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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


 一夜の花蕾

 グラスを拭いていた絢斗は、人の気配と共にドアの方向を見て……いらっしゃいませ、と明るめに声をかけた。
そこには、既に見知った顔の女性――要するに常連――がいたからだ。
「あ、今日も人が居なくてよかったわ〜絢斗君、美味しいシャンパーニュをお願いね」
 仕事帰りの深沢・美香(6855)がニコニコとはつらつな笑顔を投げかけつつ、すらりとした長い足を見せながらスツールに腰かける。
「はい。ちょうどいいのが入りましたから、今お入れしますよ。
グラスで900円だけどいい?」
「あら、全然良いわよ? ふふ、楽しみ〜」
「深沢さんは、気前が良くて優しいから嬉しいよ。数少ないうちの常連だしね」
 快諾してくれる美香に、シャンパーニュ・ロゼをグラスに注ぎながら、絢斗は素直に顔を綻ばせた。
「ここは居心地良いのよ。空いているし、落ち着くっていうのかしら……ねぇ、寧々さん?」
 美香はいつの間にか自分の隣にいた寧々に多少の驚きを表しつつも、こんばんはと微笑む。
 すると、寧々はそっと美香の髪へと指を伸ばして触れ、悩み事? と静かに聞いた。
「……あら。お見通しなのね? まぁ、悩みというか……愚痴こぼしに付き合ってほしいの」
 くすくすと笑って、美香は絢斗からシャンパンとサービスだというフルーツとチーズの乗った皿を受け取り、一口。
 喉と鼻腔を芳醇な味わいと爽やかな酸味が通り抜ける。
「あー……美味しい。仕事の後のお酒は最高よね」
 軽く指で飲み口をなぞり、紙ナプキンで指を拭うと、カウンターに頬杖をついて寧々へと向き直る。
「実はね〜……この季節になると、ちょっと肌がカサカサで大変なのよ。
ずっとお風呂に入るようなものだし、お仕事時間になかなか手入れできないもの」
 そう言いながら、自分の腕を寧々へと見せる。

 ホステスを辞め、泡姫として働き始めた美香。
 多額の借金を抱えていたので始めたにせよ、完済後も辞めずに働き続けている。
「あら、まだお若いのに……。ただ、化粧品を殆ど使用しないわたしに、年頃の子へのアドバイスは難しいわ……」
「え、すっぴんなの!? あらまぁ。何もしないで綺麗な肌っていいわねぇ……私も吸血鬼になろうかしら」
 基本的に努力家なのだが、それは……些か間違った方向に働いてしまうのが困ったところだ。
 感心したように寧々の頬へと触れる美香。
 人間のそれよりも冷たい身体は、美香の指先の熱を奪っていく。
「ふふ、本心で仰るなら考えてあげてもいいけれど……美香さんは人間でいるほうが綺麗よ」
「……そぉ? お客さんに褒められることは多々あっても、女の人に褒められるほうがやっぱり嬉しいわ」
 いい保湿化粧品、絢斗君は知らない? と念のため聞いてみたが、俺は使わないから知り合いに聞いておくよと返された。
「残念だわぁ……。教えてもらえると思ったのに」
 形の良い唇をすぼめ、尖らせた後グラスを口へ運ぶ。
 白い喉がごくりと小さく動いて、唇からは小さな息が漏れた。

「それでね……肌の調子ばかりじゃないのよ、愚痴って。
なんていうのかな……閉塞感っていうか、焦燥っていうか……そういうものがね」
 視線をカウンターにやり、寂しそうに美香は微笑んだ。
「お客さんに喜んでもらうために、いろいろ技術も磨いたり、接客方法も変えたり……。
それでお客さんが心身ともに気持ちよく帰ってくれるのは嬉しいの。
だけど、時々これでいいのかしらって、ふと思う時があるの」
 自分が好きでやっていることだからと思っていても、不意に寂しいような、『何か』に急かされる自分がいる。
 その正体も分からず、何をどうしたらいいのか、一向に進まず水中をもがく様な……そんな気持ちになるのだ。
「人に接する仕事、変えてみるとかどう? この店で働いてみるとか。暇だけど」
 絢斗が寧々を見つめながらそう言うと、オーナーである寧々は『またそんなこと言って』と静かに笑っている。
 が、美香はそうじゃないの、と手を振った。
「今の仕事が嫌、というわけじゃないのよ。勤務先に不満があるわけじゃない、とも思うし。
ただモヤモヤとするの……人間不信の一種、だったりするのかなあ、ってね……」
 男性の欲望を受け止める仕事というのも、一日に一人ではなく、数人を相手にすることもある。
 中には本心から褒めてくれたりする人もいる。
 もちろん……口では綺麗事を語っていても、蔑みの目を向ける者も少なくない。

「皆、こうして向き合っている以外の人間の事は分からないわ。
その人の価値観もあるのでしょうけれど……美香さんは、きっと自分だけの事じゃなくて、同僚さんのことも考えてらっしゃる?」
 寧々の静かな言葉に、美香は戸惑い気味に頷いた。
「え、ええ……。私は……こうして続けていられるけど、中には本当にやりたくない子もいて。
そういう子に、辛い罵声を浴びせる子もいるから……つい、ね」
 そうして、自分の発言を振り返ったのか……苦笑いし『ごめんね、引いたかしら』とフルーツを口に放り込む。
「いや、俺は別に偏見はないけど。
信じてもらえるかは分からないけど、辛い仕事なのに頑張ってくれてありがたいと思うよ」
「ふーん? でも、もし自分の彼女が実はー、だったらどう? やっぱり嫌じゃない?」
 試すような視線を向けるが、絢斗はやはり『俺に満足できないとかじゃないなら』と言ってグラス拭きを続行している。
「あら。なかなか寛大ね、絢斗君。いいわよ、お店に来てくれたら色々サービスしてあ・げ・る……」
「い、いいよっ! そんな事されたら、深沢さんをお客さんとして見れなくなったら困るし!」
 耳まで真っ赤にして否定する絢斗に、思わず美香と寧々は顔を見合わせて噴き出してしまう。
「ふふ、冗談よ。絢斗君ったら……そんなに可愛い反応すると思わなかったわ」
 からかわれたことに対し、絢斗は面白くなさそうに2人の女性を見たが、何を言っても無駄だと思ったのだろう。
 楽しそうに笑う美香に肩をすくめ。
「……元気になってくれれば、良かったよ」
 と小声で呟いたのをしっかり聞いた美香は、聞こえないふりをしてシャンパーニュを飲み干した。


「――っと、こんな時間になっちゃった。そろそろ失礼するわね」
 3杯目のグラスを置き、美香は会計を済ませて立ち上がる。
 寧々の手元にあるカードを覗き込むと、山から一枚開いてみる。
「……悪魔の逆位置ね」
 不安げな表情を見せた美香に、大丈夫よ、と寧々は笑った。
「恋愛に関しては良くないけれど、少し、仕事に対する考えなどが現状より楽になるわ。肩の荷が下りる……というのかしら。
困ったことがあったら、いつでも相談してちょうだい」
 昔から知っているかのように、親しげな言葉と表情を見せてくれる寧々に、美香は軽く抱擁すると。
「ありがと。そうさせてもらうわ、おやすみなさい」
 実に明るい表情で、店を後にする。

「深沢さんは、ポジティブだけど……一人で抱え込みそうで、ちょっと危ないね」
 グラスを片付け、絢斗は寧々へと呟く。
「そうかしら。困ったことがあったら、自分だけの判断で進めずきちんと誰かに相談する、いい子だと思うわ。
挫折してもちゃんと目標を持って、諦めずに行動できるのは、なかなかいないのよ」
 わたしは好きよ、と寧々は珍しく口にした。
「それに、ここだけの話……いい匂いがするのよ……是非、血を吸わせてくれないかしら」
「……無理だと思いますけど」
 絢斗は身震いしながらグラスを洗い、フックにかける。
「でも、ここに来る人はいろいろ『ある』からね……。一つでも多い幸を願わずにはいられないよ」
 次にまた、笑って話ができるようにと。

 そう願うような気持ちで、絢斗は美香の席に、ローズ色のキャンドルを置き、火を灯した。

-END-


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【6855 / 深沢・美香/ 女性 / 20 / ソープ嬢】