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<東京怪談ノベル(シングル)>


ロザリオの輝きは錆び始める―3

 月光は、変わらない静謐さで地上を照らしている。狂える殺戮者の獰猛な双眸が、愉悦の光を宿して獲物を見下ろしていた。
「さあ……もっと、俺を愉しませろ」
「くっ……!」
 首を捻り上げる屈強な手をつかみ、瑞科は触れた部分から電撃を放った。鬼鮫の肉体が再び蒼白い電光に包まれ、握力が緩む。その隙に瑞科は敵の腹をブーツの底で蹴り、拘束から解放されて間合いを取った。剣を拾い上げて咳き込みつつ、呼吸を整える。電撃により痺れのせいか、鬼鮫は瑞科に背を向けたまま動かない。
 鬼鮫には、電撃も重力弾もまるで通用しなかった。トロールの遺伝子による再生能力は脅威だ。これでは、武装審問官が束になって何度立ち向かっても敵わなかっただろう。
 ならば、と瑞科は剣を構え直す。かくなる上は、再生が追いつかないほどの連続攻撃を叩き込むしかない。電撃や重力弾を浴びせれば、ダメージにはならなくとも隙が生じる。あの鋼の如き肉体に自分の剣戟がどこまで通用するかはわからないが、刀身は聖水で清めて魔力も込めている。鬼鮫の肌に刺した瞬間に魔力を一気に放出させれば、致命傷を負わせることも可能かもしれない。
 月明かりに彩られた若きシスターの肌は、傷つきながらも男を惑わす白い色香を纏っている。青い瞳に滾る闘志は、まだ消えていない。思考を巡らせて啖呵を切る。
「そのタフさには敬意を表しますわ、鬼鮫さん。ですが――今度こそお命を頂戴しますわよ!」
 言いながら魔力を収束させた掌を前方に翳し、最初に放ったものよりも大きな重力弾を撃ち出す。標的の背中に直撃したそれは、強靭な体躯を再び地に沈ませた。瑞科はすぐさま駆け寄り、ブーツの底で背骨を踏みつける。シスター服のスリットから覗くしなやかな脚も、敵を倒す武器と化す。ゴリ、と硬い音が響いた。
 手にした剣を振り翳し、連続で斬りつける。鬼鮫の服が破れ、肉も裂く感触が確かにある。一箇所を攻撃し続け、傷口が塞がらないうちに致命傷を与えれば、勝機は見えてくる。
 ――深く、もっと深く。
 削るように抉った傷に、赤く染まった剣先を突き立てようと振り上げた瞬間。

 ガシッ。

 足首をつかむ鬼鮫の手があった。
「ッ!」
「甘いな、女」
 そのまま横に軽々と引っ張られ、逆に引きずり倒された。背中をしたたかに打ちつけ、土にまみれる。転倒した拍子に剣を手放した。
「かはッ……!」
「確かに、この間の武装審問官どもよりは多少骨があるようだが、単身だろうが束になろうが結果は変わらん」
「なん、ですって……くぁっ!」
 太い指が、ギリギリと首を絞め上げる。息苦しさに視界がぶれて潤む。鬼鮫に馬乗りになられた体勢では、先刻同様に蹴りで逃れることも叶わない。その上、重力弾発射で魔力は殆ど使い果たした。電撃を浴びせるとしても、静電気じみた威力にしかならないだろう。
 瑞科の蒼い双眸が、悔恨と悲哀の色に染まっていく。
 ――君には期待しているよ。教会随一の実力者としてね。
 任務遂行前、毎回のように聴いていた司令の言葉を思い出す。ほかのシスターたちからも羨望の眼差しを受け、武装審問官の男たちからも賞賛されていた自分が、たった一人の敵にこんなにも追い込まれている。
 認めたくなかった。相手に指一本触れさせずに勝利するのは、美徳でもあるというのに。この無様で滑稽な姿は何なのか。武器を持たず魔力も尽きて身体を組み敷かれてしまえば、『戦士』ではなくあまりにも無力な『修道女』だ。
 ――わたくしが、こんなところで倒れていいはずなどありませんのよ! 主よ、どうから御力を……!
 呼吸を塞き止められた瑞科の顔は紅潮し、異性を魅了してやまない清廉な美貌も今は消え失せている。
 鬼鮫が冷たく哂う。星の散らばる夜空と、蒼白い輪郭の月を背景にして。
「まあ、一度でも俺の動きを止めたという事実だけは褒めてやろう」
 重い拳が腹部に捩じ込まれるのを感じ、瑞科はついに意識と戦意を喪失した。

 誇りに輝いていたロザリオは、錆び始める。肌を濡らす血にも似て、じわじわと。