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<東京怪談ノベル(シングル)>


魔女の戯れ


(ううっ、何で……何で、こんな事になっちゃうんですかぁ……)
 太一は泣き言を漏らしたつもりだったが、もはや言葉は出ない。クゥン……と悲しげな声が出るだけだ。
(魔女に真名を呼ばれたからよ)
 頭の中で、女悪魔が答えてくれた。何やら楽しそうな口調である。
(人間だって、飼っている犬や猫に名前を付けて呼ぶでしょう? まあ、それとはちょっと違うかしらね)
(私……ポチとかタマとか、そんなのと同じになっちゃったんですかぁっ……)
 やはり、人間の声は出ない。ほっそりとした鼻面が、クーンクーンと悲しげに鳴るだけだ。
 イヌ科の獣らしく吻の伸びたその顔立ちには、しかし新米魔女の美貌の面影が残っているようである。ピンと立った両耳は、愛らしくも美しい。
 しなやかな首筋は、そのまま優美な胴体の曲線へと繋がっている。魅惑的な魔女のボディラインをどこかに残しつつ、肉食獣の力強さをも確かに内包した曲線。伸びやかに大地を踏む四肢は、野性の強靭さを秘めている一方、四つん這いになった若い娘の艶かしさを失ってはいない。
 ふっさりと後方に伸びて流れる豊かな尻尾は、獣の気品とでも言うべきものを感じさせる。
 毛並みの艶やかな、紫色の牝狼。
 そんな自分の姿を、太一は見つめていた。
(これが、私……あれ?)
 鏡に映っている、わけではない。そこにある己の姿が、自身の目で見えているのだ。
(使い魔はね、感覚の一部を魔女と共有しているのよ)
 女悪魔が、教えてくれた。
(魔女が見ているものは、あなたにも見える、という事)
(えっと、つまり誰かが私を見つめていて、それを私も見ていると……)
 今の太一を、じっと見つめている者が、もはや我慢出来ぬ様子で抱きついて来た。
「かっ……ッッわいぃいいいいい! 何これ、思った以上! 反則級だよおおおおおお」
 悦びの絶叫が、酒臭さと一緒になって太一を襲う。
 うっかり真名を呼んで太一をこんな姿にしてしまった、酔いどれ魔女である。
「ねえ、ちょうだい! この子あたしにちょうだい、このまま使い魔にちょうだいよ、いいでしょ? いいでしょ、ねえイイでしょおおおおおお!」
「ちょっと落ち着きなさいって。いいわけないじゃないのよ、もう」
 他の魔女たちが、なだめに入った。
「そうだよ。この子、見かけは可愛いけど、中にはあの恐い恐ぁい女悪魔さんが入ってるんだからね」
「そうそう、確かに見かけは可愛いけど……ほんと可愛いねえ、ちょっと」
 魔女たちの手が、紫の狼の全身あちこちを撫で回す。
 太一は、声にならぬ悲鳴を上げた。
(はっ、早く! 元に戻して下さぁあい!)
(まあまあ、もうちょっと続けてあげなさいな。この寂しがり屋な魔女たちのために)
 女悪魔は、明らかに楽しんでいる。
(まさか、こんなに可愛くなっちゃうなんて……私にとっても予想外。あなたってば本当に、弄れば弄るほど可愛くなるのね)
(可愛いって、私……48歳の、男ですよぉ……)
 48年間付き合ってきた松本太一という自分に、まだ未練があるのか、笑って別れを告げる事が出来るのか。それは、太一自身にもよくわからない。
 松本太一という人間はもういない。女悪魔はそう言っていたが、言われてすんなりと腑に落ちる事でないのは確かだった。
 腑に落ちようと落ちまいと、自分は元いた松本太一48歳からはどんどん遠ざかっている。それもまた、確かである。何しろ今は、外見すら人間ではなくなっているのだ。
 そんな太一を魔女たちが、遠慮容赦なく弄り回す。
「んー、この毛並み! このお耳! この尻尾! こんな可愛くて綺麗な使い魔、見た事ないねえ」
「人間って、ここまで可愛くなれる生き物だったのねえ……本当、食べちゃいたいくらい」
「ふふっ、あたし餌付けしちゃうもんねー」
 魔女の1人が、酒肴の干し肉を差し出してくる。
 何の疑問も抱かずに太一は、それにパクリと食らいついていた。
 もぐもぐと咀嚼しながら、呆然と思う。
(ああ……私ってば、普通に餌もらって食べてるし……本当の、犬みたい……)
 普通に、飼い犬の如く扱われている。餌をもらえば、自然に食べてしまう。本能まで、動物になってしまいつつある。
 美味い干し肉だが、何の肉であるのかは訊かない方がいいだろう。ぼんやりと、太一はそう思った。
 女悪魔が、感心している。
(動物ぶりも板に付いてるわねえ。あなた元々、犬属性みたいなもの持っていたんじゃない?)
(あの……もしかして、元に戻してくれる気なんか……まるで無いんじゃないですか?)
 太一はしくしくと泣いた。くーん、という悲しげな鼻声にしかならなかった。
(私、何かもう……流されるみたいに、どんどん変わっていっちゃって……このまま最終的に、どこへ流れ着いちゃうのか……)
(……あなたはね、何も変わってはいないわ)
 女悪魔が優しく言った。
(あの素敵な紫の魔女も、この可愛らしい狼ちゃんも……あなたが元々、持っていたものなのよ。古びた蛹を脱ぎ捨てて、本来の綺麗なものを露わにしただけ。あなたはね、本当の自分に成れたのよ)
(自分探しとかは、あんまり……興味なかったんですけど……)
 そんな言葉も、クゥン……と獣の声に変わってしまう。
 甘えている、とでも思ったのだろうか。魔女たちが一層悦んで、紫の狼を弄り回した。