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<東京怪談・PCゲームノベル>


◆神様達の、暇潰し


 小高い丘の上。緑の森。溢れる自然――とまでは行かなかった。石段を登り終えて、目の前に現れた石造りの鳥居に、ポニーテールがひとつ揺れた。
「あり? 神社だ…」
 手にした地図に視線を落とし、再度鳥居を眺め、不思議そうに首を傾げる。線が細細い上に、女物の袴にポニーテールという恰好なもので少女とも見紛うが、彼はれっきとした男性である。
 その背後から、同じく袴に肩掛け鞄、という大正時代を彷彿とさせる恰好で顔を出したのは、彼より華奢ではあるものの見目の良く似た少女だった。
「神社?」
 彼女は手にした両手持ちの手提げを見下ろし、また少年へと目線を戻す。その視線に応えるように彼女の頭をくしゃりと撫でた。
「…まぁええか、ここでも。そろそろお腹空いたやろ、珠枝」
 珠枝、と呼ばれた少女は、撫でられたことに嬉しそうに頬を染めながら、こくりと頷く。そしてはにかみながらも顔を上げて彼女は口を開こうとしたのだが、
「あっれー。珍しい時間に参拝客だ」
 ――響いてきた声に驚いた様子で、少年の背後に勢いよく隠れてしまった。
「ありゃ、驚かせたかな。ごめんごめん」
「気にせんといて。珠枝は人見知りなんや。…で、誰やの?」
「俺? 俺はここの神社の神主見習い。藤って言うんだ。君らは? 参拝? ウチあんまりご利益ないよ!」
「胸張って言うこととちゃうやろそれ。…あ、丁度ええわ。僕ら、ここに行く積りやってんけど、地元の人なら知っとる?」
 広げた地図を指示されて、藤は覗き込んで顔を顰め、まず、地図の方向をひっくり返した。――どうも少年はこの地図を逆さまに眺めたまま、この神社に到達してしまったらしい。
「随分古い地図だねぇ…」
「うちにあったんよ」
「へぇー。ごめん、この地図だと、今の町と色々違っちゃってるみたいだ。ここらへん、再開発とか色々あってさ、道も建物もめまぐるしく変わるから」
 役に立てなくてごめんね、と、藤がしょんぼりと項垂れる。そかー、とあまり気にした風も無く少年は頷き、背後に視線を向ける。
「そうなんか…珠枝、やっぱりここでお弁当でええか?」
 相変わらず少年にぴたりと寄り添う少女は、問われて少し躊躇いがちに藤を見、それから――境内の中央、社殿の屋根の上を何故かちらと見た。その視線の動きに、藤が微かに目を丸くする。
「珠樹がええなら、私もええよ」
「よし、なら決まりや。ここでお弁当やな!」
「……え、参拝じゃないの!?」
 何しに来たの君たち。と、藤が呆れたように問えば、少女は恥ずかしそうに、少年の方は嬉しそうに同時に応えた。
『ピクニック!』



 少女が手提げから取り出したのは古風な黒塗りの重箱であった。線の細い双子が食べる量としてはいささか大袈裟なほど、中にはぎっしりとおかずとお握りが詰め込まれている。
「こっちはこれから掃除するし、下も玉砂利じゃないしね。ここらへんがいいと思うよ」
 藤が先導して案内した場所は、まだ年若い桜の木が点々と並ぶ一角だった。日当たりも十分で、小春日和の暖かな日差しがさんさんと降り注いでいる。
「良かったら食べる?」
 お弁当を興味津々で見つめている藤に問いかけると、彼は笑って首を横に振った。
「俺はさっき食べたから。でも、そうだなー、良かったらウチの神様達に少し分けてやってくれね?」
「ああ、境内借りる訳やしな。それくらいなら――」
 答えかけたところで、珠樹は背を突かれて、振り返った。彼の双子の妹は、愛らしい顔におろおろとした表情を浮かべて、
「…珠樹、さっきから誰かおる」
 彼女が指差した先は、桜の樹のひとつだ。珠枝の視線を追いかけ、珠樹もそちらを見遣る。そこには、
「――随分と良い素材を使っているわね」
 ご満悦、という様子で、朱塗りの箸で人参を摘まんでいる女が一人。あちゃー、と頭を抱える藤を余所に、珠樹は少しばかり険のある視線で女を睨みやった。
「誰や?」
「人に問うならば自分が名乗るべきでしょうに」
「珠枝の作ったキャロットグラッセ勝手につまみ食いしといてよう言うわ」
 腕組みしながら言えば、嘆息しながら、藤が同意する。
「そうだよ、ひめちゃん。さすがに断りも無しに勝手に食べるのはお行儀悪い」
 指摘された女はふん、と鼻を鳴らした。朱塗りの箸――どうやら彼女の「マイ箸」らしい――がどこへともなく消え去って、いつの間にやら手にしていた扇子で顔を隠しながら、彼女はどうやら笑ったらしい。
「お前が許可を貰っていたじゃないの。――神社の神様にその重箱の中身を奉納してくれ、と」
 ああ、と先に得心したように頷いたのは珠枝の方であった。
「そんなら、あんたが神社の神さんか」
 今度は「ふふん」と満足そうに女は鼻を鳴らす。珠樹の方でもその言葉で納得して、手を打った。
「そうなんか。そんなら、境内ちょっと借りるで?」
「別に構わなくてよ。前金は今頂いたから。…そちらの卵焼きも貰ってよくって?」
「……よぉ食べる神様やなぁ」
 まぁ、重箱の中身は二人で食べるには少しばかり多いくらいだ。別に構へんで、と珠樹が言うと、卵焼きが一つあっという間に姿を消した。

 人見知りをする珠枝も、相手が人間なのかよく分からない相手であることもあってある程度気持ちが解れたらしい。藤が温かいお茶を持ってきてくれたこともあり、何となく、そのまま珠樹も珠枝も、藤と「神様」――ふじひめ、と名乗った――を相手にお弁当を食べることになった。尤も、既に昼食を終えた藤は横で一緒にお茶を飲んでいただけであるが。
「ふふ、久々に少し退屈が紛れたわ」
 両親の話、育てている植物の話。
 双子のうち、専ら会話をするのは珠樹の方だが、その彼の他愛もない話も、神社の神様にはいたくお気に召したらしい。彼女は頬杖をついた格好でそう呟いて、満足げに吐息をついた。隣に居た藤が、苦々しげな顔になる。
「何だよ、さっきまで俺が掃除するの邪魔してばっかり居た癖に」
「だって退屈だったんだもの。町で少しばかり祟りでも起こしてみようかと思う程度には退屈だったわ」
「祟り、って…」
「ひめちゃん、これでも祟り神だから」
 さらりと藤がそう告げたので、思わず珠樹は珠枝を庇うような恰好で身構えてしまう。が、目の前の姫神はころころと笑うだけだ。
「お弁当が美味しかったし、話もまぁ、悪くは無くってよ。それに見目も綺麗だもの。わたくし、綺麗な子には祟らないわ」
「はぁ、そらどーも…」
「えらい気儘な神さんやねぇ」
 ぽつりと呟く珠枝の言葉に、藤が「でしょ」と肩を竦める。そんな彼に追い打ちでもかけるかのように、ニタリ、と意地の悪そうな笑みを見せて、ふじひめはこう言った。
「でもそろそろお腹も膨れて、もう一息何か欲しいところねぇ。藤、面白いことをなさいな」
「無茶振りするのやめろよ! 『面白いことやれ』ってそれすげぇハードル高いからな!?」
「ハードル高いな…」
「高いなぁ…」
 珠枝までもが思わず、と言った様子で唸る。それから双子はふ、と顔を見合わせた。
 先に笑みを見せたのは兄の方で、彼はん、と咳払いをして、
「そんなに退屈やったら、もうひとつ、僕らから」
「あら。美味しいお弁当以外にも何かあるのかしら」
「こんなんでええか分からんけど、まぁ楽しんでくれたら幸いに」

 す、と息を吸う。お腹の底に小春日和の日差しの匂いを吸い込んで。
 ら――、と。
 音をひとつ、宙に放つ。

 昔語りに。寝物語に。あるいはちょっとした日常の隙間に。珠樹の記憶に色づいて残る、それはただの旋律であった。歌詞は無い。覚えていないだけかもしれないし、元より語る言葉を乗せるべき歌ではないのかもしれない。
 ただ、母の歌声は耳に鮮やかに残っていた。記憶の中のそれをなぞるように、細くもよく通る声が境内に響き渡る。
 声変わり前の少年の声色は透明で、冬の乾いた日差しをも緩く震わせるようだった。
 歌詞はない。言葉は無い。
 けれども、聞く者が耳を傾け、目を閉じて、何かを想いださざるを得ないような、そんな旋律の歌だ。
「…そんなら、うちも。かくし芸みたいなもんやけど」
 その歌声にはにかみながらも微かに笑んで、珠枝が鞄に手をかける。一体どこに仕舞い込んでいたものやら、彼女が取り出したのは、やや小さなサイズの三味線であった。古いながらもよく手入れをされているらしいそれを、僅かに二度、三度と弦を弾いて調律すると、彼女は弦をピン、とひとつ鳴らした。珠樹がその音に気付いたように視線を投げ、二人は目線だけで言葉もなく、タイミングをぴたりと合わせた。
 歌詞の無い歌声に、しゃん、と三味線の、どこか哀愁の漂う音色が重なる。
 兄の歌が終わっても、三味線の音はそのままに続いた。珠枝が、今度は確かに笑んで、目線だけは弦へ落としながらも、
「即興も得意なんよ。よければこのままどうぞ」
 聴衆から異論の出ようはずもない。


 そして演奏が終わっても、場には余韻の響きが残っているようだった。鳥の声ひとつなく、空気までもが遠慮がちにゆるりと動いているようだ。ぽかん、と間抜けな表情で口を開いていた藤がやっと動いたのは、曲が終わってたっぷり数分は経過した時だ。
「…驚いた。凄いなぁ、俺、三味線でこんな音が出るの初めて聞いた。それに珠樹君のも、初めて聞く歌なのに、歌詞もないのに、頭の中にいろんなものが浮かんできたよ」
 凄いなぁ、ともう一度、噛みしめるように藤が嘆息する。
 さて、その隣で余興を所望した張本人、ふじひめはと言えば。
 目を閉じたまま演奏に聞き入っていたらしい彼女はそのまま、瞼を上げずに、ふぅ、と細く息を吐き出した。
「……ああ、ああ、これが『かくし芸』だなんてとんでもないわねぇ。おまけにお前達、木の気に好かれる性質でしょう」
 木の、と少し不思議そうに繰り返す珠樹をちらと見て、珠枝が彼の袖を引く。そうしながら彼女が答えて曰く、
「好かれとるんかどうかは知らへんけど、私、植物は好きやで」
「…ええ、そうでしょうね。今の歌と曲で、兄様がお目を覚まされるほどだもの」
 告げて、彼女は人差し指で頭上を示した。場の三人が一緒に見上げると、視線の先。冬の日差しを浴びる、まだ細い頼りなく若い桜の樹の枝のひとつに。
「…桜が咲いとる…」
「さっきまで咲いとった?」
 珠枝の問いに、珠樹は首を横に振る。その二人に、藤が今度こそ目を丸くしたままで告げる。
「ウチの神様がはしゃいだんだよ、今の演奏で」
「神さん…あの我儘女神さんが?」
「珠枝ちゃん、君大人しい癖にさらっと酷いこと言うね。…あっちの気分屋じゃなくて、ウチにはもう1柱居るんだ。冬場は殆ど寝込んでるんだけど…さっきの演奏がよっぽど気に入ったんだなぁ…」
 こんな季節に、思わず花を咲かせてしまうくらいに。
 感心しきり、という調子でそう言われれば悪い気はしない。珠樹は笑って、少し芝居がかった調子で彼とふじひめに頭を下げて見せた。
「お粗末さんでした。お気に召したんなら、幸いや」




 またきてね、とひらひらと手を振る藤と、ご機嫌な様子で社殿の屋根に腰を下ろしたふじひめに見送られて、鳥居で待っていた珠樹の下へと珠枝が駆け寄ってくる。暫くの間、お賽銭を投げ込んで何やら熱心に本殿に手を合わせていた彼女の手提げ袋を代わりに持ってやりながら、珠樹はふ、と自分より少し背の低い妹を見遣った。
「そない熱心に、何をお願いしとったん?」
「…珠樹にも、秘密や」
 願い事は口に出したら叶わんて、言うやろ。
 多分父か母からの受け売りなのだろう言葉を口にする珠枝に、そうか、と頷いて珠樹は彼女の頭をまた撫でる。
「さ、帰ろか。――珠枝、ええお土産もろたなぁ」
 頭を撫でる手を止めて、珠樹は思わずほろりと笑う。不思議そうに上目に彼を見る珠枝に、内緒や、と珠樹は再度笑って、彼女の髪を直してやった。
 いつの間にやら、繊細な白銀細工を想わせる珠枝の髪に、薄紅の桜の小さな花が飾られていたのだ。恐らく気付いていないのであろう珠枝に、後で鏡を見せてやろう、と珠樹は花の位置だけを直して、手を差し伸べる。
 触れる手の温度は、冬の日差しよりもなお温かいことを、知っていた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 8638/ 珠樹  】
【 8639/ 珠枝  】