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ふわもこクリスマス
街じゅうが、サンタクロースで溢れかえっていた。
駅前にいる。街頭にいる。おもちゃ屋さんやケーキ屋さんの店先にも当然いる。コンビニやスーパーのレジにもいる。
そして、路地裏にもいる。
部活ですっかり遅くなってしまった、夕刻の帰り道。いろんなクリスマスソングが流れる街の片隅で、あたしは立ち止まっていた。
そのサンタさんと、目が合ってしまったからだ。
普通なら、会釈や愛想笑いでごまかして立ち去るところだろう。
そうする気になれなかったのは、そのサンタさんが、とても優しい微笑みを浮かべていたからだ。
他のサンタクロースと同じで、どこかのお店のアルバイトさんだろう。最初は、あたしもそう思っていた。
けれど少なくとも、その真っ白なお髭は、とても作り物とは思えない。
そして何よりも、笑顔が優しい。人懐っこく、温かい。
サンタクロースと言えば赤い服だ。だけどこの路地裏のサンタさんは、黒い服を着ている。
そんな事は全然気にならずに、あたしはフラリと路地裏へ入り込んでいた。
サンタさんが、プレゼントをくれる。ぼんやりと、そんな事を思いながら。
にこにこと優しく微笑みながら、黒いサンタさんは、担いでいた大袋を開いている。
中には、プレゼントがたくさん入っていた。
形も色も何だかよくわからない、ただプレゼントだっていう事だけがわかる、色とりどりの煌めくものたち。
サンタさんが袋の口を開いて、それらをあたしに見せてくれている。
好きなものを選んでごらん。優しい微笑みが、そう言っている。
あたしも嬉しくなって微笑みながら、いそいそとサンタさんに近付いて行った。
そして、袋の中を覗き込む。
気が付いたら、あたしは袋の中にいた。
「え…………?」
わけがわからないまま、辺りを見回してみる。
キラキラと、雪が舞っている。わかるのは、それだけだった。
明るいのか暗いのかも、よくわからない。
粉雪の煌めきが舞う空間に、セーラー服姿の女の子が浮かんでいる。端から見ればそんな光景だけれども、端から見ている人がいるのかどうかはわからない。
「な……何? これ……」
疑問を口にしてみても、答えてくれる人は誰もいない。
「あたし……何で、こんなとこにいるの……?」
ぼんやりとした頭で、無理矢理に考えてみる。
確か、学校からの帰り道だったはずだ。
路地裏に黒いサンタクロースがいて、目が合ってしまった。そして微笑みかけられた。
そこから、何やらわけがわからなくなってしまったのだ。
「ここから、出なくちゃ……」
そう思って、手足を動かしてみる。
自慢じゃないけれど、泳ぎには自信がある。浮かんでいるのが水の中なら、自由自在に動き回れる。
でも、ここは水の中とは違う。手足をばたつかせてみても、身体は1センチも進んで行かない。
すぐに疲れてしまったので、あたしは手足を動かすのをやめた。
全身が、何だかふわふわとしている。
気持ちいい。だけど、恐い。この気持ちいいフワフワに身を任せていたら、何かきっと恐ろしい事になる。
「助けて……誰か……」
悲鳴を上げた、つもりだったけれど、寝言みたいな呟きにしかならない。
何か、聞こえて来た。
何の音かは、わからない。とにかく、誰かが近付いて来る。
助かった、とあたしは思った。
助けて。そう声を出そうとして、あたしは自分の目を疑った。
シュポシュポと音を立てて近付いて来たのは、おもちゃの機関車だった。粉雪のちらつくこの空間を、いくつか車両を引きずりながら走っている。そして、あたしの目の前を通り過ぎて行く。
くすくす……っと、誰かが笑った。
小さな女の子が1人、あたしと同じに、ふわふわと浮かんでいる。
人間の女の子じゃなかった。綺麗なドレスを着せられた、西洋人形の女の子だ。
ジーコジーコと、やかましい音が聞こえてきた。
ブリキとプラスチックで出来たロボットが、おもちゃの機関砲を鳴らしながら回転し、歩いている。
「なに……何なのよぉ、ここは……」
ふわふわと脱力感に支配されつつある手足を、あたしは、無理矢理に動かそうとしてみた。
弱々しくばたつく右手が、視界に入った。
あれ……おかしい。あたしって、こんなに腕、太かったっけ……?
手も指も、妙に丸っこく見えてしまう。腕がセーラー服もろとも、妙に柔らかく膨らんでいる。
「あ……あぁ……」
あたしの声が、恐怖でかすれていく。
何が起こっているのかは、よくわからない。わかる事は1つだけ……あたしの身体が、変わってゆく。
ふわふわとした、わけのわからない感覚が、全身に満ちている。
そのフワフワ感の下で、微かな痛みが疼いているのに、あたしは気付いた。
気付いた瞬間、その痛みは一気に膨れ上がって、あたしの身体の中で暴れ回った。
それは、激痛としか言いようがない感覚だった。
「痛い……いたぁい……いたいよう……」
あたしは、のたうち回って悲鳴を上げたつもりだった。
だけど、丸っこくなった手足がばたばたと無様に動くだけで、声も上手く出せなくなっている。喉の発声器官までもが、わけのわからないものに変わりつつある。呼吸器官もだ。
苦しい、痛い。あたしは涙を流した。目は、まだ見える。
涙でぼやけた視界の中に、またまた変なものが見えていた。
おもちゃの機関車が、シュポシュポと近付いて来る。今度は、お客さんを乗せていた。
カエルとウサギとアライグマ。3つのぬいぐるみが、車両にまたがっている。そしてニコニコと微笑み、あたしに向かって小さな手を振っている。
励ましてくれている。あたしは、そう思った。
西洋人形の女の子が、くるくると踊った。
おもちゃのロボットが、回転しながらパパパパパと機関砲を鳴らしている。
みんな、あたしを応援してくれている。がんばれ、痛みに負けるな。
みんな、喜んでいる。仲間が増えるのを、喜んでいる。
あたしの身体の中で、痛みが少しずつ、ふわふわした感覚に呑み込まれるように消えていった。
もこもことした柔らかい心地良さが、痛みを消してくれている。
「……あはっ……ふわふわ……もこもこ……」
気持ち良さの中に、あたしは埋もれて行った。
まるで自分の身体が、成長を巻き戻して赤ちゃんになってゆく、そしてお母さんの中に帰って行く。そんな感じだった。
赤ちゃんに戻るかのように、あたしの身体は本当に小さくなっていった。ふわふわモコモコと変化しながら、可愛らしい、適正な大きさに戻ってゆく。
変わると言うより、あるべき形に戻る。そんな感じだった。
もう痛みはない。あるのは優しさと柔らかさと、仲間たちに囲まれているという安心感。
「ふわふわ……もこもこ……」
首のリボンがおしゃれなクマのぬいぐるみになって、あたしは仲間たちと一緒に、楽しく漂った。
粉雪が、いつまでもキラキラと輝きながら舞っていた。
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