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<東京怪談ノベル(シングル)>


時を超える天使


 香りを吸い込んだ途端、気持ちがふんわりと軽くなった。
 気持ちだけが、肉体を離れて浮かび上がって行ってしまうのではないか、と思えるほどの軽さである。
「ん〜……アロマ系? のハーブティーですか、これ」
 うっとりと目を閉じたまま、藤田あやこは訊いてみた。だが店長は答えない。
 あやこは目を開けた。そこに、店長はいなかった。
 いたのは、ティラノサウルスである。いや、アロサウルスかも知れない。
 とにかく肉食恐竜が1頭、猛然と牙を剥いて襲いかかって来る。
 風景も、見慣れた店内ではない。緑の濃密な、太古の森林地帯だ。
 その真っただ中に今、あやこはいた。そして恐竜に食い殺されようとしている。
「きゃあああああああああ!」
「ち、ちょっと藤田クン、大丈夫?」
 店長の声がした。
 見慣れた、店の中だった。恐竜などいない。
「幻覚……」
 うっかり落としてしまいそうだったハーブティーを、あやこはカウンター席に置いた。
 港区の、とあるカフェバー。北欧風の瀟洒な雰囲気が売りである。あやこはここで何年か、住み込みのアルバイトを続けていた。
 新しい紅茶を入荷したので試飲してみて欲しい、と店長に頼まれ、こうして試してみたわけであるが。
「店長……これ本当に紅茶ですか? ガンジャとかハシシとかじゃないですよね? 何か幻覚が見えたんですけど」
「そ、そう? ボクが飲んだ時は、別に何ともなかったんだけど」
「いけない物お客さんに出して警察沙汰とかは、勘弁して下さいよ」
 言いながら恐る恐る、あやこはハーブティーをすすった。香りも味も、悪くはない。
 ビートラクティブという銘柄であるらしい、その紅茶を片手に、あやこはふと窓の外を見た。
 羽田の景色が見えた。憧れの、羽田。
 北欧回りで月へと飛ぶ、宇宙機の接客嬢。それが、あやこの希望する進路である。
 だからこうしてアルバイトで金を貯めつつ大学へ通い猛勉強、という苦学生そのものの毎日を送っている。少なくとも、あやこ自身はそのつもりだ。
 ビートラクティブをすすりながら夢に浸っているあやこに、店長が声をかけてくる。
「どうかなあ藤田クン。若い女の子にウケるかなあ」
「そうですねえ……」
 新商品ビートラクティブ。味も香りも申し分ない、とは思う。
 だが、店長は何ともなかったようだが、あやこは変な幻覚を見た。麻薬のようなものを客に飲ませている、などという噂が立ったら、店としては致命的である。
 その時、本当に致命的な事態が起こった。
 店に、車が突っ込んで来たのである。最初は、車に見えた。航空機のようでもあった。
 戦闘機を、オープンカー風に仕上げたような外観の、恐らくは乗り物。そんなものが、壁を破壊して突入して来たのである。
 人が乗っていた。身長は低いが横にガッシリとたくましい、髭もじゃの男。黒い鎧のようなものを身にまとい、ライフルに似た銃器を携えている。
「えっ……あの……」
 そんな声を出すしかないあやこに、髭もじゃの男は銃口を向けた。そして、
「ビートラクティブの香りを識る人間は、消す……」
 言葉と共に、容赦なく引き金を引いた。銃口から、光が迸った。
「藤田クン、危ない!」
 店長が、あやこを突き飛ばした。
 あやこを直撃するはずだった光が、店長の身体を撃ち抜いた。
「店長……!」
 尻餅をついたあやこの眼前で、店長は倒れて動かなくなった。嫌な焦げ臭さを、発しながら。
「ビートラクティブの香りを識る人間は、消す」
 同じ言葉を繰り返しながら、黒い鎧の男が銃口をあやこに向ける。
 自分は、まだ幻覚を見ている。あやこは呆然と、そんな事を思った。
(やっぱり駄目ですよ店長……こんなもの、お客さんに出したら……)
 半壊した店の中に、同じような乗り物がもう1台、突っ込んで来た。
 光が、奔った。
 黒い鎧を着た髭もじゃの男が、その光に貫かれ、床に転げ落ち、動かなくなった。店長と同じく、凄惨な焦げ臭さを発しながらだ。
「遅かった……人死にが、出てしまった」
 新たに突っ込んで来た何者かが、戦闘機だかオープンカーだかよくわからぬ乗り物の上で、沈痛な声を出す。
 美しい女性だった。純白のドレスに身を包み、ライフルに似た武器を構えている。その銃口から、硝煙のようなものが立ちのぼる。
 天使。そんな捻りのない表現しか思い浮かばぬほど美しいその女性が、あやこに向かって言う。
「説明している暇はないわ。今すぐ身辺を整理して、これに乗りなさい」

 身辺を整理しろ、と言われても、整理するほどの物はそれほど多くない。短時間で、鞄1つにまとまってしまう。
 その鞄が、光に撃ち抜かれた。
 オープンカー風の戦闘機……どうやら時空艇というらしい乗り物が、新たに2台3台と現れ、攻撃を仕掛けてきたのだ。髭もじゃで黒い鎧を着た男たちが、あやこを狙って光のライフルをぶっ放す。
「ちっ、残党め……ところで貴女、荷物は水着だけでいいわ」
 天使のような女性が、そんな事を言いながら、同じ光のライフルで応戦し、あやこを守ってくれている。よく見ると、純白のドレスの下に水着を着ているようだ。
「あの、鞄がこんなで……私の荷物、水着も何もかも駄目になっちゃったんですけど」
「そうなの? じゃ私たちの方で用意してあげるしかないわね。まあ、とにかく乗りなさい!」
「ちょっ……何よ……」
 わけがわからずにいるあやこを乗せて、時空艇は急発進した。
 同じ時空艇でも、この天使の如き女性が運転しているものは「クロノサーフ」という名称を持っているらしい。
 そのクロノサーフが、女2人を乗せて、場を高速離脱した。
 ばしゃん、と波が飛び散った。
 周囲の風景が、破壊され尽くしたカフェバーから大海原へと変わっていた。所々で崩れかけのビルが水面に突き出た、灰色の大海原である。
「私たちダウナーレイスは、クロノサーフで時を渡る種族……」
 天使のような女性が、説明をしてくれた。
「ここは西暦二万年の東京よ」
「何それ……」
 説明されたところで、あやこに理解出来るわけはない。
 ただ自分は同じようなものを見た事がある、とあやこは思い出した。
 太古の密林で恐竜に襲われた幻覚。あれは、幻覚ではなかったのではないか。この水没した東京の光景も。
 そして、店長の死も。

 ビートラクティブの生い茂る木が、月面に生えていた。
 リンデンバウム。標高5キロの巨木である。
 その巨大な幹や枝に住居を作り上げ、ダウナーレイスたちは生活をしていた。
 久遠の都とも呼ばれる、ダウナーレイスの生活領域。その中央部に、あやこは招き入れられていた。
「貴女は、ビートラクティブの力で一時的に太古の時代へと飛びました。それは、誰にでも出来る事ではありません……藤田あやこ、貴女はビートラクティブに秘められた『時を超える』力を引き出し得る人間。だからアシッドクランに命を狙われたのです」
 ダウナーレイスの女王が語る。
 アシッドクラン。あの黒い鎧を着た、髭の濃い男たちの事であろう。
「彼らの目的は、宇宙的規模の領土拡張。自分たちの住む領域を、ひたすら空間的に拡げようとしているのです。様々な星に住む種族を、侵略・征服しながら……私たちダウナーレイスは、繁栄の手段としては別の方法を採ってきました。それは時を渡り、過去や未来への移民を行う事。空間的な領域拡張は、どうしても他種族に対する攻撃と侵略を生んでしまうから。だけどアシッドクランは、攻撃と侵略こそが生物としてのあるべき姿だと考えています。空間的な勢力拡大こそが生物としての本分、それを避けて時空へ逃げ込み、過去や未来へ干渉する事は、生物として最大の禁忌。それがアシッドクランという種族の信念。だから彼らは時を渡る者、時を渡る力を持ち得る者を、決して許しはしないのです」
 説明を聞いても、やはりわからない。あやこに理解出来る事は、ただ1つ。
 自分が命を狙われたせいで、店長が死んだ。それだけだ。
「私たちは、アシッドクランの宇宙進出・空間的版図拡張を、阻止しなければなりません……藤田あやこ、貴女の力を貸して下さい。私たちの力を受け入れ、戦う天使となって下さい」
「私……超個人的な理由でしか、戦えませんよ」
 宇宙へ行く夢が、こんな形で叶ってしまった。同時に、やらねばならぬ事も出来た。
「何で店長が死ななきゃいけなかったのか、知りたい……店長の仇、討ちたい……それでいいなら私、貴女たちの言う通りにします」