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<東京怪談ノベル(シングル)>


『忍びは舞う 1』

 街中にそびえ立つ、商社ビル。その中の一室に、とある女性の姿を見ることができる。タイトにきめたスーツとスカートに身を包み、艶かしい脚線美を黒のストッキングの中へおさめた、OLをやっているにはもったいないほど蠱惑的な体と美貌を持つ女性だ。
 知的に見える黒縁メガネの奥に輝く黒い瞳は自信に満ちあふれていて、慣れた手つきでパソコンのキーボードを打ち、ふとした瞬間に髪をかき上げる、その一挙一動がみるものの心を奪うほど、様になっていた。
 彼女――水嶋・琴美(みずしま・ことみ)は、優雅でありながら、信じられない速さで目の前の仕事を片付けていく。こちらの仕事についても、彼女はなくてはならない存在なのである。
 と、そのとき、不意に琴美のデスクに置かれていた携帯端末が、メールの着信を示す光を放った。性分がら、いつもサイレントマナーにしている彼女は、着信に気づき、端末を手にとった。そして画面の上に踊る文字を少しの間見つめて、小さな笑みをもらすと、すぐさま仕事に戻った。残った仕事は、片付けるのに一時間もかからなかった。


 仕事を片づけ、琴美は早退する旨を上司に伝えた。彼女の要望はどういうわけか、必ず通ってしまう。
「それでは……」
 同僚たちに挨拶をして、更衣室兼ロッカールームへ向かう。当然ながら、まだ定時まではほど遠く、そこに琴美以外の誰かの姿を見つけることはできない。静まり返った部屋で、琴美は自分のロッカーへ向き直る。彼女のロッカーは壁際の隅にある。鍵を取り出して、開く。中には出勤時の手荷物だけ。このロッカーの中をよく見ると、普通ならばついていないはずの、ボタンのような突起物を一つ、見つけられるだろう。琴美がそれを人差し指で押しこむと、音も立てずにロッカーの中が一回転し、たちまち、彼女のもう一つの仕事着が現れた。
 編み上げの黒いロングブーツとグローブ。ミニのプリーツスカート。体にフィットするスパッツと、黒のインナー。そしてとある目的のため、両袖を半分に切り落とした着物と、鮮やかな模様も美しい帯である。さらに、太腿に装着するベルト。これにはすでに、黒い、物騒な形をした鉄の塊が一本、付けられている。
 琴美は薄く微笑むと、タイトなスーツとスカーツ、そしてストッキングをあっという間に脱ぎ捨て、扇情的な下着姿となった。傷ひとつない、瑞々しい肌の上をスパッツが滑り、彼女の下半身を包んでゆく。上には、黒のインナー。次にスカートの順に身につけてゆき、着物に袖を通した。帯を結び、最後にその黒い鉄の塊を提げたベルトを太腿へと装着した。
 すっかり正装に身を包んだ琴美は、脱ぎ捨てたスーツをロッカーへおさめ、扉を閉じ、施錠して、再び不敵な笑みを浮かべたかと思うと、たちまち、その姿を宙へかすませた。次の瞬間、その場に彼女の姿はなく、静まり返ったロッカールームがあるだけだった。



 商社ビル地下、作戦室――そこに、琴美はいた。この商社ビルは彼女が所属する組織が表向きの仕事として運営しているもので、琴美も普段はそこの社員として働く日々を送っている。だが有事の際、彼女はこうして地下の作戦室へと呼び出されるのである。
 作戦室にはすでに司令官がいて、部屋に入ってくる琴美を認めると、厳しげな表情をいくらかほころばせて、彼女を出迎えた。
「やあ、待っていたよ、水嶋くん」
「ええ、しばらくぶりですわね、司令官」
「さっそくだが、一つ、頼みたい仕事があってね」
「構いませんわ。どういった任務ですの?」
「ああ、君も知っているとは思うが――」
 そう言いながら、司令官が背後のモニターに向き直る。モニターには、さる大企業のビルが映し出されていた。司令官いわく、この大企業は裏でテロ組織と繋がっており、ずいぶん阿漕な商売をやっているらしい。しかも、その背後に見え隠れするテロ組織は、高度な訓練を受け、豊富な銃火器で武装した戦闘のプロ集団であるらしく、迂闊に手を出そうものならたちまち返り討ちにされるだろう。また、そんなプロ集団が相手なら、手を出した時の報復が恐ろしいだろう。
「君には、この大企業の取締役社長を暗殺してもらいたい。もちろん、裏で彼を操るテロリストたちも殲滅してほしい。相手は戦闘のプロだ。極めて難しい任務だが、君ならば、必ずこなしてくれるだろうと期待している」
「了解いたしました。必ずや、ご期待にそえるよう、任務を完了してみせますわ」
 完全に、そして完璧に――。
 不敵に微笑む琴美に、司令官は頷きを返した。
「いい返事だ。外に車を用意してある。組織のものが、君を目的の場所まで送ってくれるだろう。幸運を祈る」
「幸運を、司令官……」
 一礼して、琴美は作戦室を出た。出ると、司令官が用意していた車は、すぐに見つかった。すでにエンジンがかかっており、運転手らしき組織の構成員が、琴美を見つけるや、深々と頭をさげて、扉をあけてみせる。
「失礼いたします」
 恭しく返して、琴美は車へ乗り込んだ。扉を閉め、構成員が前へ周り、運転席へ乗り込む。運転手は、ルームミラーを調整してから、ミラー越しにもう一度、琴美へ頭をさげ、
「しばし、お付き合いをお願いいたします。音楽はおかけになりますか?」
「いえ、結構ですわ」
「失礼いたしました。それでは……」
 運転手はサイドブレーキを戻し、ギアをドライブに入れ、アクセルを踏んだ。
 速やかに、そして安全運転で、琴美を乗せた車は敵地へと向かう。
 三十分か、それほどはかかっただろうか――車は、いちだんと高くそびえるビルの前で停車した。
「エスコートは、必要ありませんよ」
 サイドブレーキを入れ、運転席から出ようとしていた構成員に声をかける。
「さようでございますか。それでは水嶋さま、ぜひ、ご武運を……」
「重ね重ね、ありがとうございます。あまり目立たないところで、待っていてくださいね。すぐに終わらせてきますわ」
 そう言うと、琴美は自ら扉を開き、車の外へ出た。太陽が高く登っている。その日差しにわずかに目を細めてから、現代を生きる忍び、水嶋琴美は髪をかきあげ、颯爽とブーツを鳴らし、敵地へと乗り込んでゆくのだった。


『忍びは舞う 1』了