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File.10 ■ 暗く黒い傷跡
緊急を知らせる赤灯。赤い光に照らされたシンと武彦の頬に嫌な汗が静かに伝う。
警告音が鳴り響く中、モニターを覗き込むシン。
「一体何が起きてるんですか!?」
「わ、分かりません……! 脳波、心拍共に急激に乱れてます!」
「痙攣しながら大量発汗……! 今すぐ中止を!」
「ダメです! 無理に装置を緊急停止すれば、ダイブのせいで精神と肉体が切り離される危険があります!」
怒号とも取れる声が飛び交う制御室内。
「クソが!」
武彦が飛び出そうとしたその瞬間だった。赤灯と警告音が一斉に消える。
あまりにも唐突なその静けさに、武彦の背中をゾクっと悪寒が駆け抜けた。
「す、数値安定しました……!」
「肉体の異常反応も落ち着いた様です……!」
「覚醒します!」
―――
――
―
「……あ……」
ゆっくりと目を覚ました私の眼前に広がる光景は、さっきまでの精神世界と遜色ない現実世界の光景。相変わらずの妙に凝った装置の上だった。
『無事ですか!?』
慌てたシン君の声がスピーカー越しに聞こえて来る。
それだけで私には分かった。“何か”が起きていたのだろう。私の意思を、身体が体現してしまった、とでも言うべきだろうか。
「あー……、なんでもない」
『なんでもないって、さっきまで――』
「――ごめんね、シンくん。ちょっと急用思い出したから帰るね」
今は、こう言うのが精一杯だ。正直、今この場所に居続けるのは辛い。
頭につけられた装置を外しながら、私は笑顔を浮かべて答えた。
「明日報告するからさ」
『ですが……――』
「帰るっつってんでしょ!」
やってしまった。でも、そんな事を言っていられる程、気持ちの波は穏やかじゃない。
揺れる心を押さえつけるので精一杯なのに、なんで解らないかな……。
苛々とした感情に弄ばれる理性と、そんな自分が嫌。
ドアを開けて、慌てて携帯電話を手に操作する。慣れ親しんだ自分の持ち物。なのに、手が震えて操作するのも一苦労だ。
両手で支えながら、操作した携帯電話を再び強く握って目を閉じた。
――お願い、早く出て、社長……!
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小さい頃の記憶だった。今でもはっきり憶えてる、なんて言葉、私には無縁。どんな記憶も、忘れる事だけは出来ないんだから。
私の眼の色は、黒に近い茶色。いわゆる日本人らしい色をしていた。
それがある日突然、赤くなってしまった。
大人になった私には、そんなものいくらでも対処する方法を持ち合わせている。でもその頃の私には、そんな処世術を持っている訳もなかった。
――子供は残酷だ。
そう、今ではそれが私の本音。
当時の私は気味悪がられていた。
眼の色が赤くなってしまった事なんて、中二病の入っている子供じゃなかった私にとって、嬉しくも何ともない。そんな物に憧れや興味を抱くなんて事、まずないんだから。
最初に感じたのは恐怖だった。
なんで、どうして。自分だけが周りと違う。何でいきなりこうなったのか、と。
そんな動揺する私の事なんて、周りはきっと考えた事はなかっただろう。容赦なく態度を変え、気味悪がられた。小学生にしてみれば当然のリアクションだろう。
気味の悪さから陰口が始まり、態度が余所余所しくなっていく。気が付けば孤立し、周りは私を遠ざける。
それでもやり返さなかった私を、今度はからかい始めるのだ。
――有り体に言えば、イジメ。
自分自身に訪れた変化のせいで動揺していた私が、それらに対抗するなど考える事もなかった。対抗する手段さえ持っていなかった、というのが本音。
学校に行きたくない、なんて思い当たるまでは実に簡単なプロセスだ。からかわれる為だけにわざわざ学校に行くなんて嫌なのだから。
それでも時間は過ぎていく。
ようやく学校にも行くようになった。勿論、完全にそのイジメが消えるはずもなかったけれど、それでも慣れていけば聞き流せるものだった。
だけど、徐々に私は本当に周りとは違う、という事を認識していく。
私は、全て憶えていた。
学校の教科書に書かれた言葉も、教師が言っていた一言ずつも。何を食べたかさえも、自分以外の生徒が話していた内容さえ、全て。
周りの生徒が私に向けて言い放った心ない一言も、都合よく消えてなんてくれなかった。
漏らさず、刻むように。一字一句正確にだ。
そしてその異質さに気付いた私は、そんな自分に徐々に恐怖さえ抱いた。
一瞬見た木の葉の数でさえも、正確に思い出せてしまう。そんな人間、いる筈がなかった。
それでも、悪い事ばかりではないのかもしれないと気持ちを持ち直そうとした。
――しかしそれは、ある脳科学のテレビ番組のせいであっさりと打ち砕かれた。
『――人は忘れる事が出来るからこそ、生きて行ける生き物なんです』
講釈をしている一人の男性が、そう告げた。
画面越しの彼は続けた。
『脳の記憶容量は、せいぜい10テラバイト程度。コンピュータはメモリーがいっぱいになるとダウンしてしまうが、人間の記憶がいっぱいになると、病気になるか死ぬしかなくなってしまうでしょう。だからこそ、人間には「忘れる能力」というものがあるのです』
この言葉は、私の恐怖を、焦燥感を生み出した。
――忘れる事が出来ない私は、いずれ記憶が溢れてパンクして死んじゃうんだ。
嫌だ。怖い。
死ぬなんて嫌だ。
私は眠る事すら怖くなった。このまま起きれなくなるんじゃないだろうか。記憶の限界は、もう目の前にあるんじゃないだろうか。
そして私は、私を蔑んで笑っていた人達の顔を思い出しながら、死んで行かなくちゃいけないのか、と。ずっとずっと、あの歪んだ笑顔を思い出し続けなくちゃいけないのだ。
それは何者でもない。ただの恐怖でしかなかった。
そうして私は、毎日毎日削られていく思いを抱きながら生きた。
いつ死んでしまうのだろうか、と恐怖と隣り合わせの日々が続いた。
一時は沈静化したイジメも、今は鳴りを潜めてる。それでも、今私が抱えている忘れられない恐怖を、誰かに相談出来る筈がない。
また皆から嫌われるんじゃないか。
そうに違いない。
人と違うって事は、それだけでイジメられる原因になるんだ。
私の中で、その方程式は完全に確立されていた。
いっそ、死んでしまえば楽になるんじゃないかな、と思った事もある。
小学生でそんな事を思うようになるなんて、普通じゃありえない。
膨大な知識の中、テレビやマスコミが騒ぐ中で自殺の方法は頭に入っている。推理番組の中も然りだ。
そんな事ばかりが思い出せてしまう。
手順を思い出し、自分ならこれが出来て、これが出来ない。でもこれは苦しいだろう、これは痛いだろうと恐怖する日々。
一日の終わりが、眠れない夜に放り込まれるという日々。
擦り減った気持ちで、食事も徐々に喉を通らなくなっていく。それでも何とか食べては、何度も恐怖で吐き出した。
ストレス、とでも言えば良いのだろうか。心はどんどん消耗していく。
――マイナスの感情ばかりが溢れる日々は、それでも続いた。
心はすっかり壊れてしまったようだった。
眼から光が消え、世界は色褪せて見える。周りの同年代の子供達はまるで、私がいつくたばるのかと手をこまねいている死神のように見えた。
出口のない日々に辟易としながら、それでも生き続けた。生かされていた。
絶望は心を蝕むようだった。
乾いた心に押し潰されそうになりながらも、それでも何処かで希望が生まれるんじゃないか。そんな都合の良い現実はないと思いながら、それでもそう願いたかった。
虚しい毎日だったと、今でも思い出すだけで寒気がする。
絶望しては涙し、涙が乾く頃には胸にぽっかりと穴が空いていく。空いた心が辛くて死を渇望するのに、本当は生きたいからそう感じているのだと知る。
そんな日々がずっと続いていた。
その代わり、眠れるようになった。
静かに死ねるんじゃないか、と心の片隅で歪な希望を抱きながら。
――それでも朝は訪れ、その度に泣きたくなった。
to be countinued...
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ご依頼有難う御座います、白神 怜司です。
ご依頼通り、もう救われる事なんてないんじゃないかと
言うレベルでの話になってしまいました……w
いや、この後を知ってるからここまでダークに出来る、という部分も
あるにはあるんですけどねw
何はともあれ、お楽しみ頂ければ幸いです。
それでは、今後とも是非ともよろしくお願いいたします。
白神 怜司
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