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<東京怪談ノベル(シングル)>


やわらかな殻
ショッピングモール内の大型書店。
松本太一は文庫棚の前で背表紙を眺めながら歩いている。
よく言えば安定感のある、言ってしまえば少々時代遅れなミステリーを出している出版社の文庫が並ぶこのエリアは他の書籍類に比べて人が少ない。人をかきわけてまで欲しい本場あるわけでもない太一にはむしろ好都合だ。
(ねえ、いつまでいるの)
太一の中の魔女は脳内で不満げな声を上げる。
(私の気が済むまでだよ)
太一はそう答え、一冊の本を棚から取り出す。何度か映画化されている古典ミステリーの新訳版が出たようだ。太一はぱらぱらとページをめくる。
昔の版に比べると印刷がずいぶんきれいになっている。昔のアナログ感を感じる書体はあれで好きだったんだが、と太一は思いながら表紙を眺める。
(そして誰もいなくなった)
魔女が題名を読み上げる。
(さみしいタイトルね)
(どんな話か知ってる?)
(読んだことなくてもわかるわよ。いなくなるんでしょ)
魔女は身も蓋もない一言を返す。太一は聞いてみる。
(誰が?)
(……全員)
その答えに太一は小さく吹き出してしまう。
(何よ。間違ってないでしょ)
魔女はふくれ気味に抗議する。
(そうだね。大体合ってるかな)
太一は頬が緩むのをこらえながら文庫本を手にレジへと向かう。

(どうせなら「そしてみんなが集まった」とかのほうがいいんじゃないかしら。前向きに)
魔女は太一の持っている文庫本の題名にケチをつける。
(ミステリーとしては斬新過ぎると思うけどね)
太一はやんわりと魔女の言葉を否定する。
(太一はいなくなるほうがいいわけ)
魔女はさらに太一に絡む。
(誰もいなくなるのはさみしいかもね、確かに)
(でしょ。太一の中からあたしが居なくなったって想像してみてよ)
そういえば、いなかった頃ってどういう生活だったっけ。もう遠い過去のような気がする。
(そういえばきみは、どうして私を選んだんだい?)
なんとなくで口にした疑問に魔女は思案する気配を見せる。
(誰でもよかった、って言っちゃっていいもの?)
(それを私に聞くのかい?)
(そうなのよねえ)
魔女は思い出すような声になり、続きを紡ぐ。
(あの場所からはたくさんの魂が見えたわ。それこそ数えきれないくらい。その魂の中に入ろうと思ったのは気まぐれ。そして太一に決めたのは)
魔女は言葉を切る。太一は答えを待ちながらレジの列に並ぶ。会計を済ませるには待ちそうだ。
(あなたが柔らかかったから、かな)
(……体はむしろ硬いよ。それとも筋肉質じゃないからってことかい、それは)
魔女の笑う気配。
(心が、よ。やっぱり太一、自覚ないのね。まあそこが気に入ったんだけど)
(前向きだねきみは)
若干の皮肉を込めた台詞を魔女は無邪気に受け止める。
(ありがとう)
魅了魔法を使うまでもなく魔女の笑顔は充分に魅力的なのだろう。
別の人間として魔女の姿を見てみたいと太一は時々思う。
自分の体を使わず魔女自身の力で具現化する気になっていたらこんな今はなかったのだろうが。

やっと太一の番が来た。会計をしながら太一は魔女に呼び掛ける。
(この前の店で食べてみたいものはあるかい)
魔女は意外そうな声を出す。
(いいの?)
(あそこなら食事もできるだろ。それに買った本を読むのにちょうどいい)
(外見が太一じゃチャームを発動できないわ)
(そんなことしなくても普通に注文すればいいだろ。特別なサービスを期待して行くわけじゃない。純粋にもう一度食べたいからだよ)
太一の番が来た。太一はサービスのブックカバーを断り、本を受け取る。
(おかしいかい?)
柔らかな気持ちが太一に流れ込む。
(素敵だと思うわ)
その答えを聞き太一はエスカレーターに向かう。
この前の店員がいたらちょっとした皮肉を心の中で言ってしまうかもしれないな、などと思いながら。

<了>