほめすぎだよー」
 照れくさそうに笑う表情も、年齢相応で好感が持てる。立ち姿にも女らしさが出るように気を配りつつ、亀造は女子高生たちのやり取りを黙って聴いていた。
「雫、いま休憩中?」
「うん、あとちょっとで今日の分の撮影は終わり」
「じゃあ、そのあと時間あるなら、あたしたちとお茶しない?」
「え、いいの?」
「女子会は大勢のほうが楽しいし。ね、クレア」
「ええ、楽しそうだわ」
 どの道拒否権もないので、素直に同意する。仕事以外でSHIZUKUがどんな話をするのかも、少し興味がある。ぱぁっ、と彼女の表情がいっそう明るくなった。
「ありがと、玲奈ちゃん! 残りの撮影も、さくさくっとがんばるから待ってて!」
「うんっ。あたしたち、あそこの駐車場の近くにいるから。終わったら声かけてね」
「りょーかい。クレアさんも、ありがとうございますっ」
 ぺこりと亀造にも一礼し、SHIZUKUは撮影場所へ駆け戻っていく。玲奈が誇らしげに笑んだ。
「ね、いい子でしょ」
「そうね。いまどき感心な子だわ、うん」
 夏の陽気にも負けないほどに、彼女はきらきらとまばゆい光を振りまいている。湿気まじりの暑さなんて、風とともに飛んでいきそうな気さえした。

  ▼

 撮影を終えたSHIZUKU――瀬名雫を連れ、三人で車で新宿へ移動した。亀造が運転する間も、玲奈と雫の和気藹々としたガールズトークがBGMになっていた。ラジオを流す必要もなかったな、と微笑する。
 また有名なカフェに入り、窓際のテーブル席でスイーツを味わう。窓から見える風景には、様々な人種が往来して飽きない。半端な時間で閑散としている店内でも、天井には蜻蛉や蝶や甲虫の天井画が施され、非日常感が味わえた。甘いものは別腹、とよくいうが、女は一日の間にこんなに色々と食べて太らないのだろうか、と亀造は内心で訝しんだ。それを口に出してしまえば、テーブルの下で玲奈に足を思いきり踏まれたかもしれないが。女同士の会話においては、空気を読んで時には聞き手側に回ることも大事なのだと以前学んだ。
 駐車料金対策のため、百貨店の女性服売り場で玲奈がワンピースを、亀造もミニスカートを買った。これクレアさんに似合うんじゃないですか、あらいいわね、なんてノリノリな女子ふたりに選んでもらったものだ。女の身体で可愛らしい服を着ることにも、だんだんなじんできた。
 ショッピングを満喫したあと、車を出して白金のカフェへ向かった。代官山のメキシコ料理店ほどの美しさではないが、穏やかな雰囲気のテラス席で、夏の遅い午後をゆっくり楽しむ。モカのロールケーキは、チョコソースの渦巻と相まって、小さな『手の平のタイムマシーン』のようにも思えた。
 カフェを出てからは、白金の雄大な森を三人で散歩した。草や土の匂いが、鼻腔をくすぐる。スイーツの香りとは異なり、身体の内側までスッと清らかにしていくようだった。こういう自然の豊かな場所を訪れるのも、久しぶりだ。
 風で揺れる木々の間を鴉が横切り、この森の王でもあるかのように、泰然として鷹揚に翼を広げている。普段のこそこそとした感じがなく、大鷲にでもなったつもりか、と亀造は胸中で皮肉を呟いた。時折、燕が疾風にも似た速さで飛び交う。はしゃいで転びそうになる雫を玲奈が支える、愛らしい場面も何度かあった。
 やがて、西日で染まる空も橙から紺へ移り変わり始めた。蚊が出てきたので、同じく白金のいま一番気に入っているカフェに入った。ここでももちろんテラス席だ。逢魔が時を楽しみつつ、軽い夕食を食べる。
「昔は、この辺りによく人攫いが出たそうですよね」
 オカルトアイドルの肩書きに恥じず、和風スープを飲みながら雫が言う。温かい枝豆のポタージュとサラダに交互に口をつけながら、玲奈が驚いた。
「えっ、そうなの?」
「けっこう有名だよ。クレアさんはご存知ですか?」
「ええ、小耳に挟んだことならあります」
 子どもの頃は、人攫いは街のそこかしこに隠れていた。けれど、その姿は今はもうない。枝豆の冷製ポタージュは、亀造の心に染み入る癒しのスープだった。それは女の凍てついた心を温め、男の傷ついて熱を帯びてしまった心を優しく冷ましていく。
「雫、またトマト残してるー」
「だって無理だもん。玲奈ちゃん、あーん」
「え、あたし? クレア、笑ってないでよ、もうっ」
「ごめんね、面白くて」
 スカートからのぞく太腿を撫ぜる、夕暮れの風が心地好い。この場所で永遠にちょうどいい夏を感じていたい。悪くない一日だった。
 ――ああ、女っていいなあ。
 クレアの肉体に自分の魂が宿ってしまうまでは、女の生活の楽しさなんて知らなかった。多少強引なやり方ではあったが、色々なことを教えてくれた玲奈には感謝している。このまま女子力を高めていくのも悪くないかもな、なんて密かに考えながら、スープの最後の一口を飲み干した。
 雫の鼻歌に亀造と玲奈も便乗し、三人で歌う。軽やかなハミングが、ゆるやかな風に運ばれていった。