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晴れやかな夜
その日一人目の客は……非常に早かった。
絢斗が各テーブルに灯す為のキャンドルや、新しいクロスを用意していると、
ドアベルが軽やかに鳴り響いて来客を告げてくれた。
「こんばんは〜! ……あれ? お店まだオープンしてなかったかな?」
深沢・美香(6855)が開いたドアの隙間から、中をのぞき込むようにして顔だけを見せる。
「今日は随分早いね……というか、まだ開いてないのに『来ることができた』んだったら、拒んだら失礼だ。
どうぞ。まだ支度中だから、少し埃立てちゃうかもしれないけどさ」
謎めいた言葉を残しながら、好きなところへどうぞ、というように美香へ手振りで示し、
絢斗はひとまずカウンターへと戻るためにテーブルから離れる。
来ることが出来た、の意味がよく分からなかったが、とりあえず拒まれたわけではないようだ。
いつもより暗い室内に足を踏み入れる美香は、迷わずいつもの席へと向かいながら店内を見回した。
しかし、いつもいるはずの……黒いドレスの女性はどこにもいない。
「……寧々さんは、まだいないの?」
「ああ。もう少ししたら起きて来るんじゃないの?
陽は沈みきっていないから、吸血鬼には辛いかもね」
絢斗は何でもない事のようにオーナーの正体を言う。
普通はそのように答えたりしないが、美香なら寧々が何であったとしても、きっと変わらない対応だと思うのだ。
「それは知ってるわ。血を吸いたいって言ってきたもの」
「ああそう」
――ほら。
絢斗は己の思惑以上の結果が得られたことに、満足そうな笑みを浮かべて、飲み物は何にするかと尋ねる。
「美味しいものがいいな〜。あとね、少しお腹が空いたんだけど……何かある?」
「がっつり食べたい?」
「そうね。そこそこお腹に溜まるものがいいかな」
にこにこと答える美香の期待に満ちた眼差しに、絢斗はだんだん困り顔になる。
「……俺は別に料理好きでもないし、出来る男じゃないからね。
変なものを作っても、文句言わないでよ?」
と脅かして冷蔵庫を開けるのだが……。
「――たくさん注文してくれても大丈夫よ。
それなりに仕事に誇りを持ってきた料理人の包丁が揃っているから、
絢斗君には自分の知識の一部として使えるでしょ」
急に鈴のような声が美香の横で発される。
絢斗と美香が視線をそこへ向けると、既に寧々が座っており、
組んだ両手の上に顎を乗せていた。
「あら、寧々さんおはよう……寝てたんじゃないの?」
「太陽もそんなに怖くないの。日傘があれば真夏の外出でも平気よ」
お客様がいるのに寝ていられないわと微笑んでいる寧々に、美香は数週間前のことを切り出した。
「――寧々さん、この間は愚痴ついでの相談を聞いてくれてありがとう。
あれから悩みは暫くしてから解決したわ」
晴れやかな笑みを向ける美香の表情や言動に、当然ながら嘘はない。
寧々もそれは良かったと嬉しそうな微笑みを返す。
「うちのお店、繁華街に近いからちょっとガラ悪い人も来るわけ。
【癖】が変わってる人とかも。
そういうので女の子が傷ついたりしていたんだけど、
どうやら……常連のお客さんが不憫に思ってくれてたみたいで。
なんと、会員制になるかもしれないのよ!!」
興奮してきたのか、言葉に熱が入る美香。
「……あのさ、そういうところって、会員制にしたら、その……大丈夫なの?
経営的に」
言ったことないから知らないけど、と若干言葉を濁す絢斗に、美香はニヤリと笑う。
「知りたいなら勉強として遊びに来たらいいわ。
たまたま混浴で知り合った男女が、たまたま好きになっちゃってイイコトしちゃったってだけの場所よ」
「い、いいったら……! 風呂は銭湯で間に合ってるよ」
人をからかう割に、からかわれるのは慣れていないらしい。
すぐに赤くなって、料理作りに集中しはじめる絢斗に可愛いわねと笑う美香は、チャイナブルーを一口喉に流す。
「……それでね、出資してくださる方々は、結構……
その、とある大企業の会長だったり幹部だったり、その他お金には余裕のある方々みたいなの。
自分にとってお気に入りの子たちが泣いたり、傷つけられた事に胸を痛めてくださって。
数人が店のオーナーに掛け合ってまでくれて、会員制にしようって話に向かってるの」
もちろん、会員制にしたら今までより収入が減る子も数人出てくるかもしれないのは経営の課題だが、
女の子たちも今までよりずっと心身の傷が減る方が喜ばしいと安堵しているらしい。
「もう、それがなんだか嬉しくて。一人お祝いムード。
早く報告したくて、急いでここに来たのよ」
話の途中から、バターの良い香りがキッチンから漂ってくる。
それを軽く吸い込んで、何が出てくるのかという期待にも心を躍らせる美香。
彼女のグラスが空になったので、何か他に飲む? と寧々は尋ねて席を立った。
軽いカクテルを頼んだが、どうやら寧々自ら作ってくれるらしい。
「寧々さん、飲み物作れるの?」
「あら、美香さん。絢斗君にカクテルの作り方を教えたのはわたしよ?」
任せてちょうだい、と計量カップを指に挟んで自信ありげに美香を見つめる寧々。なかなか新鮮である。
「はい、キノコのデミオムライス」
戻ってきた絢斗が差し出す白い皿には、
半熟状態のオムライスに、こってりとしたデミグラスソースがかかっていた。
「やだー、絢斗君、やれば出来る子じゃない? いただきま〜す!」
嬉しそうにオムライスを頬張る美香の様子を眺める絢斗。
「……どう?」
「ん。美味しい〜! ファミレスよりいけるわ! これ売り物になるわよ!」
「お褒めの言葉は嬉しいけど、一応売り物だよそれ」
ホッとしたような息を気づかれぬように吐いた絢斗は、何でもなかったように片づけに向かう。
それを横目で見ていた寧々は、唇の端を上げて小さく笑っていた。
「結局、寧々さんの占いは……当たったわけね」
「そんなことないわ。偶然よ」
寧々は空になった美香のグラスを下げ、新しいカクテルをコースターへ置きながら、ゆるゆる首を横に振って否定している。
「……そうなの? あんまり外れてなかったわ」
「当たるような当たらないような無難なことしか言わないのが、占いのコツなのよ」
謙遜なのか本当なのか、寧々はいつもそのように答えている。
そうして絢斗の背中に声を投げかける。
「絢斗君も、占いは出来るでしょ?」
「――教えてもらったことはあるけど、俺はそういうのダメなんだ。
魔力のあるアイテムじゃないと乗っかれないよ。
タロットなら、市販されているものを使えばだいたい失敗しちゃうんだよ」
そもそも占いしたくないし、とばっさり切り捨てた絢斗に、
それは向き不向きがあるのだろう、と思い、美香は曖昧に相槌を打った。
「そんなことはどちらでもいいのよ。
少なくとも、二人がこのお店にいてくれるから私は通ってるようなものよ」
照れる素振りもなく、さらっと素直な気持ちを告げる美香が眩しかったようだ。
「あなたのように嬉しいことを言ってくださる女性が、わたしのお店によく来てくださるのは嬉しいわ」
美香の長い黒髪を一撫でしてから、寧々は機嫌が良さそうに自分で作った酒を口に運んでいる。
「絢斗君もお酒飲む?」
「いい。仕事中だから……あ!」
皿洗いを終えた絢斗は、一際大きな声を出すとカウンターを飛び出してテーブル席へと走っていく。
「まずいなぁ。開店準備随分遅れちゃったよ……! 途中だったの忘れてた」
慌ててテーブルクロスを替えている絢斗を見ながら、女性二人はくすくすと微笑ましく笑いあった。
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【6855 / 深沢・美香/ 女性 / 20 / ソープ嬢】
■ライターより
この度はご発注いただき、誠にありがとうございます。
美香さんのお店を勝手に会員制などに変えてしまいましたが
「ちょっとこれは……」という箇所がありましたら、ご遠慮なくご指摘なさってください。
明るく優しい美香さんを描写できて、楽しかったです。
また機会がございましたら、どうぞよろしくお願いいたします〜!
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