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<東京怪談ノベル(シングル)>


令嬢くのいち、市井に憩う

 白いレースの花が、バストの形に合わせて丸みを帯びながら、清楚に可憐に咲いている。
 豊麗な左右の膨らみを、しっかりと支え包む純白の下着。矯正の必要もないほど見事な胸の形が、さらに美しく引き立てられている。それでいて、押し付けがましさは全く感じさせない。
 しなやかな二の腕と、美しい両肩の丸み。綺麗な鎖骨の凹みと、深く柔らかな谷間。格好良くくびれた脇腹の曲線。白い美肌をサラリと撫でる黒髪。
 出来上がったばかりのブラジャーが、それら全てと完璧な調和を成している。
 鏡に映る己の半裸身に、水嶋琴美は思わず見入ってしまった。
「相変わらず……本当に、素晴らしいお仕事ですわ」
「ありがとうございます」
 品の良い女性店員が、礼儀正しく深々と頭を下げる。
 琴美が贔屓にしている、ランジェリー専門店である。注文しておいたオーダーメイドの下着が、まるでこの休日に合わせるかのように完成していた。
 外側を美しく着飾る事は、誰にでも出来る。外から見えない部分にこそ、金を使うべきなのだ。
 琴美は、そう思っている。この店は、そんな注文に常に応えてくれる。
 店員も、それに工房の職人たちも、誇りと情熱を持って仕事をしているのだ。
(そんなお仕事、私もしてみたいですわ……)
 誰にも打ち明けられぬ思いを胸に、琴美は代金を払って店を出た。
 買ったばかりの下着の上に着用しているのは、白のブラウスに黒のジャケット。下は、同じく黒のプリーツスカートにロングブーツ。忍びの家系だから、というわけでもあるまいが、琴美は昔から黒が好きだった。
 ショーウインドウに映る自分の姿を、琴美はちらりと確認した。
 黒の装いが、引き締まって見える。
 やはり、と琴美は思う。下着の良し悪しは、外見の着こなしにも間違いなく影響してくる。目に見えない部分が、目に見える部分を、さりげなく左右するのだ。
「まるで私のお仕事みたい……なのかしら?」
 思わず、街中で独り言を漏らしてしまう。
 それをごまかすように琴美は微笑み、足取りを軽くした。
 すらりと伸びた両脚が、軽やかにブーツの足音を鳴らして躍動する。
 一組の若いカップルと、擦れ違った。男の方が琴美に目を奪われ、擦れ違った後も、まじまじと振り向いてくる。女の方がむっとして、男の片耳を引っ張って無理矢理に歩く。
 琴美は、微笑ましい気分になった。
(あのお2人が、私のせいで別れてしまうような事が、どうかありませんように……)
 つい、そんな思い上がった気分になってしまう。平和だからだ、と琴美は思う事にした。
 本当に、平和な休日だった。
 琴美だけではない。道行く人々全員が、平和な日常を謳歌している。
 この穏やかな日常を守るのが、自分の仕事。琴美も、頭ではわかっている。この仕事に、刺激など求めてはならないのだ。
 琴美が刺激を感じてしまうような仕事があるという事は、つまり世の中が平和ではないという事なのだから。


 ナイフとフォークで肉を切り分けるのは、クナイで敵を切り刻むよりも難しい、と思えてしまう時がたまにある。
 それでも、どうにか様になった手つきで、ステーキの欠片をフォークで口元へと運ぶ事が出来た。切り易い肉なので、助かっている。
 端麗な唇が、全く肉汁で汚れる事もなく、上品にステーキ片を包み込む。
 柔らかな肉だった。玉葱のソースと胡椒との調和も、完璧である。
 全く音を立てる事なく、滑らかな頬をもぐもぐと動かして、琴美は神戸牛を堪能した。
 周囲の席では、身なりの良い客たちが全員、呆気に取られている。
 ぴんと背筋を伸ばし、器用に上品にナイフとフォークを遣う琴美の食事風景に、見入っているのだ。完璧なマナーと、肉を食べる挙措すら流麗な令嬢の姿に、魅了されている……だけではない。
 琴美のテーブルには、すでに空になったステーキ皿が10枚近く、重ねられている。
「ミディアムの300グラム、もう1枚お願い出来ますかしら」
「か、かしこまりました」
 ウェイターも、恐れおののいている。
 新しいステーキが運ばれて来る前に琴美は、目の前の皿に残った最後の肉片を、口の中へと迎え入れた。
 ジューシィな旨味が、口内を満たす。琴美にとって、至福の一時だった。
(ああ、本当に素晴らしいお仕事をしておられますわ……牧場の方々も、お店の方々も……犠牲となって下さった、牛の方々も……)
 うっとりと、琴美は思う。こういうものを、食事と言うのだ。
 任務中は特務統合機動課の携帯食を口にするが、あんなものは食事ではない。単なる栄養補給だ。補給作業と割り切って、琴美は日頃あれを摂取している。
 食事と言える食事は、こうして休日中に堪能しておかなければならない。得たカロリーは全て、戦闘力として消費されるのだ。


 少子化などと言われているが、休日にこうして公園を歩いていると、大勢の子供たちを見かけるものだ。
 小さな男の子が、父親と相撲を取っている。母親が、傍らではやし立てている。当然と言うべきか、父親は笑いながらあっさりと負けた。いくら何でも、もう少し本気で戦っても良いのではないか、と琴美は思った。
 玩具の円盤を投げ合っている親子もいる。何やら楽しげに走り回っている、男の子の一団もいる。
 姉妹であろうか。小さな女の子が2人、派手にブランコを揺らして高々と舞い上がっている。母親らしき女性が、はらはらしながら見守っている。
 もしブランコから落ちるような事があれば飛び込んで助けなければ、と琴美は思ったが、今のところ、そんな事故は起こりそうになかった。
 皆、本当に楽しそうだった。
 あの研究施設で作られた毒ガスが、下手をすれば今この公園で、ばらまかれていたかも知れない。ここでなくとも、どこかの国で大勢の子供たちの命を奪っていたかも知れない。
 いかに退屈な任務であろうと、琴美がそれを遂行した事によって、悲劇のいくつかを未然に消し去る事は出来たのだ。
「刺激のないお仕事も……そう考えると、悪いものではありませんわね」
 守るべき風景の中を、足取り優雅に歩みながら、琴美は微笑むのだった。