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変身少女
女になって、随分と経つ。
もともと、肉食系男子を自認していた。女性の事なら何でもわかる、つもりでいた。
だが実際、女になってみなければわからない事など、いくらでもあった。
「か……髪を?」
クレアは思わず、己の髪に片手を当てた。大切なものを庇う手つきになってしまった。
さらりとした、ワンレングスの美髪。眼鏡の似合う色白の美貌と共に、才女クレアクレイン・クレメンタインの魅力を構成する重要な成分である。
それを差し出せと言われて、クレアは初めて本当に理解した。髪が女性にとって、どれほど代え難いものであるのかを。
『我ら悪魔との契約は、命を代償として行うもの……』
祭壇の上で揺らめくものが、声を発した。
姿は、よくわからない。わかるのは、鍵屋智子が召喚した悪魔であるという事だけだ。
その鍵屋智子本人は、部屋の片隅に無言で立っている。言葉を発しているのは、悪魔だけだ。
『が、肉体的な生命には拘らぬ。いわゆる、女の命……それで手を打とうではないか』
ねっとりとした悪魔の視線を、クレアは感じた。
『肉体の生命と同等の価値を有する、その美しい髪を、永久にいただこう。代わりに、その娘が人間としての生命を得る』
「やめて……そんなの駄目……」
拘束具の付いた寝台に束縛された三島玲奈が、泣きそうな声を発する。
「大切な人の身体なんでしょう? 私なんか、もういいから……」
「玲奈……」
君はあれほど、人間に成りたがっていたじゃないか。クレアは、そう言ってしまいそうになった。
髪、だけではない。三島玲奈の肉体は、女性として必要なものを全く備えていない一方、女性としてと言うより人間として不必要としか思えぬ様々な異物を、全身各所に備えている。
その姿は、奇怪としか言いようがない。
虚無の境界によって製造された人造妖怪・暴力二女。
年頃の少女の心を持ったまま玲奈は、そんなものとして生き続けなければならないのだ。
(それに比べて、俺は……たかが髪くらいで!)
クレアは、バリカンを手に取った。
髪を失う。そのような事、今の玲奈の有り様と比べれば一体どれほどのものであると言うのか。
寝台に拘束された異形の少女の、痛ましい姿を見つめながら、クレアは強く思う。自分が丸坊主になるだけで、玲奈は人間に成れるのだ。優しい心にふさわしい可憐な少女として、生きてゆく事が出来るのだ。
「駄目よ、クレア……駄目だったら……」
拘束寝台の上で、玲奈が泣いている。
「ごめんなさい……あたし、もう人間に成りたいなんて言わないから……お願い、そんな事しないでクレア……やめてよぉ……」
「別に、君のためじゃあない」
クレアは、微笑んで見せた。
「俺自身にとって……故人の面影を捨てる、いい機会だからな」
玲奈に、負い目を感じさせてはならない。笑いながら、バリカンを使うべきだった。
知的な美女の容貌で丸坊主になれば、さぞかし滑稽な外見になるだろう。玲奈も、大いに笑ってくれるに違いない。
そう思いながらクレアが、己の髪にバリカンを近付けた、その時。
「はいはい、そこまで」
鍵屋智子が、ぱんぱんと手を叩いた。
祭壇の上で揺らめいていたものが、ふっ……と消えた。
「参ったわね。あなたたちの覚悟を試そうと思って、演出してみたわけだけど……まさか、ここまでむず痒い恋愛ドラマを見せられちゃうなんてねえ」
鍵屋が、苦笑している。
バリカンを片手に、クレアは呆然と固まっていた。
「演出って……えっ、あ、悪魔は?」
「だから演出よ。喋っていたのも全部、私。『肉体的な生命には拘らぬ。いわゆる女の命、それで手を打とうではないか』と、まあ……こんな感じね」
悪魔の声色を使って、おどけて見せる鍵屋。
クレアは何も言えず、へなへなと脱力した。玲奈は寝台の上で、涙ぐんだまま呆然としている。
そんな2人を見回し、鍵屋は微笑んだ。
「手段を選ばない程、愛し合っているのね。それは、わかったわ」
その笑顔が、いくらか厳しく引き締まってクレアに向けられる。
「この子の社会復帰は、あなたが支えてあげるように……いいわね?」
「ウヒャヒャヒャヒャ! くっくすぐったい、やめてー!」
「こら、動くな玲奈」
笑い暴れる玲奈の身体に、クレアが刷毛で、血のようなものを塗りたくっている。
うさん臭い錬金術の類を思わせる部屋である。
薬品らしきものと、それらを調合するための実験器具類が、所狭しと並べられている。
それだけではない。人間の皮膚が何枚も、洋服売り場の如くハンガーで吊るされていた。人工皮膚だと鍵屋智子は言っていたが、死体から剥がしてきたとしか思えぬほどの出来の良さである。
そんな猟奇的な部屋の中で玲奈は、くすぐったさに身悶えをしていた。
「ひー! や、やめて! やめてってばちょっと、ひゃっ! うひゃヒャヒャヒャヒャヒャ!」
「ウヒャヒャはないだろう、まったく……もうちょっと色っぽく悶えてみなよ、ほら」
そんな事を言いながらクレアは、丁寧に刷毛を使い、玲奈の身体に赤いものを塗り付けた。
ヒトの雌に化ける塗薬。鍵屋はそう言っていたが、見た目はまるで鮮血だ。
それを塗りたくられ、ドロリと赤く染まった玲奈の姿は、皮膚を剥がされた人体のようにも見えてしまう。人造妖怪・暴力二女から人間へと変わってゆく過程の、半ばである。
「無駄なく満遍なく、塗らないと駄目よ?」
洋服売り場を物色するかのように人工皮膚を選びつつ、鍵屋が言う。
言われた通り、玲奈の身体を隅々まで刷毛でくすぐりながら、クレアは何やら懐かしさを感じていた。
人間ではないものを、人間へと変えてゆく作業。言うならば、改造である。
遠い昔、まだ男であった頃。と言うより、男の子であった頃。女性に興味を抱く前に、熱中していたもの。
あの幼き日々の楽しさに、似ている気がする。
「はい。じゃあ、これを着てみましょうか」
鍵屋は玲奈に、百年穿けそうな鬼のパンツをまず穿かせた。
そうしてから、ぐったりと笑い疲れている少女の細身に、手際良く人工皮膚を被せてゆく。
皮膚を剥がされた人体のようだった少女の身体が、白く瑞々しい柔肌に包まれてゆく。
やがて、つるりと美しい禿頭の天使がそこに出現した。尖った耳と背中の翼は、塗薬や人工皮膚では隠せないようである。
それでも格段に、人間に近くなった。
懐かしい楽しさに心を躍らせながら、クレアは言った。
「俺、子供の時さ……赤ズゴの頭に無理矢理ビームライフルくっ付けてズゴキャノンにしてみたりとか、やってたけど……そんな感じ?」
「私も……リナちゃん人形にホッケーマスク被せたりチェーンソー持たせたりは、してたわねぇ」
鍵屋も言う。いつもは冷静な口調が、いささか高揚しているようだ。
同志を見つけた、とクレアは思った。
今の三島玲奈には、子供の時の純粋な心を呼び起こす何かがある。
「な……何よぉ……」
禿頭の天使が、クレア及び鍵屋の熱過ぎる眼差しに気付き、たじろいでいる。
獲物を追い詰めた肉食獣の動きで玲奈に迫りながら、クレアは叫んでいた。
「わぁい、魔改造だー!」
長髪の鬘を被せられた三島玲奈は、もはや奇怪なる人造妖怪ではなく、清楚な黒髪の美少女である。
そんな玲奈が、泣きそうな声を発している。
「ち、ちょっと今度は何? 何なのよぉ!」
「ふふっ、お色直しよ♪」
可愛らしく暴れる少女の細身に、鍵屋が素早く手際良く、ビキニを巻き付けてゆく。
「ふ、服着るのなんて自分で出来るからっ!」
「はいはい、まずこの翼を何とかしないとねえ。そこいらのもの引っ掛けたり倒したりで、大変なんだから」
鍵屋の美しい手が器用に動き、玲奈の翼を陸上ウェアで縛ってゆく。
その翼をクレアが、もふもふと楽しげに弄り回した。
「うっふふふふ梱包プレイだぁ!」
クレアの、鍵屋に劣らず優美な繊手が、嫌らしく楽しそうに動いて、玲奈の身体にぴっちりとスクール水着を貼り付けてゆく。
着せられながら、玲奈は悲鳴を上げた。
「何でスクール水着なんて置いてあるのよー!」
「あら、味気ない補正下着なんかよりはマシだと思わない?」
鍵屋が微笑む。
クレアが、ブルセラ店の如く品揃え豊富な衣装類を、いそいそと落ち着きなく物色している。
「どうしようか。ついスク水にしちゃったけど体操着とブルマもいいな、テニスルックもレオタードもいいなー。えい、全部いっちゃえ!」
スクール水着の上から無理矢理に、嬉しそうに、クレアは若草色のレオタードを引き被せた。
じたばたと元気に暴れながら玲奈は、悲鳴か怒声か判然としない声を発した。
「いい加減にして! あたし、着せ替え人形でもプラモでもなぁあい!」
もともと魔改造プラモみたいな姿をしていたじゃないか。
などとは言わずにクレアは、玲奈の暴れる細身を抱き締めた。
「玲奈、可愛いよ……可愛く、なったじゃないか」
「え……?」
「君はもう、人間の女の子さ……大丈夫、俺に任せて」
「とか、言いながら……何あたしにブルマなんか穿かせてんのッ!」
「うふふ、定番ね♪」
鍵屋が、玲奈の上半身に体操着を被せた。
「うん、ブルチラもいいねー」
少女の上半身を鍵屋に任せてクレアは、下半身にするりとアンダースコートを穿かせてしまう。
「ちょっと! 水着にレオタードにブルマに、その上アンダースコートって!」
「しょうがないだろう? 玲奈、何着ても似合っちゃうんだからっ」
クレアが、鍵屋に負けぬ器用さで、玲奈にテニスウェアを着せつけてしまう。
スポーティーな美少女の姿のまま、玲奈は悶えて暴れた。
「やめて〜もうぶかぶか〜」
暴れる細身を、セーラー服が包む込む。
クレアがスカートを穿かせ、そして鍵屋の綺麗な手が、しゅっ……と素早くタイを結んだ。
「はい、社会復帰完了♪」
「うう……こっ、こんな辱めを受けるなんて……」
玲奈は涙目で鏡を見つめ、己の姿を確認した。
人造妖怪・暴力二女とは似ても似つかぬ、清楚な制服姿の美少女が、鏡の中にはいた。
その姿を、玲奈はくるりと翻した。黒髪が、鬘とは思えぬ自然さでフワリと舞った。
クレアが、声をかける。
「どうだい、生まれ変わった気分は?」
「い……いいわけ、ないでしょっ。人の身体、玩具みたいに扱ってッ」
そんな答え方をしながら、玲奈はもう1度、鏡を見つめた。
見つめる瞳が、涙を溜めながら震える。可憐な唇が、微かな言葉を紡ぐ。
「…………ありがとう……」
クレアと鍵屋は顔を見合わせ、ただ微笑んだ。
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