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<東京怪談ノベル(シングル)>


【乙女の休日】

 窓ガラスに反射した太陽の光がキラキラと眩しい。それが通路に沿って、いくつも並んでいる。この道はあなたのものです、と照らしてくれているようでもある。
 キラキラと輝く窓は、どれも、お店のショーウインドウだ。離れていると、太陽の光が反射して、中が窺い知れない。近付くにつれて、少しずつ中が見えるというのは、素敵なびっくり箱のような、驚きと楽しさがあった。
 これ、とても素敵ですわ。
 琴美はあるお店の前で、足を止め、ショーウインドウの中を眺めた。そこには、白のワンピースと白のつば広の帽子のセットが飾られていた。清楚で可憐。そんな洋服だ。
 今、琴美が身につけているのは、ミニのプリーツスカートとロングブーツに黒のジャケット。シックな出で立ちで、可愛らしくもあり、恰好よくもある。スカートから伸びる長い脚、ジャケットを下から押し上げる豊満な胸。長く美しい黒髪に、強気な印象の大きな瞳とも相まって、大人っぽく、色気を醸し出している。
 道行く人が、男性だけでなく、女性も琴美に目を奪われる。人を惹きつける魅力を琴美は持っていた。だが、琴美は周りの視線に気付きもしていなかった。気付いていたとしても、当然のことですわ、と堂々としていただろうが、今の琴美はショーウインドウの中のワンピースに釘付けだった。
 やっぱり素敵ですわ。どうしましょう? 買おうかしら。
 戦闘の時はもちろん、普段から即断即決、優柔不断とは無縁の琴美も、やはり女の子なのだ。買いもの時はいろんなものを見て回り、あれも素敵、これも素敵、と悩んでしまう。それが今日は、買い物にきてすぐに、このワンピースを見つけてしまった。まだ、街に出てきて間もない。
 他のお店を見て回れていないのに、このワンピースを買ってしまっていいのかしら? 琴美はそんなことを思った。
 でも、ここで出会えたのも何かの縁。運命かもしれませんわ。そう、これはきっと運命の出会いなのですわ!
 琴美はぶつぶつとそんな独り言を呟くと、もう一度、ワンピースを穴が開きそうなほどじっくりと、見詰めた。
 白いワンピースは琴美の綺麗な黒髪によく映えるだろう。白い帽子も良く似合うに違いない。今の琴美とは違う、清楚で可憐な琴美。それはとても魅力的だ。
 琴美の心は決まっていた。そうなれば、琴美の行動は早い。何せ、琴美の最大の武器は、神速ともいえるスピードなのだから。


「良い買い物をしましたわ」
 琴美は上機嫌だった。今にも歌を口ずさみながら、踊り出しそうなほどだ。勿論、周りの目もあるので、そんな事はしないが、琴美の周りだけが、春の陽光に包まれているのでは、と錯覚しそうなほどだ。
 落ち着いているが、どこか陽気な店の雰囲気と合わさって、琴美の笑顔は輝いていた。
 周りの客も、食事の手を止め、思わず琴美に見惚れていた。彼らもまた、笑顔を浮かべている。琴美の笑顔は、まるで伝染するかのように、見ているだけで周りを笑顔にさせた。
「お待たせ致しました。『オマールエビとトマトのパスタ〜バジルを添えて〜』でございます」
 そこにウェイターが料理を運んできた。まだ若いウェイターだ。
「ありがとうございます。とても美味しそうですわ」
 琴美は料理を前に、そう感想を述べると、フォークとスプーンに手を伸ばした。
「お客様、とても素敵なお召しものでございますね。その純白のお召しものが、料理で汚れてしまっては台無しでございます。どうぞ、こちらをお使い下さいませ」
 すると、ウェイターは白い前掛けを琴美に差し出した。
「あら、気が利きますのね。ありがとう」
 琴美はそれを受け取り、深層の令嬢の如き、可憐な笑顔を返した。ウェイターは一瞬、言葉を失ったかのように、琴美に見惚れると、すぐに表情を笑顔に戻し、
「それでは、当店自慢の料理、存分に楽しんで下さいませ」
 一礼をし、琴美のテーブルを離れた。
 ふふ、可愛らしいウェイターさんですわね。琴美は心の中で、そう呟くと、洗練された仕草で、パスタをフォークとスプーンで器用に巻き取り、一口いただいた。
 あら、期待していた以上に美味しいですわ。オマールエビの風味に、トマトの酸味と、炒めた玉ねぎだろうか、優しい甘みが口の中で広がり、バジルの香りが爽やかに抜ける。
 琴美は期待以上の味に、幸福感を一杯に感じていた。
 今日は素敵な休日になりましたわね。
 琴美は今日の出来事を振り返った。街に出てきてすぐに、普段のファッションと趣向は違ったが、とても素敵なワンピースを見つけ、着てみると、想像通り、いや、想像以上によく似合い、即購入した。
 そのまま、そのワンピースを着て、上機嫌で街を歩いていると、新しくできたらしいイタリアンを発見し、入って見ると、雰囲気はよく、ウェイターの対応も申し分なく、料理も期待以上。
 今日は幸運の女神が私を祝福しているのに違いありませんわ。琴美はそんなことを思うほど、今日という休日を満喫していた。
 飲み物を一口飲み、パスタをフォークで巻き取る。琴美は少し浮かれていたのかもしれない。気が抜けていたと言ってもいい。
 フォークに巻きつけていたパスタが意図せず、跳ねた。それに合わせて、赤いトマトソースが弾かれたように、琴美の白いワンピースへと飛ぶ。前掛けをしているから安心、とはいかなかった。トマトソースは狙い済ましたかのように、琴美のふくよかな胸の膨らみによってできた、前掛けの浮いた隙間に飛んできた。
 しかし、そこで慌てるような琴美ではなかった。手元にあった、紙ナプキンを手に取ると、素早くそれを引き寄せ、今にもワンピースに飛びかかろうとするトマトソースを、空中で見事に防いだ。
 それは一瞬の出来事だった。周りの客もウェイターもまったく気付いていない。
 琴美は何食わぬ顔で、紙ナプキンをテーブルに置き、フォークを手に取り、微笑を浮かべた。
 ふふ、危なかったですわ。今ので洋服が汚れてしまっていては、あの可愛らしいウェイターさんのおっしゃった通り、今日という一日が台無しでしたものね。
 琴美は全く危なかったなどと思っていないのに、そんなこと思った。
 それに、ソースで洋服を汚してしまっては、せっかく前掛けを貸して下さったあのウェイターさんにも悪いですものね。
 ふと、琴美は視線を横に向けた。そこには先程のウェイターが立っていて、こちらを見ていた。二人の目が合う。にこっ、と琴美は小首を傾げながら、笑顔を向けた。ウェイターは顔を赤らめ、そわそわとしたかと思うと、はにかんだ笑顔を浮かべて、なぜか腰を折って頭を下げた。それは照れ隠しだったのかもしれない。
 ふふ、やっぱり可愛らしいウェイターさんですわね。琴美は笑顔を浮かべて、紙ナプキンでそっと口元を拭いた。
 そう言えば、この服、意外と動きやすいですわね。先程の事を思い出して、そう思った。
 なんなら、今度の任務はこの服で臨もうかしら。殺伐とした戦場に、純白の天使。いえ、純白の死神かしら。それはなかなか素敵ではないかしら。この服くらい防御力が皆無な方が、丁度いいハンデになるでしょうし。
 そこまで考えて、琴美はその考えを自分で打ち消した。
 いえ、それでも意味がありませんわね。防御力が下がっても、私に攻撃を当てられるお相手なんて、いないのですから。それに――。
 それに、せっかくの洋服ですもの。そんな場所にではなく、もっと特別な時に着ないと、ですわね。
琴美は、ぽーっ、と宙に視線を彷徨わせた。
 そんな特別な時間を共に過ごせる殿方と出会える日が私にもやってくるのでしょうか。
 そこで、ふふ、と笑いが込み上げてきた。
 まるで、乙女のような事を考えていますわね。
 それが、なんだか可笑しかった。
 今は、それよりも任務ですわね。それが、私の生きる道なのですから。
 琴美はそう思い直し、
 次の任務はどのようなものかしら。例え、どんな任務が命じられても、完璧に遂行してみせますわ。
 琴美は決意を新たに、まだ見ぬ任務に、胸を高鳴らせるのだった。