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<東京怪談ノベル(シングル)>


戦うOL、その名は「令嬢くのいち」


 オフィス内の全員の視線が、たった1人の女子社員に集中した。
 女性用スーツをぴったりと着こなした身体は、すらりとしていながら豊麗な肉感に満ちており、タイトスカートから格好良く伸び現れた両脚は、黒のストッキングによって色香を妖しく引き立てられている。
 長い黒髪は、一筋も染められておらずに自然な艶やかさを保ち、白皙の美貌には知性と気の強さが同居していた。
 水嶋琴美。19歳。表向きは、この商社に勤める新人OLである。
 仕事場に歩み入るなり琴美は、あからさまな溜め息をついてしまうところだった。
 オフィスの一角で、溜め息をつきたくなるような事が行われていたからだ。
「ねえ、冷たいじゃん。なんで友達申請、承認してくんないの?」
 30歳前後の小太りな男が、1人の女性社員にそんな絡み方をしている。
 絡んでいるのは、この部署の課長。絡まれているのは、琴美よりもいくらか年上の大人しそうなOLである。小太りな課長にねっとりと迫られ、今にも泣きそうになっている。
 琴美はこつこつと足音を立てて課長に歩み寄り、まずは微笑みかけた。
「勤務中ですわよ? 課長さん。そんな事をなさっていては、彼女がお仕事を進められませんわ」
「……水嶋君、だったよね。キミあっちこっちで何か反抗的な態度取ってるみたいだけど」
 課長が、じろりと険悪な目をした。
「ボクが誰だかわかってて、そうゆう事言ってるのかなあ?」
 知っている。この男は、社長の息子なのだ。血縁だけで入社し、その日のうちに課長となった。
 こんな人事が通るようでは、この会社の先行きも明るいものではないだろう。特務統合機動課としても、所属工作員の「表の仕事」一覧からは除外せざるを得なくなるかも知れない。
「どうぞ……お父上にでもどなた様にでも、お言い付け下さいませ」
 琴美は笑顔を保った。
「生意気な新人の1人や2人、課長なら御自身でどうにかなさっては? という気はいたしますけれども」
「おい主任! 何だよこの女はあああああ!」
 課長が、子供のように喚いた。
 主任が、慌てて進み出て来て頭を下げる。課長が、調子に乗って叫ぶ。
「お前! 下っ端の連中にどーゆう教育してんだよ! 会社なんだから口のきき方からしっかりさせないと駄目だろうがあ? ちゃんと指導しろよクソバカが! お前らの首なんか、ボクの言葉1つでいくつでも飛ばせるんだからな! わかってんのかよクズが! ゴミが!」
「お静かに……勤務中ですわ」
 にこやかな表情を変えぬまま、琴美は少しだけ声を低くした。
 オフィス内の空気が、凍り付いた。課長も、青ざめている。
 にっこりと細めた目で、ちらりと睨み据えながら、琴美は言った。
「勤務中にお仕事をなさらないのなら、出て行っていただけませんこと? ここ、お仕事をする場所ですのよ」
「その言葉、忘れるなよお前……誰に向かってどーゆう口きいたのか、覚えてろよクソ女!」
 そんな捨て台詞を残し、課長は出て行ってしまった。
 オフィス内には、重苦しい空気が残っている。が、課長がいた時よりはましだ。
 琴美は、まず主任に向かって頭を下げた。
「お騒がせいたしましたわ……申し訳ございません」
「ああ……いや、ありがとう水嶋さん。主任の僕が、言わなきゃいけない事だった」
 気弱そうな笑みを浮かべながら主任が、続いて小声を発した。
「……総務3課から、お呼びがかかっています。行って下さい」


 総務3課は、表向きには存在しない部署である。
 自衛隊・特務統合機動課本部と、この会社の社員に化けている工作員との間の各種連絡が、その役目だ。
 本部からの命令は全て、この総務3課を通して伝えられる。
 地下にある総務3課において任務を受領した後、琴美は専用更衣室で、OLとしての姿を脱ぎ捨てていた。
 無駄なく美しく鍛え込まれた肉体が、露わになる。
 豊かに形整った左右の乳房は、黒のインナーによっていささか窮屈そうに拘束され、深く柔らかな谷間を作っている。
 尻回りには同じく黒のスパッツがぴっちりと貼り付いているが当然、白桃のような瑞々しいヒップラインを隠す役には全く立っていない。
 インナーとスパッツの間では、白い胴体がキュッと健康的に引き締まりつつ、美しい腹筋の線をうっすらと浮かべている。
 左右の細腕は、男のようなこれ見よがしな筋肉がなくとも、すっきりとした力強さを感じさせる。
 スリムな裸の両脚は、優美でしなやか、でありながら牝豹の如く攻撃的な色香を漂わせている。
 そんな両脚を、編上げのロングブーツで包み込みながら、琴美は受領した任務の内容を思い返していた。
 この会社の主要取引先である重工企業で、違法な兵器開発が行われているらしい。政府関係者が絡んでいる可能性もあるという。
 戦闘行為を伴わない穏便な情報活動では、そこまで調べ上げるのが精一杯であるようだ。これ以上の事を知るには、いささか血生臭い強行調査が必要となる。
「下手をすると、この会社が潰れてしまう……かも知れませんわね」
 優雅に苦笑しつつ琴美は、何本もの投擲用クナイが差し込まれたベルトを、太股に巻き付けた。
 形良く膨らみ締まった白い太股に、黒い戦闘凶器が装着された。
 違法行為を働いている重工企業と取引のある会社。そんな職場にも、あの課長にいびられていた社員たちのように、真面目な仕事で社会に貢献している人々が大勢いるのだ。
「あの方々から、お仕事を奪ってしまう……かも知れないのが、私のお仕事」
 スパッツの上から、琴美はスカートを巻いた。さらりと太股を撫でる、ミニのプリーツスカート。魅惑的な尻の丸みを、やはり隠せはしない。
「……そういうもの、ですわね」
 己に言い聞かせながら琴美は、袖の短い戦闘用の着物をフワッと羽織り、帯を締めた。そして、左右の繊手にグローブを被せる。
 新人OL・水嶋琴美は、そこにはもういなかった。
 いるのは自衛隊特務統合機動課所属工作員・水嶋琴美だ。


 工場と言うより、もはや要塞である。
 樹海の真ん中に、鋼鉄の要塞とも言うべき大工場が、悪事を隠さず開き直ったかの如く鎮座して偉容を晒すその風景は、ここは本当に日本なのかと疑わしくなるほどの禍々しさだ。
「ありがとうございました。ここまでで結構ですわ」
 装甲ジープから地面へと軽やかに降り立ちながら、琴美は運転席に声をかけた。
 これ以上、車両で接近したら、間違いなく気付かれる。否、もう気付かれているかも知れない。
 いずれにせよ、ここからは生身の工作員の領分だ。
 特務統合機動課の若い隊員が、緊張した声を発する。
「お気を付けて……健闘を、祈ります」
「ふふっ、健闘で終わらせるつもりはなくてよ」
 応えつつ琴美は、鋼鉄の要塞を見据えた。
 強行調査。それが任務の内容である。
 この工場でどのような違法開発が行われているのかは当然調べ上げるとして、関わっているかも知れない政府関係者に関しても、何らかの情報を入手出来れば最良である。
 が、恐らく調査だけでは済まないだろう。調べ上げて終わり、などという心構えでは命を落としかねない。
 それほど邪悪な気配を、この要塞の如き大工場は漂わせている。
「まあ、いつもの事ですけれど……ね」
 綺麗な唇を不敵に歪めながら、琴美は高々とブーツの足音を響かせ、要塞に向かって歩み出した。