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<東京怪談ノベル(シングル)>


忍びの掟(2)


「……、遅いな」
 誰かが、ぽつりとそう漏らす。テロリスト本隊。彼らは、クナイを打ち込まれ走行不可能となったジープを囲むようにして、警戒態勢をしいている。
 その内の、隊長格の男が、四名の部下に辺りの探索を指示してから、すでに十数分が過ぎている。いくら周囲を警戒しながらとはいえ、そこらを見て回るのには少々、時間がかかりすぎている。
 隊長格の男が、わずかに顔をしかめたその時、彼らの耳に、はっきりとした銃声が届いた。それも一発や二発ではない。フルオートでトリガーを絞っている、けたたましい銃声だ。ついで、無線機にコール。
『本隊へ、本隊へ! 聞こえているか!?』
「どうした。何が起こっている」
『一人やられた! 敵を発見! 敵は……』
「敵は?」
 その問いの返事は、なかった。そのかわりに返ってきたのは、獣の咆哮のような、部下の断末魔の叫びだった。それっきり、通信機からはもう、ノイズしか聞こえない。隊長格の男は無線機を腰にさげ、静かな声で残りの部下たちに告げた。
「全員、気をつけろ。敵はすぐ近くにいるぞ」
 隊長の声に、部下たちの身体へさらなる緊張が走った。隊長が改めて注意をうながすということはすなわち、探索へでた四人はもう戻って来ない――そういうことだからだ。
 先ほどよりも油断なく、銃を構える彼らをあざ笑うかのように、木々に生い茂る葉がざわめき始めた。今や風は吹いていない。だというのに、このざわめきはいったいどうしたことなのか……。少し考えてみれば、その答えはすぐに分かった。
「来るぞ!」
 隊長が冷静に怒鳴る。だがもう遅い。とっさに上を見やった部下の一人の眉間を、黒光りする鉄の塊がすでに貫いている。ひとたまりもなく、即死した彼が倒れ伏した刹那、稲妻のような速度で落ちてきた黒い大きな影が二人の男を連続で襲った。男たちはそれぞれ、ほぼ一瞬の間に喉を切り裂かれ、声を上げる間もなく事切れた。
 そこまでして、ようやく残りのテロリストたちは、敵の姿をその目に捉えることができた。袖の短い着物を羽織る、抜群の艶かしい身体を誇る美しい女性。彼女は、あれほどのことをしておきながら、返り血すらも浴びていない。
「こんにちは、皆様方。ごきげんよろしくて?」
 女性――水嶋・琴美(みずしま・ことみ)がにこやかに尋ねる。テロリストたちに動揺が走った。だが彼らはそれをおくびにも出さない。どのような手強いものかと思っていたが、それが、一見、こんなか弱いような女だとは思いもしなかったからだ。だが女だとはいえ、仲間たちの命を瞬く間に奪ったことは事実。テロリストたちには、一分の油断もない。
 撃て、の号令もなく、ほぼ同時に全員が重火器のトリガーを絞った。たちまち、轟音とともに吐き出される無数の銃弾。それらは、琴美を傷つけることなく、彼女の身体を“すり抜けていった”。少なくとも、テロリストたちの目には、そう映った。琴美は、まったく無駄のない素早すぎる動きで、銃弾を回避したのだ。しかも、その場から全く動いたように見せないという、凄まじい離れ業をしてみせたのである。
「まったく、優雅ではありませんことね」
 優しく、しかしどこか呆れたように微笑んだ、琴美の手の中で輝いていたクナイが霞む。キン、という鋭い音を伴って空を切り裂いたそれは、テロリストの一人の喉元へ深く突き刺さった。ごぶりと血が吹き出す。
「下手な鉄砲は、数を撃っても当たりませんよ? 決めるなら一発で、確実に。それが“私たち”、忍びの掟ですわ」
 すでに彼女の手には、次のクナイが握られている。そして、琴美は宙へ待った。先ほど、テロリストたちを手玉に取った、高速の動きで生き残りたちを翻弄する。
「ほらほら、こちらですわよ」
 わざと声をあげ、自らのいる場所を彼らに示してみせる。その声の方へ、テロリストたちの銃弾が殺到した。今度は、そのどれもが彼女の身体を捉えた。
「あ……」
 琴美があっけにとられたような表情を浮かべる。あっという間に蜂の巣にされた彼女はしかし、次の瞬間、にやりと笑ったかと思うとその姿を弾けさせた。蜂の巣にされたのは、彼女が予め用意してあった予備の戦闘服と、桜の花びらがたっぷりと詰まった袋だったのだ。これこそは忍びの極意の一つ、空蝉の術である。
 弾けた身代わりの袋から溢れた桜の花びらが、周囲に散る。その桜吹雪にまぎれて、琴美は二人の男をクナイで切って倒した。残りは、隊長一人である。
「おのれ……」
 隊長が目を細め、フルオートでトリガーを絞る。琴美は自らに迫る銃弾を、今度は真正面から、その全てをクナイ一本で叩き落としてみせた。まったく信じられない身のこなしだった。
「足掻くだけ、無駄ですよ。冥土の土産にもう一つ、私たちの鉄則を教えてさしあげましょう」
 にっこりと笑う琴美。
「“姿を見たものは即座に消せ”」
 そして、絶叫。次いで、静寂。
 クナイをおさめ、琴美は呟いた。
「任務、完了」



 山奥での一件の後、水嶋・琴美は所属する自衛隊・特務統合機動課本部に舞い戻っていた。任務は無事終了し、あとは報告を残すのみである。司令官の部屋の扉の前に立ち、丁寧に扉をノック。
「入ってくれ」
 その声に従い、扉を開いて、部屋へ入る。
「ずいぶん、早かったな」
「それが忍びの本分ですから。“任務は確実に、そして速やかに”……」
「素晴らしい心がけだ。それで、どうだった。今回の任務は」
「良いも、悪いもありませんよ。私はただ、全力でそれをこなすのみです」
 すました表情で、琴美が告げる。だが、それでも今回は簡単すぎてやや不満だったのか、「全力を出すがゆえに、つまらない思いをすることも多々ありますけれど」と付け足すように言った。
「それは悪いことをした。だが、助かっている。次の任務にも、期待しているぞ。確か、休暇をとるんだったな? しっかり身体を休めて、次に備えてくれ」
「ええ、もちろんです。それでは……」
 深々と頭をさげ、琴美は司令官の部屋を後にする。彼女が穏やかな表情を変えることはなかったが、一回だけ、どこか物足りない様子で溜息をついたのだった。

                         忍びの掟(2)了