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【神速の死神】
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都市部から離れた暗闇に一人の少女の姿があった。
周りにある建物は、どれも明かりがなく、沈黙している。街灯も少なく、そのうちのいくつかは手入れされていないのか、ちかちかと明滅を繰り返している。
荒廃した光景である。まるで、この街は世界から見捨てられたかのようだ。そのような場所に少女が一人佇んでいる姿は、異様であり不審ですらあった。しかし、そんなことを気にする人影どころか、野良犬や野良猫の姿すらない。
少女は真っ直ぐ、正面に建つ、白塗りの無骨な建物を睨んだ。その建物だけが唯一、窓の隙間から微かな明かりを発していた。そこは秘密裏に違法な薬物兵器開発を行っている製薬会社の秘密研究所だ。
「さて、そろそろ始めると致しましょうか」
その少女、水嶋琴美（みずしまことみ）は堂々と正面入り口へと歩き出した。その足取りは軽く、踊るようでもある。
今夜は少しくらい楽しめるお相手がいてくれればいいのですが。心の中で呟きながら、くの一の末裔とは思えない、隠密とはかけ離れた歩みで、琴美は高らかにブーツの音を闇夜に響かせた。
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「な、何なんだ、お前は！」
研究所の警備部隊の男が取り乱した声を上げた。彼は、今の状況を理解できていなかった。今、目の前で繰り広げられている光景を、一体、誰が予想できただろうか。男は混乱した頭で思った。そう、こんなことが予想できるはずがなかったのだ。
はじめ、男たちは敵対組織の襲撃かと身構えた。外にも警備が立っていたはずであり、扉には厳重にロックがしてあったのだ。その扉が突如、何の前触れもなく、開かれた。
男たちの間には緊迫した空気が流れた。しかし、彼らは高度な訓練を受けたプロだ。取り乱すことなく、それぞれの武器を手に取り、敵の攻撃からの遮蔽物となる場所に身を滑り込ませ、扉に意識を集中させた。
しかし、男たちは肩透かしを食らったように感じた。そこに立っていたのは、一人のいたいけな少女だった。いや、いたいけな少女というのは語弊がある。
少女の服装は編上げで膝まであるロングブーツにグローブ、ミニのプリーツスカートにフィットするスパッツを穿き、着物の両袖を短くしたものに、帯を巻いた形の上着、下は黒の体に密着しているインナーを着ていた。それはどこか踊り子の衣装のようでもあり、或いは戦闘服のようでもあった。
そのことに、すぐに気づいた男たちは、警戒を強くした。
何者だ？ この少女は。
男のうちの一人は心の中で呟いた。分析するように、少女を観察する。
年齢は二十歳前後か。黒い髪に黒い瞳。肌の露出は少ないが、どこか艶めかしい雰囲気を纏っている。妖艶と言ってもいい。それは彼女の毅然とした佇まいのせいか、それとも肌を隠しても隠しきれない、彼女の成熟した肢体のせいか。体を締め付けるようなインナーを着用し、着物を羽織っていても尚、分かる胸の膨らみに、短いスカートから伸びる脚はカモシカのように細く長い。帯を締めた腰は折れそうなほど細く、黒く長い髪は光を弾くほどに滑らかで美しかった。
そこで、少女が動いた。男たちは身構えた。警戒は緩めていない。しかし、少女はお辞儀をしただけだった。まるで、そこが舞台の上であるかのように、右手を胸に、左手を背に回しての、芝居じみたお辞儀だ。男たちは釘づけになっていた。そんな仕草すら、人を惹きつける魅力を放っていた。
「お初にお目に掛かります。私、水嶋琴美と申します。どうぞ、お見知りおきを」
琴美の予想外の自己紹介に、男たちは面食らったのだった。
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これで、挨拶も済みましたし、と琴美は心の中で呟き、顔を上げた。
「それでは、参ります」
鈴の音のような声が室内に響いたと同時に、琴美は疾風の如く、身体を滑らせた。それは、神速とも言える、常人なら突然琴美が消えたと感じるほどの速度だった。その両手には指の間に一本ずつ、合計で八本のクナイが握られていた。
まずは、正面の御仁から。琴美は迷わず、駆けた。
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男たちは琴美の突然の動きにも、冷静に対処した。彼らは荒事のプロだ。琴美の姿を見失うようなことはなかった。
速い。だが、対処できないほどではない。琴美を分析していた男は勝利を確信していた。相手の武器は見たところ、クナイだけだ。それに対し、こちらは重火器を武装したプロが五人。負けるはずがない、と。
琴美の駆ける姿は美しかった。正しく、蝶が舞うようだ。
しかし、男は躊躇うことなく、無駄のない動きでマシンガンを構え、右手に移動する琴美に照準を合わせた。男はすでに、琴美を排除すべき敵と認識していた。引き金を絞り込んだ。
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残念でしたわね。琴美は心の中で呟いた。正しく、今、琴美が仕留めようとしている正面の男が、あらぬ方向にマシンガンの銃口を向け、引き金を引いたのだ。
それは残像ですのよ。琴美の口元からは、思わず笑みがこぼれた。琴美は悪戯が成功したかのような、可笑しさを感じた。男が捉えたと思っていた琴美の姿は、琴美の常人離れした高速移動による残像だった。実際の琴美は、ほぼ真っ直ぐに正面の男に向かっていた。しかし、可笑しかったのも一瞬だけだった。
なんだか、興醒めですわね。残像により、男を出し抜いたのに一瞬、喜びを感じたものの、歯応えのある相手を期待していた琴美としては、期待外れもいい所だった。
さっさと片付けてしまいましょうか。任務は優雅にテキパキと。琴美は心の中でそう呟き、目の前まで迫った男の首筋にクナイを走らせた。続けて、右手の二人と左手の一人にクナイを投擲する。男たちは何の反応もできず、急所にクナイを受けて、倒れた。風を切る音が遅れて聞こえてきた。
研究所が静寂に包まれた。
後は、あの奥に一人でしたわね。今の琴美の位置からでは、男は壁に隠れてしまっていた。琴美は優雅に髪をなびかせ、ゆっくりと歩き出した。
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「な、何なんだ、お前は！」
男はかつて経験した事のない恐怖を抱き、取り乱していた。訳が分からない。なんなんだ、この化け物は。
男は琴美から一番離れた位置にいた事もあり、最初は傍観するような気持ちでいた。必要があれば援護射撃に回ればいいだろう、と。
だが、琴美が動いたのとほぼ同時に、仲間のマシンガンが火を噴いた。その弾丸は確実に琴美の体を捉えた、と男は判断した。援護射撃も必要なかったな。男は銃を下ろし、女の姿を確認しようとして、自分の目を疑った。そこにあるはずの女の亡骸がないのだ。あるのは仲間のマシンガンが穿った壁の弾痕だけだった。
あの女はどこへ行った？ 男が視線を彷徨わせた時には、他の仲間は倒れていた。何が起きた？ 混乱する頭を男は必死に働かせた。女以外にも敵が潜んでいるのか？ そう思ったが、すぐにその考えを自分で打ち消した。この研究所の入り口はあの正面の扉だけだ。そこから、あの女以外に侵入してきた奴等いなかった。外部からの狙撃もあり得ない。窓は全て防弾で、閉め切られていた。第一、窓が破られる音はおろか、実際に今も窓は健在なのだ。そして、何よりも、仲間を仕留めた武器がどう見ても、あの女が手にしていたクナイであるのだ。つまり、これはあの女が一人でやったこと。
男はそこまでの思考を一瞬で行っていた。生存本能が男の思考を加速させていた。
静まり返っていた研究所に、新たな音が響いた。男の体がびくり、と跳ね上がった。その音がゆっくりと近づいて来る。
この音は、あの女が履いていたブーツの音だ。男は銃を握り直した。そこで、男は我が目を疑った。自分の手がガクガクと震えていたのだ。自分が恐怖を抱いている事に、初めて気付いた。意識してしまったのだ。自分の恐怖を。
その時点で、男に残された、万に一つの勝機も完全に消えたのだった。
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