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<東京怪談ノベル(シングル)>


【旋律と戦慄】

 教祖が杖を床につくと、足元から影が実体を得たかのように、闇が這い上がってきた。悪魔との契約による、闇の力だ。瑞科を観察するように、闇は教祖の周りを揺らめいている。
「さあ、裁きの時間です!」
 教祖は杖を振り上げ、高らかに宣言した。すると、闇は鋭利な刃物のように、姿を変えた。闇の刃は、蛇のように瑞科を睨んでいる。
「それはこちらの台詞ですわ」
 しかし、そんなことは気にかけることもなく、瑞科は余裕の窺える微笑を浮かべた。
「そんな軽口がいつまで叩けるかしら!」
 教祖が杖を振り、瑞科に向けた。それを合図に、闇の刃は、まるで意志を持つ生き物のように、その切っ先を瑞科に向けた。そう思ったときには、闇の刃は瑞科の肩口に迫っていた。驚くべきスピードだった。
「死になさい!」
 教祖は勝利を確信し、叫んだ。これまで、この闇の刃を避けた者はいない。どれほどの手練れも、この刃には反応する事すらできず、一撃で倒れていった。まさしく、必殺の一撃だった。
 教祖は心が躍るのを感じた。自然と笑みが零れる。この綺麗な花は、最後にどのような散り際を見せてくれるのかしら?
 闇の刃が振り下ろされ、そのまま勢いを弱めることなく、地面を抉るようにして、ようやく止まった。土煙が舞い上がる。
 教祖は、視界が回復する時を、興奮を押し殺して、待った。さあ、早くあなたの美しく、醜い、赤い花を見せてちょうだい。
 まだ、土煙は漂っているが、ようやく視界が戻ってきた。
 そして、教祖は驚愕に顔を固めた。
「あなた……、何をしたの?」
 教祖の視線の先には、剣の構えすら解き、まるで無防備に佇んでいる瑞科の姿があった。その身には傷一つついていない。瑞科は剣を、無造作に振った。漂っていた土煙が吹き飛び、瑞科の姿が露わになる。瑞科は微笑を浮かべていた。
「まさか、これが本気という訳ではございませんわよね?」
 瑞科の口の端が、微かに持ち上げられた。


 教祖の表情はみるみる怒りに染まっていく。杖を握る手には青筋が浮き上がるほどに力が入り、唇はわなわなと震えていた。
「こ、このアマぁぁあ!」
 教祖は杖を激しく地面に打ちつけた。先程とは比べ物にならない、禍々しく深い闇が教祖を包んだ。教祖を包んだ闇は蠢き、まるで蜘蛛の脚のように、教祖の背から八本の闇の刃を生み出した。教祖の異様にぎらつく目が、瑞科を捉えた。
「お望み通り、殺してあげるわ」
 殺気を撒き散らし、本当に蜘蛛の足のように、八本の刃を使い、教祖は瑞科に躍り掛かった。闇そのものが瑞科を包むように、八本の刃が同時に振り下ろされた。
 ほぼ同時に八つの異なる金属音が部屋に木霊した。
「遅いですわね」
 瑞科の表情に変化はない。変わらず微笑を浮かべている。しかし、その微笑に少し影が差しているようにも見える。それは失望か、それとも呆れか。全ての刃は瑞科の剣によって弾き返されていた。
 教祖の顔が再び驚愕の色に染まった。しかし、すぐに教祖は憎悪ともとれる表情に顔を歪め、嵐のような刃の雨を瑞科に叩き込んだ。一人の女性に対して、過剰とも言える攻撃だった。そこには純然たる殺意が込められていた。
 瑞科はその猛攻を、軽々と、或いは高らかに打ち落とし続けた。瑞科は柔らかく、そして力強い身のこなしで、ステップを踏むかのようにブーツを鳴らし、踊るかのような優雅さで、闇の刃を捌き続けた。
 それは演舞とも呼べる美しさだった。スリットから覗くしなやかな脚も、瑞科の動きに合わせて揺れる髪も、そしてどこか柔らかさのある剣捌きも、全てが美しかった。
 武骨なはずの刃が打ち合わされる音は、戦場で奏でられる旋律となり、部屋に響いた。
 美しい。殺意と憎悪に染まっていたはずの教祖の顔は、いつしか愉悦の表情へと変わっていた。その目は瑞科に見惚れているかのようでもある。
 美しい。この美しい女を、この手でぐちゃぐちゃに壊してやりたい。
 教祖の顔が醜悪に歪んだ。すると、闇が一点に集中した。
 これで終わりなさい。教祖は杖を振り上げた。教祖にとって最大級の攻撃。禍々しく巨大な闇の刃が生み出されていた。三メートルを超える闇の剣だ。教祖の口元が厭らしく歪む。
 死んだ後も、たっぷり可愛がってあげるわ。闇の剣が真っ直ぐ瑞科を襲った。触れたものを浸食するような、破壊と殺戮の為だけに生み出された剣。空気を押し潰しながら、それは瑞科の眼前まで迫った。
 潰れろ! 教祖は勝利を確信し、目を見開いた。瑞科の美しい肉体が、ただの肉塊に変わる瞬間を想像し、興奮で体が痺れた。
 しかし、その瞬間がやってくる事はなかった。教祖は今度こそ、信じられないものを見る目で、硬直した。先程とは違う、体の痺れを感じた。
 なんなの、これは? この女はいったい何!?
 瑞科は振り上げた剣で闇の剣を受け止め、悠々とその場に立っていた。瑞科は剣に軽く力を加えた。次の瞬間、空気の爆発が起き、闇の刃が粉々に砕けた。瑞科はゆっくりと教祖に視線を向けた。
 体の痺れが更に強くなるのを教祖は感じた。まるで、そうしていなければ死ぬ、とでもいうように、痺れは止まらない。思うように体が言うことを聞かない。
「これが神の裁きですわ」
 瑞科は無感情に、剣を一閃した。深々と、教祖の胸に瑞科の剣が走った。
 教祖は尻もちをつくように、後ろに倒れた。教祖の目は瑞科を捉えている。教祖は、瑞科の攻撃を、反射的に身を後ろに傾けることで、かろうじて致命傷を逃れていた。
 瑞科は一歩、教祖に近付いた。その傷ではもう、まともに戦う事すら出来ない。もちろん逃亡を謀っても見逃すつもりはない。瑞科はとどめを差すため、剣を構えた。
 その時、教祖の杖が闇を放出した。無駄な悪あがきですわね。瑞科は教祖の攻撃に備え、身構えた。しかし、その攻撃はいつまで経ってもやって来なかった。
 なんですの、これ?
 その代わりに、部屋全体を闇が包んでいた。暗いとか視界が悪いとか、そういった類のものではない。それは完全なる闇。完全なる無だった。


 教祖は闇の中、ゆっくりと立ち上がった。体の痺れが治まっているのを確認し、表情を和らげた。一旦ここは退こう。教祖はそう判断した。
 この闇はただの暗闇ではない。悪魔の闇だ。視界は一切利かず、普通の人間なら方向感覚を失い、立っている事すらままならなくなる。いくらあの女といえど、この闇では何もできまい。教祖は安心し切っていた。
「つまらない小細工ですわね」
 その時だった。耳元から瑞科の声がしたのは。
 教祖は戦慄した。反射的にその場を飛び退った。とにかく逃げなければならない。頭の中に、その言葉が反響するように鳴り響いた。教祖は十メートル以上も跳躍し、その場を離れた。
 寒くもないのに、体がまた痺れ出した。教祖は身構え、視線をきょろきょろと彷徨わせた。
「最後には自分の身惜しさに、逃げるんですの?」
 すぐ後ろから瑞科の声。
 教祖は痺れる体を無理矢理に動かし、やみくもに杖を振った。
 しかし、杖は空を切り、先程までそこにあったはずの瑞科の気配も消えていた。
「あなた、もう終わってよろしいですわよ」
 再び、背後から瑞科の声がした。教祖はゆっくりと、振り返った。体の痺れは限界を超え、杖を振るう事すら出来なくなっていた。そこに至っても、教祖は気付いていなかった。その痺れの正体が何なのか。
 教祖の目に、瑞科がゆっくりと剣を振り被る姿が映った。教祖の体は何かに縛られたかのように動かない。
「汚れし魂よ、せめて安らかにお眠りなさい」
 瑞科は真っ直ぐ剣を振り下ろした。その顔からは何の感情も読み取ることはできない。
 教祖は背中から後ろに倒れた。その胸には赤い十字架が刻まれていた。
 教祖は最期まで気付く事はなかった。自分の体を縛り付けていたものの正体。それが恐怖だったという事に。
 闇が消え、部屋に明りが戻った。立っている者は一人しかいない。
「任務達成ですわ」
 瑞科はゆっくりと出口へ歩き出した。その口元は微笑を浮かべていた。


「お疲れ様」
 暖炉が赤々と燃え、古い紙の匂いのする、あまり大きくない部屋。
 瑞科の前には、司令官である神父が立っていた。ここは神父の部屋である。瑞科は任務完了の報告の為、ここに来ていた。
 神父は微笑を浮かべ、
「今回もよくやってくれましたね」
 労うように、瑞科の肩に手を置いた。
「いえ、とても楽な任務でしたわ」
 瑞科は本心から、しかし、顔を少し赤らめて、そう言った。
 瑞科は全幅の信頼を神父に置いている。
 神父は満足に頷き、
「本当に瑞科君は頼もしいね。次も期待していますよ」
 目を弓に細めた。
「はい、神父様」
 瑞科は力強く、頷いた。悪しき者を討ち、平和の為に、そして神父様の為にも、頑張りますわ。瑞科は心で強く誓った。
 神父は瑞科の力強い返事に、笑顔で頷き返し、瑞科の肩に置いていた手を離した。瑞科に背中を向け、ゆっくりと暖炉へ歩み寄る。
 瑞科はふと疑問に思った事を、その背中に問いかけた。
「しかし、この程度の任務、わたくしが出る必要があったのでしょうか?」
 ゆっくりと振り返った神父は、いっそう笑顔を濃くして、言った。
「ふふふ、そんな事を言っていると、瑞科君の仕事が無くなってしまいますよ」
 なぜなら、
「瑞科君が苦戦するような任務は、滅多にありませんからね」
「そんなことありませんわ」
 瑞科はそう謙遜した。ただ、瑞科の表情は照れ隠しなどではなく、自信に溢れたものだった。神父の言葉があながち冗談でもない事を、瑞科は分かっていた。
 ただ、神父は「滅多にない」と言ったのだ。つまり、瑞科ですら苦戦するような任務が存在するというのも事実であるということだ。
 瑞科はそのことに気づいていていた。だからこそ、瑞科は内から燃えるような感情が湧き上がってくるのを感じた。
 どんな任務が待ち受けていようとも、わたくしは完璧に遂行してみせますわ。
 瑞科は心の中でそう呟き、神父に気づかれないよう、不敵に笑うのだった。