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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


●一切れのケーキ
 窓ガラスが白く曇っていた……空は灰色、鉛色。
 都市部ではクリスマスソングが流れ、イルミネーションが街を彩っているであろうこの季節に於いても、山間の研究所は静かだった。
 鉛色の空から落ちてくる白く、冷たい自然からの贈り物――雪は木々に、建物に、大地に降り積もり音を吸いこんでは沈黙している。
 内外は同時に沈黙しているのに、窓ガラス越しの外が寒い事が感じられて、青霧・カナエ(8406)は僅かに瞬いた。
 研究員の為と言うよりは、研究物資が劣化しない為に部屋を暖めている暖房器具は、温かな空気を吐き出している。

「青霧ー、このコーヒーもう一杯」
「わかりました」

 所属する研究員の声に、頷いてコーヒーを作り始める。
 美味しい、と褒められてはいるがそれは、決められた通りの分量で淹れているからだろう……とカナエは思う。
 研究に気を取られながら、大雑把に淹れられるよりも、丁寧に淹れられた方がコーヒーも本望だろう。
 始めは当番制だったコーヒー係だが、いつの間にかカナエの日課になっている。
 所属する研究員から不満の声が上がる事もなければ、自分で淹れる拘り派がいるわけではない。
 温かいコーヒーを受け取った研究員は、申し訳程度に礼を述べてコーヒーを掲げてみせる。

「室長のご機嫌伺いに行ってくるよ。今日、デートなんだ」
「……?」
 首を傾げたカナエに、研究員は早引け、と笑った。
 それに頷き返し、カナエはチラリとマイクロフィルムと拡大鏡を手に動かない、奈義・紘一郎(8409)の方へと視線を移す。
「お疲れ様です。恐らく大丈夫ですよ」
 もしかしたら、話しかけても無駄かもしれない……とじんわり心に冷えたものが広がっていく。
 広がった冷えたものは、ヒシヒシと心の柔らかい部分を溶かして火傷のような痛みを与える。
「もしもし、室長……こちら、コーヒーです。あと、今日の予定ですが」
 五月蠅いハエを追い払うかのようにヒラヒラと手を振った紘一郎は、ああ、と生返事をする。
「帰りたいなら、帰りたまえ。此方は忙しい」
 一刀両断するかのような、明確な答えに苦笑いを浮かべ研究員はコーヒーを置いて去っていく。
 また一つ、静かになったな……とカナエは思いながら、極力音を立てないように注意しつつ、乱雑に散らかった研究所内を掃除にかかる。

「青霧、コーヒー」
「わかりました」

 時折呼びとめる研究員の声に返事を返し、コーヒーの豆の分量をキッチリと量って淹れる。
 ふわりと鼻腔をくすぐる香ばしい香りを嗜むと言うよりは、眠気覚ましに多用している研究員が、美味しい、と一言呟いた。
「ありがとうございます。……レアチーズケーキも召し上がりますか?」
「ああ、それはいい」
 歓声が上がる中、静かな紘一郎に視線を向ける――まだ、マイクロフィルムと拡大鏡をじっと見ているようだった。
「奈義さん、レアチーズケーキですが」
「いらん。今、忙しい」
「わかりました」
 甘いものを作っておけ、と言ったのは奈義さんなのにな……と心の中で呟くが、流石に紘一郎も心の中までは読めないようだった。
 レアチーズケーキを切り分け、研究員に配っていく。
 ホール一つ、作ってあったレアチーズケーキは、たちまちほっそりとスリムになってしまった。
 これは、何としてでも置いておかねばならない、とラップを取り出して丁寧に包む。

『私も食べて』

 まるで、童話のように話しかけてくるようで、カナエは視線を逸らした。
 ――今日中に、終わるのだろうか?
 紘一郎の集中力が飛びぬけて凄まじい事は、近くで見ているからこそ、よく理解している。
 きっと、今の研究が終わるまでそれは続くだろう……冷蔵庫の中でひっそりと、劣化していくレアチーズケーキを思い、瞠目する。


 幸いながら、紘一郎の研究が一段落したのはその数時間後だった。
 空は灰色に錆びた赤を溶かした夕焼け、傾いた日差しが、無機質な研究所内に入って来る。
 研究員達はやれ、家族だ、やれ、恋人だ……と出払ってしまい、室長である紘一郎、そして、カナエが取り残された。
 静かすぎて、まるで研究所に取り残されたかのような、錯覚を覚える。
「奈義さん、コーヒーとレアチーズケーキです」
 眼鏡を外し、目がしらを押さえながら紘一郎は頷く。
 程良い甘さのレアチーズケーキを口に運べば、疲れ切った灰色の脳細胞が活性化するような気がした。
 コーヒーも何時もの通り、美味い。
「ケーキおかわり」
「もうありません。最後の一切れです」
 紘一郎が眼鏡越しに、瞬いた。
 意外と長い睫毛が、ぱちぱちと揺れる。
「なんだと?」
「……何度も声をかけました。そのたびに断ったのは奈義さんでしょう」
 理路整然とした口調で言われて、紘一郎は低く唸った。
 研究に夢中でよくは覚えていないが、何度か話しかけられたような気がする。
「買って来ましょうか?」
「そうじゃないだろ」
 静かに、だが、苛立った声に次はカナエが、ぱちぱちと瞬く番だった。
 黒く深い、紘一郎の瞳が静かな焔を燃やしているように見えた――空気すら思わず敬礼するような、そんな声。
 静かではあるが、妥協を許さない『奈義・紘一郎』と言う人間、そのものを表すかのような声だった。
「では――」
 どうしたらいいのですか、と聞く前に、カナエは考える。
 従順ではあるが、頭を使わない者に紘一郎は厳しい。
「では、今すぐ作っておきます」
「何か甘いもの」
 答えに満足したのだろう、紘一郎が呟いてコーヒーを啜った。

「……奈義さん、買い物に行ってもいいですか。材料が足りません」
 材料に一通り目を向け、レシピを何度か見、カナエは口を開いた。
「構わん。……そうだな、出かけるか」
 出かける、と言われてカナエは驚きに瞬く、本日、何度目だろうか。
 目の前の白い皿と、銀色のフォーク、綺麗に無くなったコーヒー。
 現実味を失って、まるで白い雪に埋もれてしまったような感覚を覚える。
「どうした、買い出しに行かねばならんのだろう?」
 少しばかりの苛立ちを言葉の端々に感じ、カナエは立ち上がった。
 ――クリスマス、と言う聖人の誕生日がこうして、彼を変えているのなら其れに従うべきだ、と。
 否、何らかしらの影響があったとしても『奈義・紘一郎』と言う人間に、自分は従うのだろう、と強く思う。
 その思想はカナエの脳髄を、血脈を渡り、骨にまで沁みるようだった。

「わかりました。寒いので、こちらのマフラーをどうぞ」
「……ああ」

 落ちついたバーガンディ色のマフラーは、不思議と紘一郎によく似合っていた。
 車の助手席に乗り込み、紘一郎の運転でイルミネーション溢れる街へと向かう。
 雪がちらほらと外を舞い、人々は誰しもが浮かれ顔だ。
 この中の、どれ程の人間が『異界』と言うものを知っているのか――自分達が『異質』ではないだろうか。
 脈絡のない思考が、雪と共に、外の景色と共に後ろへと流れていく。
 デパートの人混みを嫌った紘一郎は、外で待っている、とだけ言い残して車を留めた。

「……わかりました、買ってきます」

 人混みを抜けて、カナエはデパートの食料品売り場を歩きまわる。
 卵、バター、牛乳、クリームチーズ――。
 そして、小さな金の鈴のついたオーナメント……手を伸ばし、そして躊躇い、もう一度手を伸ばす。
 きっと……甘いものが食べたいと言った事も、そうじゃない、と怒った事も。
 研究に戻れば、忘れ去ってしまうのだろう――ゆっくり、目を閉じる。

 エコバックに材料を入れ、紘一郎の運転で研究所へと戻る。
 早速作り始めたカナエの後ろ姿を、興味深そうに紘一郎は見ていた。
 銀色の縁の眼鏡の、レンズ越しに。


「オーナメントか」
 良い、とも、悪い、とも言われなかった。
「ええ。クリスマスですから」
 一切れだけ、レアチーズケーキを口にした紘一郎は直ぐに、研究に戻ってしまった。
 残された大部分の、レアチーズケーキは食べて貰えずに、取り残されたまま。
 飲み干されたコーヒーのカップを手にし、カナエは立ち上がる。
 研究に没頭する紘一郎は、此方を振り返る事はない――まるで、自分が透明になってしまったかのような感覚。

「奈義さん――」
「コーヒー」

 縋るような言葉は、要求にかき消される。
 わかりました、と静かに答えて――カナエは分量通りのコーヒーを淹れるのだった。
 凍りついたかのように、変わる事のない空気を肌で感じながら。



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【8406 / 青霧・カナエ / 男性 / 16歳 / 研究員補助】
【8409 / 奈義・紘一郎 / 男性 / 41歳 / 研究員】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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青霧・カナエ様、奈義・紘一郎様。
発注ありがとうございました、白銀 紅夜です。

深々と降り積もる雪と、もどかしい距離を念頭に置き、執筆させて頂きました。
アレンジ可能と言う事で、二人で外出、のシーンも入れさせて頂いております。
静かに流れていく雰囲気を、楽しんで頂ければ幸いです。

では、太陽と月、巡る縁に感謝して、良い夢を。