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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


■戦地へ赴く前に

「今日も暇ですね」
 絢斗はいつもの口癖である【暇】を呟く。
「その分、ゆっくりお客様をもてなす為の準備ができる、と思えばいいじゃない」
 寧々もいつものように答えた。

 いつもの光景である。

 そんないつもの光景を、突然に変えてくれる客が現れた。
 ばん、と大きな音を立てて扉が開かれ――藤田あやこ(7061)が大股でつかつかと店内へと入ってくる。
「いらっしゃい……」
 絢斗は目を丸くしてあやこの行動を目で追うのだが、何か様子がいつもと違う。
 力強い意志を見せる瞳は、いつものように凛としてはいるのだが……少々怯えたような様子がある。
「……藤田さん、どうかした? ストーカーにでもあったの?」
「なんでもないわ。とりあえずマティーニを」
 カウンターに肘をつき、大きく息を吸ったあやこ。
 不思議そうな面持ちで、頼まれたカクテルを作り始める絢斗は小さく首を傾げた。
「どこかお出かけ?」
 寧々が静かに問いかけると、あやこはふと顔を上げて彼女を見た後、そうなのよと同意した。
「私ね、実はモスカジ創始者というのは表の姿。
本職はエルフのBARD……即ち戦闘吟遊詩人の隊長なの。今日は……本国からの動員令があって、ちょっと緊張してるのよ」
 あやこの言葉に、驚くでもなく頷いた寧々は、大変なのねと目を閉じる。
「吟遊詩人なのに戦わないといけないの?」
 絢斗がオリーブ入りのマティーニをあやこの前に置いたそばから、あやこはカクテルグラスを掴むと一気に飲み干す。
 喉をひりつかせる辛い刺激が通り抜け、薬臭さの後にベルモットの甘い香りが鼻腔を通り抜ける。
「……はー……効くわぁ……一気飲みしておいて何だけど……胃に優しいおつまみも頼むわ」
 あとおかわりも頂ける? と、空のグラスを軽く宙に掲げて示すあやこ。
「一気に飲むと、それこそ喉が荒れるよ……次はミルク系にしておこうか?」
 空いたグラスを下げつつ、絢斗は次は何にするかを聞いたのだが、同じものでいいわという事なので、ドライジンを手に取った。
「強靭な喉も必要なのよね。ああ、気持ちや表情も硬いといけないから、お酒を飲んで和らげるのよ」
「酒飲みが喉を消毒っていうようなものかねぇ」
 絢斗は軽くステアしたマティーニに今度はチェリーを落とし、差し出すとつまみを作りにかかる。
「あら、喉はちゃんと大事にしてるのよ。冬は保湿系マスクも使ってるんだから」
 ちょっと息苦しいけど寝起きは違うのよね、と寧々に使った感想をあやこは伝えていた。
 それでね、とまだ続きそうな使用感は突然、あやこの可愛らしく短い悲鳴で遮られることとなる。

「ちょっとごめんね、通信だわ」
 慌てて懐から輝く水晶玉を取り出し、カクテルをそっと脇へと寄せると――カウンターへ水晶玉を置くと、表情をきゅっと引き締めた。
「私だ……うむ、咽頭の暖機運転中である」
 水晶玉にさっと手をかざしたあやこは、声もいつもより厳しいものになっている。どうやら通信中のようだ。
 暖機運転中、とは気の利いた表現だなぁと絢斗は寧々に小声で告げると、あやこに『静かにしていて』という意味合いの視線を向けられる。
「いや、何事もない――そうか……遂に龍族が攻勢に出たか。大尉……皆を水晶の前へ」
 そう言うとあやこは立ち上がり、拳を握ると声高に溌剌と檄を飛ばす。
「貴嬢らは明朝! この私と戦琴を携え! 栄えある王国吟遊婦人部隊の先陣を切る!
妖精女王陛下から賜った聖戦に加わる名誉、感謝しろ!
大尉……月の出迄に歌姫を選抜しておけ。精鋭中の精鋭をだ!」
 だんだん、あやこの演説も熱が篭ってきた。
 サーモンとアボカドを器に乗せつつ、何か言いたそうにチラ見している絢斗の視線。
 それにもめげず、あやこは最後の言葉を通信中の大尉へ告げた。
「交戦規定は唯一つ……全員復唱しろ。交戦規定は唯一つ、生還せよ! ……以上だ。通信を終える」
 そうしてそっと水晶玉を手に取ると、懐にしまい込むあやこ。
「……ちょっと興に乗っちゃっただけよ。命令出さないといけない立場だし。
いつも、モスカジで従業員にこんな怖い口調で話すわけじゃないわ」
 少々注目を受けたのが恥ずかしかったのだろうか。
 頬を赤らめるあやこの前に、絢斗が『かっこよかった』と告げて、つまみを出す。
「嫌いなもの分からないから適当に出したよ」
「アボカドにサーモン。オリーブと……カプレーゼ? あら、ずいぶん沢山盛り込んでくれたわね。あんまり胃に優しくないわ」
 でもまぁ、常連は得よねと言ったあやこに対して、賞味期限が近いからだよとまた意地悪を言う絢斗。
「え、お客様にそんな……」
 思わず寧々は顔を上げて目を丸くする。
「冗談ですよ。いつもたくさん飲んでくれるし、少し材料残しておいても保存しておくとパサつきますからね」
 絢斗も両手を振って寧々の追及を逃れる。
 ほっと胸をなでおろした寧々に、あやこは心配しなくても大丈夫よと笑った。
「ストリート暮らしもあったから、賞味だろうが消費だろうが些末なもんよ。
……ま、今日は大事な日だから、腹痛とかは勘弁してもらいたいところだけど」
 そうしてあやこは、今度はスピリタスを所望する。
「藤田さんさぁ。つまみはそこそこなのに、酒は度が強いものばっかり飲んでて大丈夫?」
「暖機とらないと、大きく喉が開かないでしょ?」
 ふふんと胸を張るあやこに、そうですかと絢斗は肩をすくめた。

「でもさ……戦争は嫌な物よね。いつもそう思うわ。
奪って奪われて、いい事なんか何もないのにね」
 しかし、あやこたちの戦いは物資のための戦争ではなく、天敵との戦いである。

――この世の生を勝ち取るために戦うのだ。

 だからこそ、負けるわけにはいかないし、死ぬわけにもいかない。
 それを強く意識し、隊長として、民族として仲間の命をも守りたいと思うあやこ。
 弱気になる心を叱咤し、酒でも飲んで気を多少でも紛らわせておきたいのだ。
 それが寧々には伝わるのかどうなのか、隣に腰かけて黙って酒を飲んでいた。

「……あ〜……美味しい。やっぱり落ち着ける場所で飲む酒は格別に良いわね。
生きてまた帰ってくるって約束するわ。そうしたら、祝い酒をたくさん振る舞って貰うわよ?」
 にこっと屈託のない笑みを零すあやこ。
 寧々は慈愛に満ちた微笑みと、絢斗はいつもの調子で『エルフの隊員さん達も連れて来てね』と茶化す。
「あら、ダメよ。ここは私のお気に入り。隊員とばったり会ったら、こんなふうにダラダラくつろげないじゃない」
 反論して指を左右に振るあやこ。が、絢斗の顔を見てにやりと笑った。
「それに、エルフの男は皆ひ弱でね。頼りないって隊員からも呆れる声があるわ。
そこには私も同意なんだけど……貴方はなかなか男らしいし、料理もできるし素敵よね」
 隊員にはますます見せてあげられないわよと返すと、何故かうろたえ始める絢斗。
「あのー、藤田さん……お客さんとはですねぇ」
「あやこ、でいいわよ!」
「よくありませんよ」
 必死に固辞する絢斗の様子がおかしかったのか、いつもの借りを返したのか。
 あやこはしばしツボに入ったような笑いをつづけた後、
 笑いすぎて出てしまった涙をぬぐい、生きるっていいわよねと告げた。

「よ〜し、なんだか勝てそう。ありがとね。それじゃ、帰るわ」
 代金を出そうとするあやこに、寧々がそっと手で制する。
「出かけるんでしょう? 帰ってきてから、祝い酒の代金と一緒に貰うことにするわね」
 うちはカードは使えないので、現金でお願いと微笑んだ。
「……ありがと。そうするわ! じゃぁ、いってきます!!」
 手を高々掲げて出て行くあやこに、2人は「いってらっしゃい」と挨拶をする。

 扉の閉まった後、絢斗は。
「あの人、死なないと思うよ」
 と呟く。
「――ちょっとだけね、視えたりするんだよ。マジックアイテムを持ってる人の幸運と言うか、そういうの」
 グラスを片付けながら独り言のように寧々に伝える絢斗。
 彼女はそれを優しく見つめ、そうね、と頷く。

「私のカードも、同じ答えよ」
 すっ、と取り出したのは太陽のカード。
「戦争は嫌だけれど、知人が生きることは嬉しいわ」

 得にエルフ族は、私たちと同じ長寿の種族だから――先に居なくなってほしくないわね、と。

 寧々は、グラスについている塩を指でなぞった。


-END-

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登場人物一覧

【7061 / 藤田あやこ / 女性 / 年齢24歳 / ブティックモスカジ創業者会長、女性投資家】
【NPC5405 / 鷹崎 絢斗 / 男性 / 年齢21歳 / 妖魔術師】
【NPC5406 / 久留栖 寧々 / 女性 / 年齢312歳 / 施設管理者】