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お掃除中には気を付けましょう。
年末の大掃除とはよく言うけれど。
年末でなくとも大掃除の機会はある。
…まぁ、思い立った時が掃除時、とも言える。
今日は、魔法薬屋を営むシリューナ・リュクテイアが、そんな掃除日和だと思った日。
お掃除、となれば勿論、シリューナはティレイラ――ファルス・ティレイラにも手伝いを頼む。同郷の同族――別世界から来た紫色の翼を持つ竜族にして魔法の弟子でもある少女。シリューナを姉のように慕ってもおり、シリューナもシリューナでこのティレイラは可愛い妹のような存在になる。
シリューナがティレイラに店での業務を手伝わせる事――そして同時にティレイラの方からシリューナの店での業務を手伝いたがる事、どちらも必然的に少なくない。いや、結構多い。
魔法の弟子である事実――お手伝い自体がお勉強の一端になる事実に加え、ティレイラ本人の資質である好奇心旺盛さが合致して、だいたいいつもの通りの「お手伝い」が始まる。…姉妹同然である気安さもまた理由の一端か。そして何と言っても「あわよくば」のシリューナの「お楽しみ」の為の企み、も理由に上がると言えば上がる。…まぁ、いつもがいつもそうだと言う訳でも無いのだけれど。
そして今日の場合は、シリューナも下心も何も無く、本当にただお手伝いを頼みたかっただけ…になる。
…少なくとも当初の予定では。
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魔法薬屋、倉庫にしている奥の一室。今日お掃除をするのはそこ。扉を開けて入ってすぐわかる物の多さ。倉庫と言うだけあって物が多い。一応、棚も設えてあり、それなりのディスプレイもしてはあるが――シリューナがメインの趣味部屋としてある部屋よりは…装飾と言う面ではやや隙の多い置き方になっている。
反面、物が多いと言う通り、所蔵と言う意味では隙の無い置き方にはなっているのだが。
で、入って――と言うより扉を開けて早々、ティレイラは、はわ〜、と嘆声を上げている。…興味深い魔法の品々の多さもだが、それより。
「…なんか埃っぽくなっちゃってますね〜…」
お姉さま。
「そうなのよ。…最近こっちにはあまり立ち入りもしてなかったから」
だからティレにもお手伝いを頼んだのだけど。
そうシリューナはティレイラに振る。振られたティレイラは、うん、と元気良く頷いて、ぐっ、と握り拳。
「お掃除のし甲斐がありそうですねっ!」
「そう言ってくれると助かるわ」
じゃあ、私は要らないものを片付けるから、ティレは埃とか…気付いたところから綺麗にして行ってくれる?
「はい! 任せて下さいっ!」
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…いちいち魔法を使って処分するのも面倒なので取り敢えずは一つに纏めてから。
そんな風に考えつつ、シリューナは諸々の――魔力の籠った道具が置いてある棚にまず向かう。…魔力の籠った道具。そうは言ってもその魔力が失われて、元々その道具に備わっていた効果が無くなってしまうものはある。経年劣化、それだけではなく他にも理由はあるかもしれない。ともかく、その辺りの違いを重点的に確かめる――取り扱いには細心の注意を。迂闊に触っては危険なものもまた多いのだから。…魔力の有無は、簡単に見定められるものそうでないものどちらも混在しているし。
取り敢えず、もう使い物にならなくなってしまったものは、処分にするか再び魔力を込めて利用したり出来る余地があるか鑑賞にだけなら耐えうるか等々、幾つかの基準で分類して選り分けておく。うち、再利用可能そうだがひとまず不要と思えた品は知人に譲る事を考え、他に使いようが無いなと思えた品はこのまま処分の方向で考える。
ティレイラもティレイラで拭き掃除に精を出している。フフフ〜ン♪ と鼻歌交じりのその姿はいつもの事ながら可愛らしい。シリューナは魔力の切れた不要品を片付けながらも、棚を拭く為屈んでいるティレイラの背を見てつい思ってしまう。頭は三角巾で纏め、エプロンをびしっと着けた完璧なお掃除スタイルに、水を張ったバケツと雑巾まで確り持参。水に付けた後、確りきつく絞った雑巾で水拭きしてから、乾拭きで仕上げ。…勿論、濡らしてはまずい場所や素材の場合は乾拭きのみ。ひとまずシリューナが要不要を選り分けた後の棚から、埃が溜まってしまっているところを重点的に綺麗に拭き取って行く。
暫くそんなティレイラを見ていて、ふと思い出したようにシリューナは手を止めた。
…お掃除の為に、くるくると元気に動くのはいいけれど。
言っておいた方がいいだろう事は、ある。
「…ティレ」
「はい? どうかしましたかお姉さま??」
「言わなくてもわかってると思うけど。ここにある魔法の品物の扱いには気を付けなさいね?」
「あ、はい。それは勿論! 綺麗な上に魔力が籠ってて、色々な効果のあるすっごい品物ばっかりなんですもんね!」
シリューナの注意に、素直に頷くティレイラの笑顔。
…返って来るのは、いつもと同じ素直な答え。
けれど、それで――言葉通りに確り気を付けて、何事も無く済むかどうかとなると。
ティレイラの場合、少々心許無くはある。
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相変わらず鼻歌混じりで拭き掃除中のティレイラ。扱いには気を付けないといけない品々だらけのこの場所で、言い付けられた通りに細心の注意を払って掃除を続けている。下手に動かさないように。触ってしまわないように、倒してしまわないようにきっちり避けて。興味深いものがあってもいじらない。
お掃除して綺麗になるのが気持ちいい。…だから、今日は我慢してそっちを優先。自分に言い聞かせつつティレイラは床を雑巾がけ。今、シリューナの姿はティレイラの近くには見えない。けれど部屋を出て行った訳でも無い――幾らか離れたところ、色々な調度品でごった返してる向こうに居るんだろうとは想像が付く。時々、がさり、ごとりと不要品とそうでないものを選り分けている音も聞こえてくるし。
お姉さまもさくさくお掃除してるんだから、私もこっちで頑張らないと。…うん、と改めて気合いを入れ直し、ティレイラは床を拭き続けている――と。
その気合いが空回りでもしてしまったか、まさにそのタイミングで何かがぶつかる感触――立て掛けてあったと思しき何かにぶつかった。あっ、と思うが、遅い。衝立では無いが似たような感触の――姿見の鏡のような、背丈以上の大きな何か。…複雑だが綺麗な模様が一面に描かれている石板。ここにある以上多分お姉さまのコレクションの一つ。気付いた時にはティレイラに向かってその石板は倒れて来ており、やばっ、と慌ててその石板を咄嗟に両手で押さえ、支えた。それで傾斜は止まる。
…ほっとした。
石板を両手で押さえて止めたまま、足下を――と言うか石板の下の方を改めて見る。…どうやらさっき自分がぶつかってしまった事で支えがズレたらしいのだとティレイラは気が付いた。なら戻せば大丈夫だろう。
そう思った、のだが。
思った時には――今度は石板の模様が光り始めたのに気が付いた。その光はどうにも妖しく、ヤバい感じがひしひしとする。するが――両手で石板を支えている現状、この石板がお姉さまのコレクションらしいとなれば放り出す訳にもいかないし、早く石板を支えに戻さなければと言う思いも頭の中にある。…戻せばこの光も元に戻るんじゃないかと言う根拠の無い希望的観測もある。
そしてそもそも、手を離して石板を倒してしまったらさすがに凄い音がして今のこの宜しくない状況がお姉さまにバレてしまうだろうとも思い――。
――そんなこんなで、ティレイラは石板から手を離すタイミングを逃した。
そうしたら。
石板を押さえている手の感触が不意に変わってきた。硬い石の感触では無く、何故か手応えが弱くなって来る。押せば押すだけずぶずぶと奥に行ってしまうような。例えるならば底なし沼や蟻地獄。どれだけ力を入れて踏ん張っても踏ん張り切れず、ずぶずぶと深みに嵌ってしまうようなあの感じ。
「え、ちょ、わ…や…!」
そんな感じで、まずティレイラの両手が石板に呑み込まれる――などとのんびり考えている間も殆ど無い。頭の中は大パニック。石板自体が倒れ込む重さに押されるようにして、両手から腕、肩、とティレイラの身体がどんどん呑み込まれていく。何度も押さえ直そうと手を動かすが、そもそも呑み込まれた部分を引き戻す事さえ難しい。ええ、どうしようこれ!? 戻らない、押さえられない。多分、何かの魔法が発動しちゃったんだ、とここに来て漸く気付く。
もう、無理だ。
………………またやっちゃった。
「ッ…お姉さ…」
もがいて助けを求めるも、もう声は外には届かない――頭も、呑み込まれた。
そして、胴も――足も。
全身、丸ごと呑み込まれたところで。
ティレイラと言う石板の支えが完全に失われ。
バターン、と、凄い音がした。
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…で。
その音に驚き、シリューナが音の源に駆け付けた時には。
たった今倒れたと主張するようにもうもうと埃が舞い上がっている中、姿見の如き大きな石板が床に倒れていた。その時点では、ティレイラの姿が近くに見えない事もあり、支えが弱ってたのかしらね――とばかりに深く考えず、シリューナは石板を起こして元通りに起こそうとする。
と。
…予想もしなかった素晴らしいものがそこにはあった。
石板の表にあった綺麗な模様。その代わりのようにして、あろう事かティレイラがそこに居た。
両手で何かを支えるような体勢で、本日のお掃除スタイルなエプロン姿のまま――助けてとばかりに涙目になっている。
…そんな姿が、石板の模様の代わりに彫刻レリーフになって浮かび上がっており。
シリューナは、ここでいったい何が起きたのかの察しが付いた。
要するに。
ティレイラの不注意でこの石板が倒れかけ。
それを咄嗟に支えたところで、封印の魔法が発動、この結果になった、と言う事だろう。
今日は特に『お楽しみ』を企んでいた訳では無いけれど。
それでも、ティレイラの可愛らしい姿を目の当たりにしてしまうと、シリューナとしては誘惑には勝てなくなる。…いや、そもそも勝とうなどとは思えなくなるのだが。
もう殆ど条件反射的に、うっとりと眺め、彫刻部分に手を滑らせて思わず鑑賞。
何と言うか、これもまた役得、とでも言うところかもしれない。
ほら。注意を守り切れなかった事に対するちょっとした罰には――このくらいの事は、ちょうどいいだろうから。
【了】
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