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天国?地獄?
「初詣、かぁ……」
頬を刺す様な冷たい風が吹き荒ぶ。
新年早々、その寒い風に晒された勇太はマフラーをすっぽりと鼻まで包み、ポケットに手を入れて立ち尽くしていた。
勇太は今、初詣に来ていた。
「寒いよ〜、こたつ入りたいよ〜」
実に不満たらたらである。
そんな勇太が何故初詣に来たのか。
事の発端は、凛の提案であった。
◆◇◆◇
「勇太、私と初詣に行きませんか?」
「えー……、寒いから俺は良いよ〜……」
東京都某所、凛の住まうマンションにて。
コタツに入りながら、勇太は正月番組を見つめながらそう答えたのであった。
「行きましょうよ、勇太ぁー」
「だって、初詣なんてしても今まで御利益なかったし……」
不幸体質の勇太ならではの発想ではあったが、それはそうである。勇太の人生は、実に不幸が多い。
もはやそういう星の下に生まれてきたのではないかと本人が諦めてしまっている節もあるのだから手に負えない。
「……そう、ですか。勇太は私と出掛けるのは嫌なんですね……」
「う……」
隣りにふと目を向けると、伏し目がちに目尻を拭う少女の姿。
「嫌なら、無理に誘うのはいけませんね……。二年ぶりに会って、仕事ぐらいしか一緒にいられないから、なんて考えた私は、自分勝手ですね……」
「あ……あの〜……凛さん……」
「良いんです。勇太が一緒にいられるなら、初詣なんて行かなくても。私の新調した振袖姿を見てもらいたかったのですけど、見せるだけなら、着て見せれば良いんですよね……」
「あー! なんか初詣日和だなぁ! うん! 初詣に行きたくなったなぁ! 誰か誘ってくれないかなー! あははは!」
ヤケクソであった。
「行ってくれるのですか……?」
ぱぁっと花を咲かせる凛の笑顔に、もはや勇太に断る事など出来るはずもない。
「うん。せっかくだし、ね……」
「〜〜ッ、じゃあ、先に待ってて下さい! あそこの大きな神社に行きましょう!」
「え、うん。良いけど、何で先に?」
「あ……、その……。もし、勇太が私の着替えている姿を見たいなら、私は見せても……――」
「――行ってきます!」
◆◇◆◇
「……ハメられた、のかも」
そうは言いながらも、勇太は人々の行き交う姿を眺めて楽しんでいた。
そんな勇太の近くで周囲から「おぉ!」とどよめく声が鳴り響いた。何やら視線が集中しているその先に、テレビの取材でも来ているのかと思いながら、勇太が何気なくそちらへ視線を移す。
「勇太、おまたせ、しました……」
駆けて来たのだろうか、上気した頬。
咲いた花の様な笑顔で、息を切らせ、長く綺麗な髪は後ろで結われ、意匠のこしらえられた簪でキュっと空を向いてまとめられている。
質素な色合いばかりの印象が強い凛が、そのいつもとは違う柔らかな桃色をした華やかな振袖に、白いファーを首に巻いて歩いてきた。
その姿に、勇太は思わず息を呑んだ。
周囲の視線を釘付けにしていた凛が、勇太の前でくるりと回ってみせる。
帯は派手過ぎない金色の物をつけ、帯紐の赤がその印象を強くさせる。
「似合って、ますか?」
上目遣いに、どこか不安げな口調で凛が告げる。
高鳴る胸に、勇太が照れ隠しに頬を掻いて頷いた。
「うん、似合ってる。そういう色も似合うんだな、凛」
「……有難う、ございます……」
照れ隠しの勇太の言葉に、凛が顔を赤くして俯いた。
いつもの凛とは違う遠慮がちな態度に、勇太が胸を高鳴らせながらも、どこか見惚れてしまう。
勇太は気付いていない。
凛は元々神社の娘であり、こういった場では巫女姿でしか訪れた事はない。
もちろん、振袖は持っているのだが、もっとシンプルな青や淡い色しか持ち合わせていなかったのだ。
そんな凛に、「そういう色“も”似合う」と言った言葉は、普段からそういう言葉を口にしない勇太ならではの破壊力を持ち合わせているのだ。
「ほら」
「え?」
勇太が手を差し伸べる。
「人多くて、はぐれると困るからさ」
「……はい」
キュっと勇太の手を取って、凛が笑顔を浮かべる。
しかし、その光景を見つめて殺気を放つ姿があった。
茂枝 萌である。
その姿は、淡い黄色い振袖姿であった。
髪留めもいつもに比べて華やかな物を使い、何度も櫛を通したであろう髪は、真っ直ぐ綺麗に下ろされている、
「……工藤 勇太、何を鼻の下を伸ばしているんですか……」
一人で立ち尽くす彼女から放たれる異様な気に、周囲の人々は「ひっ!」と声をあげて避ける程である。
萌がここに来ていたのは、鬼鮫からの監視命令が関係していた。
人混みだからこそ、しっかりと監視しておけという鬼鮫の言葉に、どこか一緒に初詣が出来るのではないかと踊らせた期待。
しかし、どう見ても前方で良い雰囲気になっている凛と勇太の姿に、今までに感じた事のない言い知れぬ怒りを感じていた。
「……良い身分ですね、工藤 勇太。私が監視をしているにも関わらず……」
その言葉と笑みは、更に周囲との距離を空けていく。
しかし、その近くでまさに同じ様な光景が広がっていたのだ。
「……勇太、ずいぶんと楽しそうにしてるじゃないの……!」
赤い振袖に身を通し、ウェーブがかった髪は横に銀色の花をモチーフにした、意匠の凝らされた髪留めをつける少女、百合である。
こちらは勇太の状況を密かに見に来たついでに、最近の虚無の境界との摩擦で疲弊した勇太を励まそうという心算だ。
かくして、互いに周囲の人々を引かせた二人の間に人の姿は消え、お互いに目が合う。
「……これはこれは、誰かと思えばIO2の野良猫ちゃんじゃない」
口火を切ったのは百合だった。
「貴女こそ、虚無の境界からこちらに寝返った蝙蝠さんですよね?」
負けじと萌が百合に向かって噛み付く。
ゴゴゴと音を立てながら、両者が睨み合うその背後に猫と蝙蝠の絵が浮かんで見える程であったと目撃者は後に語る。
「何してるのよ、こんな所で?」
「IO2の任務です。貴女みたいな人が対象を危険に晒すのではないかと危惧してますからね」
「へぇ、行ってくれるじゃない。言っておくけど、私は別にそんなつもりはないわよ?」
「どうだか。工藤 勇太に固執している節がありますからね」
「――ッ! そ、そんな事ないわよ! それに、それを言うならアナタも一緒じゃないの?」
「……どういう意味ですか?」
「IO2の斥候ともあろう者が、わざわざ振袖を着て潜入捜査してるとでも言うつもり? あわよくば一緒に初詣でもしようって言う魂胆でしょ?」
「――ッ! どうやら、ここでしっかり決着をつけるべきの様ですね……」
「言ってなさいよ。返り討ちにしてやるわよ……」
――「何してんの?」
不意な声に萌と百合が振り返る。
そこに立っているのは、乾いた笑みを浮かべる勇太と、明らかに勝ち誇った凛の姿であった。
「あ……、アンタこそ! 手繋いで何してんのよ!」
「私は任務で、その!」
「あらあら、可愛い振袖を着て普段通り振る舞うなんて、せっかくの晴れ着が泣いてしまいますよ?」
最年長の凛の言葉に、萌と百合が押し黙る。
この場において、凛が圧倒的に有利であるのは二人も分かっていた。無理に邪魔をして来る方法はないのだ、と。
しかし、そんな凛の思惑を打ち砕いたのは、他でもない勇太であった。
「二人も初詣? へぇ、似合ってるなぁ」
突然の褒め言葉に予想していなかった百合と萌が一斉に赤面しながら顔を俯く。
「〜〜ッ、な、何いきなり変な事言ってんのよ、バカ……」
「そ、そうです……。そんな、事、言われても……、私は……」
「せっかくだし皆で初詣しようか」
こうして、凛の余裕は打ち砕かれ、三人は同等のスタートラインに立ったのであった。
しかし、人混みは酷く、時間が経つに連れて密度は増す一方であった。
はぐれない様に、と勇太の手を握り続ける凛と、それを見て対抗する百合が逆の手を取る。
更に萌はそんな光景を見て、勇太の真正面を陣取るが、人混みに押されて勇太へと抱きついた。
これは萌の誤算であったが、百合と凛の対抗心に火を点けた。
「その手が――」
「――あったわね!」
何故か二人が同時にそう考え、凛が勇太の腕をギュッと抱き締める。
突然押し当てられた感触に、勇太が顔を赤くして凛を見つめた。
「り、りりり凛、その……」
「ごめんなさい、人混みで押されてしまって……」
「そ、そうじゃなくて、その……」
「え? あぁ、着物ですから、つけてませんよ?」
「なっ――!!?」
さらに百合が勇太の腕を上げ、勇太の脇の傍へ近付き、勇太の手を自分の腰に絡ませる。
「百合!?」
「う、うるさいわね。こうした方が離れずに済むでしょ!?」
「やっ、それっ、手が……!」
百合の腰を回した手が、百合の腰に触れる。
「ちょ……、っと、動かさないで……。変な……」
「ひぃぃっ!」
「せまいー」
更に萌が振り返り、今度は勇太の身体に抱き着く様にひっついて身動きを封じられる。
「ちょ、萌さん!? 抱き着くとかは!」
「う、動けないんですー!」
萌が涙目になりながら勇太の胸元で顔をあげる。
「あ……っ、勇太、動いたらめくれて……」
「そ、そう言われても――!」
「――ひぁっ! そ、そこ、おし……」
「だ、だから俺の手を放してくれれば――!」
「ん、なんか当たってますけど、これ――」
「――だ、誰か助けてぇぇ!」
―――
――
―
無事に参拝を済ませた勇太は、「平穏無事な年でありますように」と祈りながらも、その気配が既にない事に気が付き、深くため息を落とした。
「……はぁ、疲れた……」
前方でガヤガヤと騒いでいる凛と百合、それに萌を見つめながら、勇太はガックリ肩を落として帰るのであった。
そして、そんな勇太を見つめるもう一人の姿。
金色の髪を束ね、淡い水色の振袖に身を通しているエヴァの姿。
髪を下ろして一部を編み込んだ彼女は、クスっと微笑んで踵を返して歩いて行く。
「ニホンのお正月をエンジョイするぐらい、許してあげるわ♪」
手に持っていたリンゴ飴を舐めながら、その日を休戦にしたエヴァは何処か楽しげな表情で歩き去っていくのであった。
FIN
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