コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


『beauty of tungsten』

 水嶋琴美は、美しい。
 女の美しさにも種類がある。見れば自然と微笑むもの、思わず胸が締め付けられるもの、沸々と情欲がわくもの。彼女は、目の覚めるような美しさだった。大きな眼と人形の持つような睫毛、鼻から唇そして顎に至る滑らかな細身の線、眉は涼やかで、長い黒髪は艶やかだ。人混みの溢れかえる中、彼女が何の気なしに後ろを振り向いたりすると、幸運にもそれを見た人は皆例外なく、はっと息を飲んだ。そしてその視界に鮮明な彼女の肖像を焼き付けて、当分の間は瞼を閉じる度に嘆息するのだ。もちろん、彼女にその気はない。
 琴美は今、青白いモニターの光がうっすらと照らすだけの移動指揮車内で、腕を組んで座っていた。走行中の振動と機器の駆動音がひどく無機質な空間を形作っていて、随分前からオペレーターの連絡以外、搭乗している四人は口を利かなかった。作戦前には珍しくもない、ナーバスな雰囲気に思われた。
 それにも関わらず、彼女の面持ちは色彩豊かだった。ひょっとすると人生で一度も退屈をした事がないのではないかと思うような鮮やかさだ。写真に撮ればただの無表情だろうが、現在彼女を見る権利がある車内の三人が目を向ければ、その全員が、きっと角度によっては輝かしい笑顔でも隠れているように見える、と感じただろう。
「地元の警察は、情報提供を含めて、この件に関与するのなら正式なルートで話を通せと、ごねているようです」
「無理もあるまい。向こうからすれば寝耳に水だ。しかしまさかこんな形でタイミングがぶつかるとはな……」
 インカムを装着した女性からの報告を受けて、自衛隊特務統合機動課の課長である男は、小さな縁なし眼鏡を外し瞼の上から眼球を押し揉んだ。問題が起きたようである。琴美は彼の姿を見て他人事のように思いながら、課長も老けたなあとのんびり構えていた。
「うちにこの話が来たのは三日前だ」
 それを見透かしたように、彼が重々しく口を開いた。課長が作戦の背景を語るのはあまり多くない。部下達の緊張が増した。
「対象のグループに関しては一年以上前から内偵を進めていたらしいが、その組織構成や活動目的を正確に掴む前に、厄介な記録が出てきた。奴らはこの辺りの暴力団と月に二、三度連絡を取り合っていて、最近はそれが頻繁になり始めていたのだ。その線を辿り、暴力団が行った不動産取引の中から組織の一部潜伏先を引き当てたのは良かったが、先程入った通信によると、今日地元の警察が暴力団関係者の取引現場を押さえるために料亭に突入。うちが探ろうとしているものにおぼろげながら行き着いたらしい。しかも連中、双方に死傷者を出して関係者の全員確保にも失敗している」
 あちゃあ、と琴美のバックアップとして同乗する男が頭を抱えた。
「事ここに至っては仕方あるまいとこちらからコンタクトを取ったのだが、暴力団絡みとなると警察の縄張り意識も一層面倒だ。すぐにでも自分達でその潜伏場所に乗り込もうとしている。これも彼らを全く無視してきたツケと言えばそうだが、これからその現場に寄って、もらえる土産だけでももらって行く。また、最も早く接触出来る我々が、交渉も行う。なに、形だけで構わん。警察の手を逃れた者がどう動くかを考えれば、目下大切なのは時間だけだ」
 琴美は、彼が自分の方を向いているのに気が付いて、信じられない、と大袈裟に顔に出した。
「私は連絡を取らなければならん所が山程ある。この中では適任だと思うが?」
「そういうのはそっちで済ませてって、いつも言っているでしょう。もう!」
 全く彼女は表情豊かだった。気取った笑い方など一切しなかったし、嫌な時にははっきりと顔に皺を作って怒り、今も思い切り口をとがらせている。その様子がまた、人を惹き付けた。

 中心地を離れた場所にひっそりと建つ広々とした料亭は、いかにも権力者が外に漏らしたくない話を行うのに都合良く見えた。夜の中にあっては漏れ出るわずかな明かりが慎ましやかで、上質な木造建築は音を吸うかのようにじっとしている。
 しかし、今夜はそれを警察車両の赤色灯が無遠慮に照らしつけ、刑事達が周囲を駆け回って大声を飛ばしあっていた。その中心にあって方々に指示を出していたスーツの男は、ひしめく人々の中に颯爽と歩く異様な風体の女を遠目からはっきりと捉えた。その顔は、壮年の彼をしてしばし呼吸を忘れるような美貌で、艶のある黒髪が歩みと共に流れる姿は優雅そのものだった。しかし首から下は黒々としたラバースーツに覆われ、赤いチェックのプリーツスカートとキャメル色をした編み上げのロングブーツを身に付けている。可愛らしくはあるが、あまりに非日常的だ。
 目の前にまで来た彼女が、非常にグラマラスなのも面食らった。赤い光がその豊満な肉体を強く演出し、大きな胸や引き締まった腰回り、肉感的な下半身が目に飛び込んできて、匂い立つような存在感が否応なしに彼を襲った。女は腰に両手を当て、肩幅に足を開き、小首を傾げて笑みを浮かべた。それを見た時、彼は彼女が何者にも支配されない、彼女自身の高貴な女主人であるという真実を悟らずにはいられなかった。その前にあっては、彼女が自衛隊を名乗った驚きなど、さして彼を悩ませはしなかった。
「道理に適った内容なんだろうな」
「男の人の言い方ですね」
 女は自信に満ちた顔で、ここから先の件に関して、自衛隊の干渉を認める、警察の行動は全て防衛省の許可を仰ぐ、そして一切の情報提供を要求した。これは協力関係ではない。あまりに無茶苦茶な内容に、男は開いた口が塞がらなかった。
 彼は普段から本庁の関与すら嫌悪しているのに、自衛隊、しかもこのような得体の知れない女にいいようにやられてたまるかと、思いつく限りの理屈を並べてわめき散らした。そして一通り言い切ってから荒い息を吐いている時に、ゆっくりと彼女の両手が自分に向かって伸びてくるのを認めた。長く真っ白い指だった。それがルーズに結ばれたネクタイを絡め取り、悪戯っぽく弄んでいる。
「わがまま言っちゃ駄目」
 穏やかではあるが、要注意な言い方だ。
「あなた達は、一度失敗したんだから」
 キュっと、ほんの少しだけ、ネクタイが締められた。彼女に目を向けると、上目遣いでうっすら口端を上げている。冷たい母性が宿った瞳だった。

「ご苦労。作戦内容には修正点がある。確認するぞ」
 課長の言葉に、琴美はふんと息を吐いて答えた。
「組織の実態ははっきりとは断言出来ない。これを明確にするのが第一目標でもある。自衛隊の海外派遣が活発に行われている時勢にあっては、報復テロを計画している団体だとは真っ先に考えられるのだが、最近はテロ組織も細分化が激しく、戦争も誰もが参加可能な非常に民主的なものとなっている。もはや広義においての判断に意味などない。他国の諜報機関だって、テロリストには違いないのだからな」
 オペレーターがモニターに長大なリストやマップを映し出していく。
「潜伏しているのは、元々は食品加工会社の商品開発研究施設。そこで奴らが何をしているのか、それを知りたい。当初の行程は施設に侵入し、この二つに関する情報を収集するというものだった。しかし、料亭からの逃亡者がどこに何を伝えたのか分からん。……とは言え、どう転んでも市街地近くで仰々しく部隊を展開する訳にはいかんのだ。多少の荒事は、今の状況なら有利に運ぶ可能性が強いと捉えている。そしてそのために我々がいる」
 彼女はグローブをはめた手で手早く長髪を結いながら、ふわと楽しそうな気配を見せた。
「可能な限り戦闘は避けろ、という命令もまだ有効なのだぞ。また、警察が掴む必要のない事物は前もって回収したい。建造物の内部構造等は、画面の通りだ。以上」
 守るにあたっては決して遅れず、しかし先に銃を抜くなかれ。専守防衛を謳うこの国の武力の中で唯一、敵の銃弾、いや味方の死を待たず、攻勢に物事を遂行できるのが、彼女のいる部署だった。

 人気のない敷地を闇に紛れてひた走り、あっさりと建物に侵入した彼女は、まず通路の先の微少な足音に気付いた。一方その主である屈強な男には、何も聞こえない。照明を極力落とした廊下は暗緑色の濃淡が繰り返されるだけで、異常はないように見える。彼は淡々と歩を進めていた。するとある点を通ろうとしたところで、上から黒いものが降ってきた。
 暖かみのある太ももで頭が締め付けられ、柔らかな肉に阻まれた口からは声も出ない。手に持つ銃をひょいと何かが支えたと思った瞬間には、当てずっぽうに引き金を引く間もなく、彼の首からは不気味な音が発せられていた。
「一人目。ロシア製、AKベースのセミオートショットガンね。人気のあるモデルだから、これでどうとは言えないけれど」
「戦闘は避けろと言ったはずだが」
「だから避けたわ。可能な限りね」
 琴美は小型通信機ににっこりと答えると、再び暗がりに溶け込んだ。