コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


宿命を背負う者、その名は「令嬢くのいち」


 休日である。もっとも、緊急の仕事が入らないとも限らない。
 呼び出しがかかれば、たとえ洒落たレストランで殿方と一緒に食事をしている最中であっても、仕事に戻らなければならなくなる。
 幸か不幸か、そんな殿方はいない。
「幸……という事にしておきましょうか」
 苦笑しつつ琴美は、ショーウィンドーのガラスに映る己の姿を、ちらりと確認した。
 豊かな胸と引き締まった胴体を包む、純白のカットソー。対照的な、黒のジャケット。すらりと伸びた両脚を覆う、同じく黒のパンツ。腰に巻かれたスカーフの柄は、九字である。
 日頃スカートばかり穿いているせいか、パンツスタイルだと若干の違和感は否めないような気がする。見慣れれば似合うように思えてくるかも知れないが。
 行き交う人々が時折、賞賛と羨望の眼差しをちらちらと向けてくる。魅力的に、見えてはいるようだ。
 なのに殿方と縁がないのは仕事のせいだ、と琴美は思う事にした。
 男などいないから、いつ緊急の仕事が入っても大丈夫なのである。
「独り身の身軽さ、というものですわね」
 わざと足取り軽く、琴美は歩いた。
 1人の托鉢僧が、視界に入った。
 笠を目深に被って街頭に立ち、念仏らしきものを呟きながら時折、錫杖を鳴らしている。手にした鉢の中には、小銭がいくらか入っているようだ。
 琴美は、いささか迷った。任務中には迷う事などないが、こういう時には迷ってしまう。
 カードで支払う事が多いとは言え、現金を全く持ち歩いていないわけではない。
 1万円札など入れたら、金持ちの傲慢と受け取られてしまうか。かと言って千円札や小銭では、それこそ傲慢であろうが少な過ぎるような気がする。間を取って5千円札というのも、中途半端だ。
 視界に入ってしまった以上、無視するのも気が引ける。
「……お金持ちの、傲慢ですわ」
 万券を3枚、鉢に突っ込んで、琴美はさっさと通り過ぎた。
 しゃん……と、錫杖が鳴った。
「……肩が重くはありませんか、お嬢さん」
 托鉢僧のその言葉に、琴美は思わず立ち止まって振り向いた。
「貴方……見えておられますの?」
「随分と大勢の方々を、引き連れていらっしゃる」
 托鉢僧の言う通り、確かに大勢、引き連れている。たまに写真など撮ったりすると、写っている事もある。
 あの怨霊機の暴走の際、何人かは一緒に昇天してくれたようだが、まだ大勢残っているし、これからも増えてゆくだろう。
 この仕事をしている以上、当然の事として受け入れるしかなかった。
「御覧の通りですわ。私、殺生を重ねております。きっと地獄へ落ちるのでしょうね」
「貴女のようなお若い方が、今から心配なさるような事ではありませんよ」
 笠の下で、托鉢僧は微笑んだようだった。
「地獄往きを覚悟の上で、修羅道を歩んでいらしゃる……その生き様を、御仏はしっかりと見ておられます」
「修羅道などという、格好の良いものではありませんわ。単なるお仕事でしてよ」
 琴美はそう言って一礼し、背を向けて歩き出した。
 托鉢僧が見送りながら、低く経を唱える。琴美に付きまとっている何人かが、スゥ……ッと昇天し、消えた。
 いくらかは肩が軽くなったのだろうか、と思いながら琴美は、休日の街並を見回してみた。
 仲睦まじく連れ立った男女がいる。同性同士で明るくお喋りをしながら歩く少女たちもいる。
 イヤホンを耳に差し込み、踊りながら歩いている若者。子供連れの家族。年配の人々も、いないわけではない。
 平和だった。
 この平和が気に入らない、腐りきった物質文明の証だ、腐敗を覆い隠す偽りの平和だ。
 そんな事を言って馬鹿をやらかす者が、今の世の中、驚くほど大勢いる。琴美が引き連れている者たちは、大半がそうだった。
「汚らしい平和でも、綺麗な戦争よりはずっとまし……それが、おわかりかしら?」
 琴美は、語りかけてみた。
「平和なら、貴方たちも死なずにいられましたのよ?」
 返答はない。言葉にならぬ恨みの念が、伝わって来るだけだ。
「あの、水嶋さん……」
 声をかけられた。生きた人間にだ。
 通行人の女性。琴美より若干年上の、若い娘だ。
「あら、先輩……」
「やっぱり水嶋さんだ。こんな所で会うなんてねえ」
 あの時、課長に絡まれていた、先輩OLだった。


 とある喫茶店のテラス席で、琴美は先輩と向かい合っていた。
「課長がね、クビになったんだって」
 一口、紅茶をすすってから、先輩が言う。
「何か会社のお金、使い込んじゃったんだって。社長の息子さんだからって、ちょっと無茶やったみたいよ」
「そう……いう事に、なってますのね」
 琴美は、曖昧な笑みを浮かべた。
 会社は結局、社会的なお咎めを受けずに済んだ。
 琴美が何の証拠を入手する事もなく、あの工場を破壊してしまったからだ。
「あのような課長さんでも、いなくなってしまって……皆さん、少しは寂しがって差し上げたり」
「そんなわけないじゃない。みんな喜んでるわよ」
 先輩が、苦笑した。
「もちろん、あたしもね……そうそう、まだお礼言ってなかった。助けてくれて、ありがとうね水嶋さん」
「私はただ、目の前にある不愉快な光景を消したいと思っただけですわ」
「あの時の水嶋さん、ちょっと恐かった」
 何やら面白がるように、先輩は言った。
「知ってる? うちの課の男ども、みんな水嶋さんに夢中なんだけど……水嶋さんて時々、あんなふうに恐いじゃない? だからみんな、ちょっと敬遠しちゃってるみたい」
「それが賢明だと思いますわ」
「水嶋さんは、どうなのよ。誰か気になる男とか、いないの? もっともうちの会社、ろくなのいないもんねー」
 ええ、そうですわね。などとは言えずに琴美は、またしても曖昧な笑みでごまかすしかなかった。
 恐らく、話し相手に飢えていたのだろう。先輩は際限なく喋り続けた。
「営業の高橋君! 彼女いるくせに水嶋さんにメロメロで、それで今ちょっとした修羅場になってるみたいよ。あと井上部長と石田係長、この2人が実は水嶋さんを巡って大人のケンカの真っ最中! もう殴り合いでもやらかさんばかりに熱くなっちゃって、2人とも奥さん子供いるのにねえ」
 琴美の苦手な話になってきた。
 曖昧な相槌を打ちながら琴美は、これもまた自分が守るべき平和な日常なのだと思う事にした。