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<東京怪談ノベル(シングル)>


宴は続く


 宴の喧噪も、一段落ついた感じであった。
 魔女たちが、あちこちで酒杯を片手に、比較的穏やかに談笑をしている。
 その談笑の輪の1つに加わったまま、松本太一は声を発した。
(あの……)
 無論、肉声は出ない。発声権は現在、この女悪魔に奪われてしまっている。
(そろそろ、代わって欲しいんですけど……)
「あら、酔い潰れていたんじゃなかったの?」
 言いつつ女悪魔は、端麗な唇にグラスを付けて傾けた。酒であるという事だけが辛うじてわかる強烈な液体が、体内に流し込まれて来る。凄まじい熱さが、五臓六腑に染み渡る。
 女悪魔と太一が、共有している肉体である。なのに女悪魔は酔っ払った様子すら見せず、太一の方はすでに潰れかけている。
(酔いも全部、貴女が引き受けてくれるかと思ってたのに……そんな事、全然ないじゃないですかぁ)
「私だって、かなり酔っ払っているのよ? 貴方があんなにハイテンションで踊ったりするから、お酒回るの早い早い……ふふっ、ほんとノリノリだったわよねえ」
(べっ別に……ノリノリだったわけじゃ、ありませんからっ!)
「あん。いいわよ、その喋り方……あなた最近、本当に女の子っぽくなってきたわね」
(そんな……そんな事……)
 この女悪魔と一体化する事によって、外見は確かに若く美しい女性に変わった。だが中身はあくまで48歳の中年男・松本太一であるはずなのだ。
 その中身までもが最近、この女悪魔に浸蝕され、何だか初心な少女のようになりつつある。
 そして今、酒で潰されかけている。潰れてしまえば、2度と元には戻れない。何もかも、この女悪魔に乗っ取られてしまう。松本太一という人間は、肉体も魂も消えて失せる。
 そうならないためには、表へ出なければ。松本太一として、何か喋らなければ。
「認めたくないのは、わかるけれど……ね」
 女悪魔が、何やら太一を哀れんでいる。
「人間・松本太一は、もういないのよ。あなたは魔女……松本太一ではない名前、魔女としての本当の名前を持つ存在よ。それは、まあ時間をかけてゆっくり受け入れさせてあげるから焦っては駄目」
 魔女としての、本当の名前……真名。それは確かにある。この女悪魔と『契約』した際に、名付けられた。いや、何者かによって名付けられたと言うより、自然に生じたという感じだった。
 真名は、決して他人に知られてはならない。女悪魔は、そう言っていた。力ある者に真名を呼ばれると、魂への強烈な干渉が行われ、深刻な異変が起こる事があるらしい。
 もっとも強力な悪魔や魔女や魔法使いの中には、名乗らずとも真名を見抜いてしまう者がいるという。たとえば、この魔女たちのように。
「ノリノリだったねえ、新米ちゃん」
 魔女の1人が、親しげにからかうように声をかけてくる。
「人間だった時から、よっぽどストレス溜まってたんだねえ。いいよいいよ、ガンガン踊って飲んで忘れちゃいなよぉ」
「だ、だからノリノリだったわけじゃなくて……あれ?」
 太一は思わず口元を押さえた。
 肉声が出る。喋る事が出来る。女悪魔が、太一をとりあえず表に出してくれたのだ。
(この魔女たちと会話するのは、あなたにはまだ少し危険だと思うけど……まあでも、あなたが大変な目に遭うところもちょっと見てみたいわね。きっと可愛いに違いないわ、うふふ)
「今も充分、大変な目に遭ってるんですけど……」
 軽い恨み言を呟きながら、太一はグラスの中身をすすった。やはり、美味いのか不味いのかよくわからない酒である。ただ全身をふんわりと包み込む軽い酩酊感は、不快なものではなかった。
 しがないサラリーマンだった頃は、針の筵の上で、不味い酒ばかり飲まされていたものである。
「あんたも大変ねえ、えらいのに見込まれちゃって」
 いくらか酔っ払った1人の魔女が、太一にそんな言葉をかけてきた。
「ま、使い魔にされなかっただけマシなのかもねえ。うふふふ」
「使い魔……ですか?」
 また何やら不吉な単語が出て来た、と太一が思っている間にも、魔女たちの会話は続く。
「使い魔って言えばあんた、あの白コウモリ君はどうしちゃったのよ。最近見ないじゃない?」
「ああ、アイツねー……いい奴だったけど、死んじゃったんだ」
「そっか、もう百年くらいになるもんね……」
「ああ。元が人間だから、まあ長生きした方さ……とっとと新しい使い魔、見つけないと」
 酒気を帯びた魔女の眼差しが、ねっとりと太一の全身にまとわりつく。紫系統のドレスに包まれた、瑞々しく初々しい新米魔女の全身に。
「うーん……残念」
「な……何が、ですか?」
 豊満な胸を両手で隠すような仕草を見せながら、太一はたじろいだ。
 ドレスを透視してしまいそうな目をしたまま、酔いどれ魔女が言う。
「んー、いやね。あいつのものじゃなければ、……ちゃんをアタシの使い魔にしちゃってるとこなんだけどなぁーなんて」
 真名を、呼ばれた。人間の耳では聞き取れない、人間の口では発音出来ない、真の名前。
 途端、太一の全身に激痛が走った。身体のあちこちでメキメキッ! と危険な音が鳴り響く。
「あっ……痛ッ! いたい、痛い痛いいたい痛い! いたいよぉおおおおおお!」
 身をよじりながら、太一は地面に倒れ込んでいた。魔女たちが、慌てふためく。
「ち、ちょっと! どうしたの……」
「あんたの言霊! 効いちゃったのよお!」
「駄目だよ、うっかり真名なんか呼んだら! この子、今はあいつじゃなくて本当の新米ちゃんなんだから」
 あいつ、というのは女悪魔の事であろう。
 その女悪魔が、太一の脳裏で面白がっている。
(ほらぁ、だから言わない事じゃない)
「ちょっと、これ何……あいたたたたた何なんですかあぁっ!」
 骨格が、筋肉が、内臓が、体内いたる所でメキメキとねじ曲がってゆく。その発狂しそうな激痛の中、太一は辛うじて声を漏らした。女悪魔が、それに答える。
(あなたみたいな初心者が魔女と会話をしているとね、こういう事が起こり得るのよ。あなたを使い魔にしてみたい……そんな何気ない言葉が、物理的な現象になってしまうの)
 言霊を発した酔いどれ魔女が、酔いも吹き飛んだ様子で慌てている。
「ご、ごめん! 今、元に戻すから」
(ああ、いいのよ。元に戻すのは後で私がやるから……このまま、最後までいっちゃいましょう)
 女悪魔が言った。太一の脳裏で発せられたその声が、しかし魔女たちには届いたようだ。
「えっ? で、でも……大丈夫かな」
「まあ、途中でやめちゃうのも危険だしねえ」
 魔女たちがそんな事を言いながら見守る中、太一は変わっていった。
 豊満でありながら優美に引き締まった肢体が、立ち上がれずに四つん這いのまま悶える。丸みの豊かな尻が切なげに揺れ、ふっさりとした尻尾が跳ね上がった。
 艶やかな黒髪を押しのけて、一対の獣の耳がピンと立つ。
「な……何? これ……」
 太一は、吐息を甘く乱した。
 全身でメキメキと暴れていた激痛が、次第に和らぎ……快感、と呼べるものに変わってゆく。
 得体の知れぬ快感に、細い胴体がうねった。豊麗な尻が、尻尾を振り乱して悶える。
 左右の細腕の間で、重い乳房がたぷたぷと揺れる。
 そんな様に、魔女たちが興味深げに見入った。
「おっと、いいじゃんイイじゃん。可愛くなってきたじゃない?」
「ん〜、こりゃもう最後までいくしかないっしょ!」
「いや、これ途中までの方が良くない? だって尻尾とお耳の生えた魔女ちゃんだよ、たまんないよお!」
 魔女たちの、本当に楽しそうな声を聞きながら、太一は呻いていた。
「ほ、本当に……元に戻して、くれるんでしょうね……っ」
(私たちが飽きるまで愉しんでから、ね……うっふふふ、思った通り。可愛いわあ)
 女悪魔の言葉に、太一はもはや言葉では応えられない。
 クゥン……と切なげに鼻を鳴らしながら、新米魔女はゆっくりと狼に変わっていった。