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<東京怪談ノベル(シングル)>


『dance』

 外の戦闘員の存在とその武装によって、水嶋琴美のこの施設に対する暴力的なアプローチは、詳しい調査を待たずして決定していた。それは琴美の鋭い直感による判断に過ぎない。しかし正面入り口を過ぎて左右の廊下が交わるまでの僅か十数歩で、彼女が正しかった事は知れた。
 深夜、屋内に人気はほとんどなく、青白いLEDライトが最小限の光量で通路を照らしている。琴美は簡素なエントランスの中心に一人で立ち、両手を挙げていた。灰色の迷彩を着込んだ警備兵が二人、五メートル先で彼女にカービンの銃口を向けている。
 突然の侵入者が、隠れる気配も一切見せず、高らかに靴音を鳴らしながらやってきたのだった。二人ともその事自体に動揺するような新米ではなかったが、それが若く美しい女であり、何の武器も身に付けていない点にはどうしても意識が向いた。これが気付かない内に、彼らの行動を悠長なものにしていたのかもしれない。通信機から、表を巡回していた者の連絡が途絶えたとの報告があった後も、二人はひとまず彼女に近付いて、床に伏せるよう警告していたのだった。
 琴美は穏やかな顔つきのまま膝を折って屈み、跳んだ。空中で一回転すると、ソバットを片方の顔面に叩き込んで吹き飛ばした。着地した時には手の中に黒い刃が握られていて、もう一人の利き腕から血が噴き出し、次いで首筋にも軌跡が見えた。
「何をのんびりとやっているのかしら?」
 それはいち早く決断を下すかどうかの差だった。
 虚しく残響が去っていく中で、天井を眺めていた琴美は監視カメラを見つけた。彼女はそれに向かって微笑み、ひらひらと手を振った後、床に落ちていた銃を投げつけ破壊していった。その後ろを、白衣姿の女が付いていく。
 彼女達が正面通路から適当な部屋に入った時には、既に警報が鳴り照明が明々と光り始めていた。支援隊員がコンピューターに取り付いたのを確認し、琴美は勢いよく扉から出た。途端に、左右から銃弾が飛び交い彼女の動きを追う。事が起きてからの対処速度、挟撃した際に同士討ちを避けるため行われる連携的な動き、いずれもが高度な訓練を受けていると思わせた。琴美は反対側の壁まで一気に走ってそれを蹴り、上下左右と空間を巧みに使いながら左手の集団に向かっていった。寄ってさえしまえば、もう一方は容易には撃てない。
 遠目から見ると、現実味の薄いあっさりとしたものである。ツーマンセルで行動していた屈強な男達は、呆気なく戦闘力を失ったようだ。片方は糸を切られた人形のように倒れ込み、残った方は腕を背後に固められた形で、彼女の姿をすっかり隠していた。
 ひょこひょこと、盾にされた男が歩いてくる。顔には脂汗が浮かび、声も上げずに震えている。極められた関節の痛みだけではなかった。彼はこんな時、躊躇せず撃てと教えられてきたのだ。その通りに、再び銃声が響き渡る。彼の身体はあっという間に蜂の巣になってしまった。しかし、歩みは止まらない。ぐったりとうなだれた血まみれの人型が、むしろ速度を上げながら迫ってくる。
 彼らの焦燥が激しさを増したその瞬間、死体が高く放り投げられた。思わず上に振られた視線を慌てて戻しながら引き金を引いたが、そこで彼らは愕然とした。下には誰もいなかったのである。死は、頭上から降りかかった。
「琴美殿、ここでは表向きの業務が行われているだけです」
 それからしばらく大立ち回りを演じていると、支援隊員が駆け寄ってきた。
「件のデータは?」
「これに」
 琴美は記録媒体をちらと見て、他は回らずさっさと地下へ降りる事にした。最初から地上階に当たりなど付けていなかったため、三ヶ月前の痕跡が出てきただけで儲け物だ。
「先に行きますわ。その間は……」
「はい、大丈夫」
 彼女は銃を拾い上げ、マガジンを確認した。ぎゅっと、その手を琴美が握りしめる。そして頷くと、支援隊員は自分の頭の奥がカーッと熱くなるのが分かった。琴美はそれを知っているかのように、優しげな表情を見せ、静かに開いたエレベーターに乗り込んでいった。
 もちろん、格好の待ち伏せ場所だろう。しかし彼女は、そのサーモンピンクの舌で唇を慰めながら、むしろ挑発的な目付きをしていた。たった一人でいるのに、この上なくエロティックだった。すぐに低い駆動音が収まる。同時に凄まじい発砲音の中でドアが開き、もうもうと立ちこめる煙に包まれた琴美が口を開いた。
「よかった。マスクは必要ないみたいですわね」

 ケージの中で、実験用マウスが落ち着きなく動き回っている。それらから画面へ目を移し、二人はしばし沈黙していた。
「こんなもの、何に使うつもりで……」
「寿命が一年未満、自然繁殖をしないというのは、明らかに事後の地域を活用するためでしょうね。他の動物を補食しないのも、そう」
「ネズミの行動範囲は本来こんなに広くないはずです。それに、特定の周波数の音に反応して集まったりもしない」
「スティモシーバーを脳に埋め込んで操作しようなんて計画もあるんですもの。これはどう見ても、動物兵器。昔には、ペストやチフス等の病原菌を媒介させる目的で、ノミダニを散布したなんて話もまことしやかにあったけれど、二十一世紀ともなるとこんな便利なものが出来るんですわね」
「でも、これじゃあまるで領土紛争や侵略戦争のための道具です。何故そんなものがこの国で……」
「大小を問わなければ、北にも南にも西にも面倒な島があるのですから、自ら手を上げられない国家としてはこれを便利とも言えますわ。でもそんな些事よりも、ウィルスそのものの方。これの開発に、生物実験を繰り返している。人間も含めて」
 マウスが容れ物の壁に手をついて、物言わずこちらを見ていた。
「他生物を介して広まらないようにというのは、さっきの理由で理解が出来る。だけど症状をそのままに、ウィルスの構造を変える試みが行われているのは……。直接的な使用目的に限れば、こんな必要はないはず。もしもこれをワクチンとパッケージで取引しようとしていたとすれば、こうした技術は重要になってくるけれど」
「一体、誰がこんな大がかりな事を……」
「……あなたはバックアップが済んだら、いつでもここを爆破出来るようにして、ギリギリまで情報収集を。きっと余所にはあまり触らせたくないものが出てきますわ」
 最後は呟くような言い方だった。廊下に出て、打ち倒された警備兵達を跨ぎながら、琴美は端末で確認した実験スペースに向かった。ここまで辿り着いてからは、加勢が来る気配もなくなっている。もう一つ下、最深部に足を踏み入れた時も、そこには何もいなかった。

 一面が白く、今までの中でも異質な、無機質な景色である。能面のような得体の知れない不気味さが、見ている者を刻一刻と不安にさせていく。温度は一定に保たれているらしく、外界よりも少しだけ寒い。突き当たりに物々しい扉があった。既にセキュリティシステムにアクセスして、ロックは解除してある。歩くと、カツカツと高い音がした。
 中は広く、大小様々なケージの中でネズミを中心とした多様な生物が生きていた。小型の猿は頭をかきむしるようにしてうずくまり、コウモリはバタバタと羽ばたきながら透明なケースの内側に何度も激突し続けている。ネズミ達は小さな身体を隅っこに固めて、つぶらな瞳でじっとどこかを見つめていた。不安げでもあり、全てに対して無知のようでもあった。
「ここを、どうするつもりだ?」
 白髪交じりのいかめしい男が、スーツ姿で奥に立っている。横にいる壮年の警備兵は、ここの隊長だろうか。
「破壊しますわ」
「ふむ」
「もったいないかしら?」
「私は自分がすべき事をしてきたに過ぎない。それが日の目を見る前に君が来た。その程度という事なのかもしれない」
 気持ちの良い現実主義だ。
「だがやれる事はやらせてもらう。撃て」
「あら、これは強化ガラスや何かではなさそうだけど」
「構わんよ。窮鼠猫を噛むというやつだ。撃つんだ」
 その目に狂気は感じない。むしろひどく平淡だ。それに気圧されたように、カービンが戸惑いながら火を吹いた。
 障害物の多い場所では、いかに高性能な飛び道具を持っていても琴美には太刀打ち出来ない。しかし彼女が移動すればする程、室内の設備が破壊され宙を飛び交っていった。琴美は急ぎ銃撃の合間を縫ってクナイを投擲し、敵の腕を殺した。そこから軽やかに机等を飛び越えて踵を落とす。そしてガードが上がったところをショートアッパーで仕留めた。あっという間の出来事だった。
 回収した武器の切っ先を眺めてスーツの男に向き直ると、彼はポケットに手を突っ込んで冷めた態度でこちらを見ていた。琴美も顔色を消した。突然、彼女は壁に拳を叩き付けた。大きな音がして、その下では刃に貫かれたネズミが力なくもがいていた。
 血が白壁に線を作り、しばらくして動きが止まった。すると無数のネズミ達が即座にその屍体へ群がり、彼女は驚いてそこから離れた。
「食っているんだ。同種の死骸を積極的に捕食する事で効率よく運用出来る。処理も含めてな。元々少ないエネルギーで行動出来るが、困窮すれば弱った仲間から食っていく」
 おぞましい音の中で、男は満足げだった。その足下から、数匹が這い上がっていく。
「そうして、彼らは何としても目的を仕遂げる」

 爆破された施設が崩れる音は、地響きのように山を揺らした。支援隊員が通信機でオペレーターに向かって、やかましく報告や指示を続けている。琴美はそのやりとりに耳を傾けながら、一匹の太った野ネズミを目で追いかけていた。ぼんやりしたそれは、暗中に浮かぶ影のようなものなのかもしれなかったが、いやにはっきりとした輪郭でのそのそ動くのだった。
 琴美はクナイに手をかけようとした。しかし結局何もしなかった。その内に、それは向こうへ行って見えなくなってしまった。
「琴美殿、何か問題が?」
 支援隊員が彼女の顔と目線の先を見比べて、怪訝そうにしている。琴美は気が付いて、優美な笑みを浮かべた。そして鈴を振るような声でこう言う。
「いいえ、簡単な任務でしたわ」