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<東京怪談ノベル(シングル)>


【運命を分かつ黒い糸】

「さすが水嶋琴美、といったところかな。素晴らしい手際だったね。それに、俺の隠れ身に気付くなんて。完璧に気配は消していたと思うんだけど」
 黒尽くめの男はそう言った。歳の頃は、琴美と同じくらいか少し上だろうか。
琴美は、男はいつからそこにいたのか、と思った。そんな事は分かり切っている。初めからだ。琴美がこの廃工場に乗り込んできたその時から、ずっと男はあそこにいたのだ。
 男は、琴美が自分の隠れ身に気付いた事を褒めたが、琴美にここまで気付かれなかった男の実力こそ並大抵ではない。
「それにしても、あの水嶋琴美にこんな所で相対する事が出来るとはね」
 男は嬉しそうに口の端を吊り上げた。
「先程から、私の事をご存じのような口ぶりですわね」
「そりゃあ、もちろん知っているさ。君はこの世界では有名人だからね。もしかして、君は自分がどれほどの有名人なのか知らないのかい?」
 男はさも驚いた、というように、わざとらしく目を見開いてみせた。
「それに、俺は御覧の通り忍者の家系の者だからね。君の事はそれこそ、幼い頃から話に聞いていたよ。水嶋の家には鬼神の如き娘がいる、とね」
 そこで、男は突然、くつくつと笑った。
「君の実力は噂通り、いや、噂以上だったけど、国家の犬になり下がったという噂も本当だったみたいだ」
 男の目には琴美に対する嘲笑と蔑みの色が窺えた。
「水嶋琴美と刃を交えられる日が、こんなに早く来るなんて」
 男は天井を軽く蹴り、地面に降り立った。
「でも、少しおいたが過ぎたようだね、水嶋琴美。そんな悪い娘には、国家の犬らしく首輪をつけて、お仕置きが必要だ」
 男は背から刀を抜き、琴美に相対し、構えた。
 琴美にとっても、他流派の忍者と相対するのは初めてだった。忍者とは本来、表舞台には姿を現さないものであり、それ以前に、忍者の家系が現在では殆ど残っていないのだ。名前だけが残っている家はあれど、その技が受け継がれ、伝承されている家系は殆どない。
 琴美は、胸が高鳴り、身体が疼くのを感じた。この相手は手強い。私を楽しませてくれるかもしれない。しかも、その相手は私と同じ忍者の家系の者。
 琴美はうっすらと、艶めかしく唇を吊り上げた。獲物を目の前にした獣の表情だ。その表情すら、妖艶さを湛えている。
「ふふ、私に首輪をつけて、お仕置きをするだなんて、大言壮語もいいところですわね。そこまで言うなら、少しは楽しませて下さいよ、黒尽くめの忍者さん」
 琴美は両腕をゆっくりと振った。その手にはクナイが握られている。
「ただし、鬼の首に首輪が付けられるかしら?」


 二人の戦いは熾烈を極めていた。それはスピードの応酬だった。男のスピードも常人では辿り着けない域に達していた。二人の戦いは、他者が観測することすらままならないものだった。
 しかし、やはり琴美のスピードの方が男を上回っていた。ただ、男の方が一撃の重みは上だった。筋力でもそうだが、使用している武器の違いが大きい。クナイと忍刀では、その重量も形状も、忍刀の方が有利だ。
 琴美と男は、互いの刃を打ち合い、離れ、琴美はクナイで、男は手裏剣で、牽制をし合い、そしてまた、刃を打ち合わせた。
 刃が打ち合わされる度に、暗闇の中に火花が弾けた。その一瞬だけ、窺える二人の表情。次々と、小さな火花が咲き乱れる。二人は笑みを浮かべていた。
 男の頬の数センチ横を、琴美の投じたクナイが駆け抜ける。空気の振動が直接、肌に伝わる。室内での戦闘のせいか、クナイが後方に抜けた後も、僅かにではあるが空気の振動がこびりつくように肌に伝わってきた。感覚が研ぎ澄まされているせいで、僅かな空気の揺れにすら、敏感に反応してしまっているのかもしれない。しかし、この程度の牽制で、男の体勢が崩される事はない。
 琴美は躊躇なく、大切な武器であるはずのクナイを投じた。暗器は忍者の十八番ではあるが、無限にクナイを用意する事はできない。舐められているのか、それとも、俺の行動パターン、回避パターンを見ているのか。
 男は琴美のクナイに対する回避を、ワンパターンではなく、見切り、打ち落とし、跳躍などを使う事で、琴美の読みを錯乱しようとした。俺は、鬼神とまで呼ばれた水島琴美と対等に渡り合っている。
 琴美と男は、好敵手と出会えた事を歓喜するかのように、或いは、互いの手を取り踊るかのように、自分のもてる技を繰り出し続けた。
 首や心臓を狙った、一撃必殺の攻撃。手や足を狙った、相手の動きを封じるための攻撃。上段から切り下ろすと見せかけての、足払い。相手の動きを誘導するための水平切り。
 全ての攻撃に意味があり、繋がっていた。それは攻撃だけではなく、視線や足の踏み込みの深さに至るまでだ。この領域での戦いでは、僅かな油断が命取りとなり、相手の考え、動きを読み、微かな違和感に気付けるかが、勝敗を分ける。
 琴美は不意に、男に言葉を投げ掛けた。
「あなたの名前を伺ってもいいかしら?」
「名乗るほどの者じゃない。俺は忍者だ。あんたは名も無き忍者に倒されるのさ」
 二人は言葉を交わしながらも、その動きを止める事はない。
「そう、分かったわ。それなら、この質問には答えてくれるかしら」
 琴美は一度、男から距離を開け、男の右の肩口を狙って、クナイを投じた。
「あなたはどうしてHEMを使わないのかしら?」
 男はそれを難なく躱し、
「あんなものは強さじゃない。あんたも分かっているんだろ?」
 お返しとばかりに手裏剣を投げ、そう答えた。琴美はその手裏剣を最小限の動きで、躱した。
「そうですわね。その答えが聞けただけでも、私は満足ですわ」
 そう言った琴美の表情は、どこか愁いを帯びていた。
「これで、終わりです」


 琴美は右手に携えたクナイを、投じた。狙いは寸分違わず、男の心臓である。
 これで終わり? 男は心の中で疑問を抱きながらも、先程と同じように、そのクナイを、身を逸らして避けようとした。
「そんなものが俺に――!」
しかし、男の身体はピクリとも動かなかった。
「なんだ、これは!?」
 男の両手、両足、そして忍刀までが微動だにしなかった。無理に動かそうとすれば、自分の身が危険だという事は、直感ですぐに理解した。
 よく見ると、男の体中を黒く細い糸が絡め取っている。その糸の片端は琴美から伸びていた。そして、もう一方の片端は、壁や床に深々と突き刺さった琴美のクナイに繋がれていた。牽制として投じていたクナイには、実はもう一つの、隠された本当の目的があったのだ。そして、その結果が男の現状である。
 暗闇では視認できないほど細く、ワイヤーよりも強靭で、引き千切ろうとすれば、逆にその身を切り裂く特注の糸。それを男に感付かれずに、張り巡らし、男の自由を絡め取る。それが琴美の投じたクナイの、本当の目的だった。
 男は琴美の考えと意図を読み違え、僅かな違和感を無視した。それが、二人の勝敗を分けたのだ。
 俺は、水島琴美に初めから負けていたのだな。男はそう思った。完敗だ、と。
 男はクナイが自分の胸に刺さるその瞬間を、抵抗することなく、見届けた。潔く、胸を張るように。
「見事だ……」
 男はその言葉を最後に、動かなくなった。


 琴美は男の亡骸を見据えた。久方ぶりに、心躍る戦いでしたわ。心からそう思えた。
 苦戦はしなかった。実際、琴美は傷一つ負っていない。勿論、戦闘服も含めて、だ。男の投じた最後の手裏剣は、敢えて、着物の袖に掠めさせたが、戦闘服に傷がつく事はなかった。これで、新性能が実証された訳だ。あの攻撃で傷がつかないとは、驚くべき性能である。
 ただ、男との闘いは、気持ちが良かった。琴美はそう思った。忍者同士という、相性の良さもあったのかもしれない。だが、それだけではないようにも感じた。
 琴美は男に背を向け、工場の奥へと向かった。琴美が男に振り返る事はなかった。最後まで琴美と闘い抜いた男の亡骸は、見せものではないのだから。


 遠くには、煙を上げる瓦礫の山が、点ほどにも小さく視認できた。すでに、持ち込んでいた爆薬により、廃工場は爆破した後だ。
工場の奥の部屋からは、五本のHEMが見つかった。琴美はそれを回収していた。
琴美は携帯端末を取り出し、耳に当てる。
『やあやあ、お疲れ様、琴美君』
 いつもと変わらぬ、あの遠くで立ち昇っている煙のように、掴みどころのない司令官の声が携帯端末から聞こえた。
「任務は無事完了しましたわ。テロ組織の殲滅、それとHEMを五本、回収しましたわ」
『そうかい。それは大手柄だね。データは集まっていたけど、HEMそのものはまだ入手できていなかったからね。これでHEMの解析が著しく進展するよ』
「そう仰って頂けるならば、幸いです」
『それで、新戦闘服の方はどうだったかな?』
「とても良かったですわ。素晴らしい戦闘服だと思います。私もとても満足していますわ」
 琴美が素直な感想を述べると、
『ははは、その言葉を開発者である彼女に伝えたら、大喜びだろうね』
「そ、そうですわね……」
 琴美はその様子を想像して、思わず苦笑いを浮かべた。彼女の場合、大喜びどころか、大はしゃぎして、周りの研究員たちに迷惑を掛けるのではないだろうか。
『なにはともあれ、任務ご苦労さま。後の事はこちらで処理しておくから、琴美君はゆっくり休んでくれたまえ。HEMもこちらの者にまた取りに行かせるから』
「はい、承知いたしましたわ」
『それじゃあ、今後の活躍にも期待しているよ』
「はい」
 琴美は、通信の切れた携帯端末を懐に仕舞った。
 本部への連絡も終了。これで、今回の任務も本当の意味で完了だ。
 琴美は未だ立ち昇っている煙に視線を向けた。
 名もなき忍者。私の知らなかった忍者。この世界には、まだまだ私の知らないつわものがいるのですわね。けれど――
 琴美の心は、静かな、しかし確かな炎を宿していた。それを確かめるように、琴美は瞳を閉じ、自分の胸に手を当てた。
 けれど、私は誰にも負けません。私は誰よりも強くなってみせますわ。
 最後に、琴美はもう一度、廃工場のあった方角へ視線を向けた。
「だから、あなたは安らかにお眠りなさい」
 そう呟く声だけを残し、琴美は姿を消したのだった。