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<東京怪談ノベル(シングル)>


 啼かずの蝶


 耳にノイズが侵入した。
 雑音混じりに声が聞こえる。
 ヴヴヴ、ガガザザ、と途切れることも。
 継ぎ接ぎの音声を拾ってなんとか頭の中で組み立てる。

「説明は以上だよん」

 耳元へと飄々とした声が聞こえる。
 琴美は顔をしかめながら声に応えた。
 対面している相手ではないので、表情が気取られることはない。

「あらましは分かりましたわ。でもこれは、異常ですわね……」

 破れてちぎれたようなコンクリートの壁を背に、くノ一は背後を覗く。
 辺り一面の瓦礫。
 白、灰色、黒、灰色、白、そして濃く鈍い赤。
 べっとりと至るところに血が塗り落とされ、切り絵のように市街が転がる。
 潰された痕。

「いやぁー、参ったねぇ。目も当てられないよー。まいったまいった」

 本気なのか冗談なのか、軽い口調の男。
 琴美の眉が一層深く刻まれる。
 小型の無線で連絡を取り合っている相手は、常に白衣を着ている青年だった。
 歳は琴美とそう違わないくらいだろうか、それも最近発覚したのだが。
 そしてこの軽い口調も。

「厳重に警備してたんだけどねぇ〜。まさかアレを持ち出されるとは思ってもなかったよ」

 掌をひらひらとして肩をすくめる様子が目に浮かんだ。
 琴美が眉根をひそめる理由は、男の声が不快だからではない。むしろ深く信頼している仲間である。
 あまりにも以前と違いすぎる印象のせいで戸惑わずにはいられなかった。
 白衣に着崩したスーツで、緩い口調の声の主。
 身なりが変わると性格まで変わってしまうのだろうか。
 つい最近までは、無遠慮に生えた髭と白髪の混じった髪が目立つ、一見すると初老の男性のようだったのだから。
 音声が切り替わり、今度は女性の声が聞こえる。
 鈴の音のような、透き通った、だが凛とした声。

「対異能者用決戦生物兵器……と、名前は仰々しいけど、要は特殊能力の効かない合成生物――キメラってとこかしら」
「キメラ……」

 聞いたことはあった。
 組織のどこか地下の研究所で生物実験を行なっているということ。
 だがそれらは魑魅魍魎殲滅のためのものであると耳にしていたのだが、対異能者用ともなると人間を想定して造られているのだろう。
 生物の合成。
 明らかに倫理に反する行為ではあるが、自分の属する組織なのでそれくらいはありえるとも思えた。

「まぁ、大したことないわ。所詮人間が作ったものだもの」

 女性の声――副司令も軽い様子で「なんてことはない」と言った。
 こちらも容易くその様が想像できた。
 白衣の中にビジネススーツをピシっと着こなし、受信機を片手にしているのだろう。
 出立前に見かけた彼女は、スラリと細く伸びた足に20センチほどのハイヒールを履き、ブロンドの髪を大雑把に後ろで束ねていた。
 ビシっと白いブラウスを着こなす彼女だが、今現在の様子はきっと手近な机に腰掛けて足を組み、ミニのスカートから見えない肢体の艶っぽさを演じていることだろう。本人に自覚は無いが妖艶な仕草をすることがよくある。
 和風艶美な琴美とはまた違ったタイプの美女だ。

(この惨劇でなんてことはないハズなど、無いのでしょうけど)

 改めて多数に広がる血の水たまりを見比べる。
 それから副司令は思い出したように言った。

「司令、ポイントの指示を」

 ザッと一瞬のノイズが耳に侵食し、先ほどの男性の声に切り替わった。

「水嶋琴美、エリア1900に向かってくれ」


 琴美は瓦礫の隙間を縫うように疾走していた。
 ぴっちりと全身に張り付く黒のスウェットスーツの上に、袖を切り取った菖蒲模様の着物を羽織る。地は生成り色で柄は菖蒲色。横縞模様の帯が琴美のスタイルをより際立たせた。
 同じ和柄のプリーツのスカートは短く、太ももの半分も隠してはイない。
 漆黒の組み上げロングブーツが膝までを覆い、琴美の疾走に合わせてハタハタとスカートが舞う。
 ハリのある黒髪をべっ甲の立挿しで結い上げ、零れた僅かな髪の毛がうなじにかかる。
 耳元には金にグランジがかった扇型のイヤリングが光る。

「いましたわ」

 巨大な影を目視し、崩れたコンクリの壁に隠れる。
 あれは――――何だ。
 人、のような形を取っているが、人ではない。
 関節は無く、極度に太った人間のようにも見えるが、人ではない。
 首から上が無く、体毛のようなものは一切ない。調理前の毛を全て抜き取った鶏のようにもみえる。
 真ん中の「幹」から上、左に2つ、右に2つ肉が伸びる。
 左右に伸びたそれぞれは上下に分かれ、手足のようにも見えるが、何かをつかむ指のようなものもない。先端は平らである。

「あの手のせいで全てスタンプになっちゃったんだよね。たぶんお腹がすいてるんだと思うよー。握りたいのに握れない。カワイソウだよねぇ」

 口もないのにどうやって食するのかという問いは飲み込み、琴美は質問した。

「あれが対能力者用の生物兵器……ですの?」
「そうだよ、能力の類は一切効かないからねぇ」

 不可解なものを一瞥する。
 あれが生物――なのだろう。元は自然界にごく普通にいる生き物だというが、何と何が合成されているかは分からない。司令曰く、ミンチ状の肉をハンバーグにしたのと同じもの、だそうだ。

「そこで純粋な身体能力に優れた君の出番ってわけさ」

 なるほど合点がいく。
 どのような原理で力を受け付けないのかは分からないが、自分の任務は単純にターゲットを屠ればいいということ。


 瓦礫の中から跳躍する。
 一瞬で琴美の体はビルの3階ほどの位置にまで達した。
 怪物の頭上を見下ろすが、やはり大きい。
 背に差していた、刃渡り40センチのやや小さい刀を抜き、頭らしき部分から地面めがけて切り伏せた。
 切り口から赤黒い液体が噴出する。

 プルルルギギギギ!!

 鳴き声とも思えない悲鳴を上げ、それはゆっくりと振り返る。
 ごぉっと強烈な風が巻き起こり、キメラの柱のような左足が琴美を薙ぎ払う。
 足は勢いよく周辺にあった瓦礫を撒き散らし、勢いを抑えきれずに尻餅をついた。
 地鳴りのような音が響いて、尻餅をついたコンクリの地面は銃弾を受けたガラスのようにひび割れていた。
 地面に寝転がる形になった巨大生物の胸のあたりに、琴美が音もなく現れる。菖蒲の着物にはホコリ一つ付いていない。

「これは、動くだけで周りに迷惑がかかりますわね……」

 もうもうと土煙をあげる周囲を見渡し、呆れたように呟いた。
 巨大生物は体を起こそうともがくが、平らな手では滑って起き上がることが出来ない。
 元々敵意もなかったが、段々と可哀相に思えてくる。
 強制的な他者との融合、何一つ満たされない原理欲求、意志のない行動。
 顔も手も足もないそれを無感動に、ただ早くしてやろうと。
 すっと漆黒のヒールが動いた。
 琴美の姿が消え、1秒後には巨大生物から5m以上離れた場所に降り立っていた。
 小ぶりの忍刀を鞘に収め、カチン、と音がすると同時にキメラの体が細かく四散した。
 一瞬の間に、琴美は高速で全身をみじん切りにしていた。
 体を繋ぎとめていた組織が一瞬で弾け、肉片は爆発したポップコーンのように宙に舞う。
 その様子を振り返りもせず、耳元に手をあてた。

「任務完了。これより帰還しますわ」