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【あたしを救った、かあさんの歌】
オランダ海軍、将校倶楽部。のど自慢会場となる部屋に鎮座する巨大なモニターに、ある戦乱の様子を表す映像が映し出されている。オランダ海軍武装偵察部隊が、後続の空爆隊を導くため、敵機の猛攻をかいくぐり、敵陣に発信機を設置してゆく映像。パイロットたちは一様に“センパーファイの歌”を口ずさみながら、勇壮に敵へ立ち向かってゆく。
その映像を前にしながら、三島・玲奈 (みしま・れいな)はその顔に物悲しい表情を浮かべつつ、ゆっくりとマイクを口元へ持っていった。
――センパーファイ、ドゥオアダイ、ガンホーガンホー。今も響く、センパーファイの歌、今も響く、戦場の子守歌、塹壕掘りの小休止――。
玲奈の喉から、悲しみに震える、それでいて聴くものの心を癒し、魅了する美しい歌声が、なめらかに滑り出る。
――珈琲片手に刮目すれば、響いてくるよ、あの歌が。子供時代に学校で、「人殺しの子供! 汚い血塗れの子供!」と蔑まれた。……涙目腫らして帰る中、母の戦う姿を見た。勇ましい母の戦いを見た。泥水と爆風を被りつつ、男に交じって戦琴を爪弾く母を見た。……吟戦詩人の母を見た――。
目を閉じて、思い出す。優しかった継母のことを。強かった継母のことを。戦闘吟遊詩人だった継母は、軍の兵隊に混じって、戦場へ幾度となく足を運んだ。命の危機は、何度もあっただろう。死にかけたことも、何度もあっただろう。それでも継母は弱音一つ吐かず、玲奈を育てるため、そして戦争を語り継ぐために、勇ましく戦場へ向かっていった……。
――忽ち涙も枯れ果てて、自力で頑張るよ、あたし負けないよと誓いつつ、戻った――。
そんな継母の姿を見て、いじめがなんだ、蔑みがなんだ、と思った。かあさんが頑張っているんだ、あたしが頑張らなくて、どうするんだ――そう思うと、不思議と、もう涙は流れてこなかった。……そう、あたしはかあさんの子。強くて、優しい、かあさんの子なんだ。絶対に、負けるものか。そう思い続けて……、
――あれから何年過ぎたやら……。士官学校を出たし、勲章も貰った。機械化師団が憚る時代で、あたしは晴れて准将さ。……孤軍奮闘で死んでいった、母に捧げるこの勇姿。オランダ准将三島玲奈、戦の辛さを乗り越えて、暗黒面に墜ちずに済んだ――。
やがて、歌と玲奈の“今”が重なってゆく。意識するまでもなく、自然に涙があふれていた。かあさんがいなければ、あたしは今、ここにいなかっただろう。きっと、どこかで折れてしまっていたに違いない。だから、せめて……、せめて、立派に育ったいまのあたしの姿を、ひと目でいい……、たったひと目でいいから、かあさんに見せたかった。そして、あたしを育ててくれて、ありがとうと伝えたかった。そう思うと、余計に涙が溢れてきた。
――母の歌を思い出す。歌う母は世界一。センパーファイ、ドゥオアダイ、ガンホー、ガンホー、ガンホー――。
涙で潤んだ声を絞り出すようにして、玲奈は、最後まで歌いきった。
ああ、かあさん。大好きなかあさん。どうか、これからもあたしを見守っていてください。これから先、どんな困難があたしを襲おうとも、かあさんの勇姿と、かあさんの歌で、きっと、きっと乗り越えていってみせます。
歌の余韻にひたる玲奈を、盛大な拍手が迎えた。同席していた幕僚たちは皆、感極まったように涙を浮かべ、惜しみない拍手を玲奈へ送る。
耳の割れるような拍手を受け、玲奈はまだ目を閉じている。そして、自分の中に何度も響いている、継母の歌う“センパーファイの歌”を思い返していた……。
――センパーファイ、ドゥオアダイ、ガンホー、ガンホー、ガンホー――。
【あたしを救った、かあさんの歌】了
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