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<東京怪談ノベル(シングル)>


- 久遠 / 忘れえぬ人 -

「――進路、考え直して」
 ポツリ背中へと呟いた言葉に、彼はゆっくり振り返った。そして「何を言ってるんだ?」とでも言いたそうな顔で彼女を見ては、静かに微笑み前を向く。
 一瞬言葉が正確に届かなかったことも疑ったものの、彼の行動に彼女は無言のまま強く拳を握り締めた。

 二人が今見学するは、種子島ロケット基地。ここには宇宙進出を企てるドワーフと、彼らから宇宙工学を教わる人間が存在し、日々研究や実験を積み重ねている。教わる、と言っても人間は単に上手く利用され、操られるように教え込まれているだけなのかもしれない。ドワーフ達は自らの企みを実現させるため、そうして知識を与えているに過ぎなかった。それら全ては彼らの情熱の赴くまま、な行動でもある。
 そんな地に住むドワーフとは対称、遙か宇宙――居住可能となった月。その晴れの海に久遠の都と呼ばれる場所が存在し、そこには天使が居た。女の天使だけが住む都。彼女達は標高五千メートルの巨木、その枝に連なる家々で穏やかなる生活を営んでいた。
 なぜそのような存在が出てくるかといえば、彼女達にとって先に挙げたドワーフの男達は環境破壊者であり、その非難が妨害工作として日常的に形づいていることにある。
 最初こそ、天使達はタイムマシンを使い過去や未来への移民を勧めてきた。しかしその言葉に耳を傾けられることはなく、天使達はタイムマシンを利用し宇宙開発の歴史そのものを妨害する手段に出る。それに対しドワーフ達はどれだけ歴史が改ざんされ妨害されようとも、根気強く何度でも、一から人間に知識を与え続けた。完全ないたちごっこの始まりだ。
 結果彼らにしてみれば、天使達は男の浪漫の解らぬ存在であり、殺しの対象でもあった。
 そしてそんなせめぎ合いは二十世紀から二十一世紀の今尚続き、複雑な争いの渦中に今彼女――藤田あやこは存在する。


 懐かしのセーラー服を身に纏ったあやこが目の前にしているのは、高校時代の恋人だった。
 正史であった彼との思い出を、これから黒歴史へと変えなければならない。否、彼との思い出がこれから黒歴史へと変わってしまうと言うべきか。今回の任務は、目の前で基地を見学する彼の抹殺だった。
 任務というからには当然雇い主が存在し、その雇い主こそが天使である。
 そもそもの話が使用されているタイムマシン、その燃料が特別な紅茶であり、天使はそれを嗅ぎわける素質を持つヒトを工作員へと抜擢していた。あやこは今、その工作員として動いている。
「進路、考え直してもらえない?」
 今一度、数分前と同じ言葉を口にする。今度ははっきりとした口調でだ。
 彼は見学の足を止めると再びあやこと向き合い、今度は少し不機嫌そうな表情を見せた。
「駄目だ…君にはエプロンが似合う」
 その台詞に一瞬言葉が詰まる。
「……そう…」
 辛うじて返せた言葉を聞くと、彼は満足げに頷き見学を再開した。
 進路の変更を否定されたのか、自分が今秘密裏にしていることを否定されたのか。はたまた別の意図があったのか、ブツブツと何か――恐らくは男の浪漫を語り続ける彼から、あやこが真意を読み取ることは最早不可能だった。
 一体いつからこうなってしまったのか考える。度重なる歴史の改ざんにより、こうなってしまったには違いない。
 あやこが今日この見学に同行した目的は抹殺よりも先ず、高校卒業後に彼がこの基地へと進むことを止めるよう説得をすることにあった。結局見学終了間際になっても、彼の気持ちを動かすことは出来ないまま今に至る。
 ここまでの基地見学は当然一般向けの内容で、ドワーフの姿があるわけもないし、研究内容も表向きはごく一般的な研究や開発といったものを説明されてきた。彼はここに就職した後、誰とどんな仕事を行っていくのか、果たして正しく把握しているのだろうか。
「お願い、ここより相応しい場所があなたにはある筈なの!」
 施設の案内人に見送られ建物の出口を出たところ、ついにあやこは彼の腕を掴むと、なりふり構わず声を荒げた。その気持ち自体は本心なものの、大袈裟すぎるほどの演技が混ざっている。
 予想外の力で掴まれ動きを静止させられたことは勿論、今までにないあやこの懇願に、振り返った彼が息を呑んだのが分かった。
「今ならまだ、間に合うの。浪漫を追求するにも様々な形があるはずでしょ。ここでなくても出来ることはあるし、誰かの手を借りるでもなく、自ら行動を起こすことも――」
「あやこ……さっきから何を言っているんだ?」
 彼女の言葉を遮り彼は言う。
「これから進むに相応しい場所がここ以外にあるわけがない。ここは浪漫で溢れている、ここに集まる人々も目指すべき場所もそう、全てが理想。こんな環境の中で働けるのは素晴らしいことなんだ。残念ながらそれが女性である君には理解出来ないだけの話で――」
 もう何度目かも記憶にない、酸いた台詞に目を伏せた。やはりここまで盲目的になってしまった人を動かすのは、もう難しいのかもしれない。
「この力で近く宇宙へ行っても、君のことは虚空からずっと見守っている」
 可能性ではなく、そうなることを前提とした彼の言葉に、あやこは膝から崩れ落ちた。
「――……お、いっ!?」
 わずかながらに動揺の色を見せる彼を前、服の裾を掴むとあやこは縋るように彼を見上げる。
「っ…おね、がい……もう、そんな…そうやって私を、置いていかないで! 私を想ってくれるなら、独りに…しないでっ」
 薄っすらと目元に浮かべた涙に嗚咽を堪える声。真っ直ぐと見つめれば、彼はあやこをしっかりと見つめ返した後ゆっくり目を閉じた。
「…泣くのは、止めてくれ。君に泣かれるのは正直、困るんだ……」
 そう言うと、しっかりと服を掴むあやこの手に自分の手を重ね。
「けれどいくら恋人でも、例え家族でも男の浪漫を邪魔する権利なんてない」
「……ぇ?」
 そのままゆっくりあやこの手を自分から引き離した。
「むしろ、あやここそ本当に好きならばこれからやろうとしていることを応援してくれるべきなんだ、違うか?」
 優しい声色で、彼は諭すよう冷酷な言葉を紡ぐ。けれどその間も彼の手があやこの手を離すことはなかった。それが尚更辛い。
 一瞬言葉に詰まるものの、あやこは表情を変えないまま心の中ではごく冷静に悪態を吐いていた。
「……(泣き落としも…駄目、か)」
「さぁ、見学も全て終わったことだし早く帰ろう。今日は付き合ってくれてありがとう、楽しかった。ほら、立って」
 そう言って彼はあやこを軽々と引き上げその手を離す。その動作に、あやこは再び拳を握った。しかしその意味合いは少し前の動作や感情とは違い、離れてしまった温もりを少しでもその場に留める様。もう二度と触れることもないのかもしれないその感触を少しでも長く覚えていられるよう、無意識の内にとった行動だった。
 そうして先を行こうとする彼の背に、あやこは腕で素早く涙を拭うと最も告げたくなかった言葉を紡ぐ。
「ねぇ、最後にあそこでお茶しましょう。それくらいの時間はまだ残っているでしょ?」
 あやこが指した先、その少し離れた場所には一棟のビルが建つ。
 本当に彼は優しいと思う。こうしたあやこの言葉に一々足を止めては、少し困ったように微笑むのだから。
 今回ばかりはその優しさを利用するしかない。
「この基地全体を見下ろせる、絶好のお店だって」
 期待の様子であやこが微笑むと、彼はゆっくり頷いた。
 こうして、今回の任務は最終段階を迎えてしまう。


 与えられたのは彼の抹殺。しかしそれ以前に説得を試みたよう、まだ彼を殺すことなく事を収めようとする手段をあやこは残していた。
 窓際の、外の景色を一望できる席を選ぶと揃って腰を下ろす。すると彼は多少の疲れが出たのか、少し気の抜けた表情を見せていた。なんだかんだ休みを入れることなく、熱心に見学を続けていたのだから当然だろう。
 注文後程なくして飲み物は運ばれ、紅茶と珈琲の香りが混ざって鼻につく。
「――お待たせ致しました」
 言葉と共にカップをテーブルに置き始めたそのタイミングで、あやこは少し疲れの色を見せていた彼の気を外へと向けた。
「ほら、窓の外…やっぱりとっても綺麗!」
「ん…? あぁ、本当だ。眺めも良いし、今日は晴れているから一段と――それによく見ればこの基地、今日の見学だけではまだ目にしていない部分も多くある……これは」
 計算どおり、彼は窓からの眺めに気を取られる。店員はすっかりテーブルから去り、近くを歩くような人物も見受けられなければ気配もない。勿論、近くのテーブルに客も居なかった。
 あやこは素早く制服のポケットから小瓶を取り出すと、中に入っていた無色無臭の液体を彼のカップへ落とし素早く瓶をしまう。液体の正体は人の知能を下げる薬だ。これで彼の知能が下がれば、もう研究者や技術者としてここへと立ち入ることは叶わなくなるだろう。代償はきっと大きい、けれど命は残る。しかし、その先を考えることは出来なかった。
 単にあやこが直接手を下さないだけで、もしかしたら同じような結末を辿るのかもしれない。それは彼自身が絶望し、自ら命を立つ可能性。けれど、辿らないのかもしれない。今はただ、恐らく聡明である彼を信じるしかなかった。
「……ね、冷めないうちに飲みましょう?」
 決断の台詞。
「ぁ、ああ…そうだな」
 彼は躊躇うことなくカップに手を伸ばす。そしてゆっくりと香りを嗅ぎ、満足げに口をつけようとしたところ、あやこは彼に向け自分のカップを差し出してみせた。
「乾杯」
「乾杯って、何に?」
 少し笑って見せた彼に、当然本音を言えるわけもない。ただ、それを口にすれば彼は助かる、そう信じ。
 差し出したカップに自らのものを優しく近づけてくれた彼に言う。
「あなたの輝かしい未来に――」
 言葉と共、微笑んだ彼の笑顔とカップが合わさり小さな音を立てる。同時、まるで地鳴りのような感覚を覚え、それはやがて大勢の足音へと変わった。
「…なっ……!?」
 彼は驚きカップを落とし、音の方を振り返る。あやこはそれに内心舌打ちをしつつ、即刻椅子から立ち上がった。顔を上げた先、店の入り口に複数のドワーフを確認したからだ。
「先生、こちらへ!」
 ドワーフの一人が彼を見つけるや否やそう言い手を招く。
「っ…一体急になんだって、ここは危ないのかもしれない。あやこ、君も一旦共に――」
 まだ今の状況をよく理解できていない彼は椅子から立ち上がり、ドワーフのもとに行こうとしながらもまだあやこを気にかけていた。
 入り口に向かう素振りを見せながらも手を伸ばす。逆にその手を取り、窓を破ってでも逃げ出すことが出来たらどんなに良かっただろう。
 当然そんな考えは一瞬で、あまりにも現実味もなく、即座に頭を振った。
「くっ……向こう側へは、行かせられない!」
 そんなことが叶えば、どんなに良かったことだろう。そんなあやこの思いとは裏腹に、残酷な現実は彼の表情を今まで見たことがないほどに歪ませた。
「あ、や――っ、お…前ッ!」
 決意と共、制服の背を裂き水着姿となった天使あやこに、彼はすぐさま状況を把握したらしい。叫び駆けつけるドワーフ達からは一度完全に意識を逸らす。
「…天使……そうか…彼らが迎え、いや――助けに来るわけだ」
 そして入り口に背を向けるとあやこと向き合った。その顔は俯き気味で、表情が伺えない。更に、次には彼自身の右手で覆い隠された。
「っはは……はははは、そうか、そうだったのか、天使か、お前が…な」
「……っ…」
 彼は何度も喉を鳴らしては笑い、身体をくの字に曲げたかと思うと床に向かい、嘲笑うよう吐き出す。
「心地よかったあの甘い囁きも、映画のデートも……っはは、何もかも全て詐欺だったのか」
「…ちっ、……違う、それは違うの!」
 高校時代の、当時の彼との思い出が鮮やかに蘇る。心から好きだった。こうなってしまった今でさえ、その感情は確かに残っているほど。
「話を聞い――――」
 しかし唐突に彼の笑い声が止み、表情を隠していた手が離れると、あやこはその情景に思わず口を閉ざした。
「道理で、さっきからずっと俺の話が解らない筈だ。否定的なわけだな」
 そしてもう、何を言っても彼には伝わらない。そんな予感にも苛まれていた。
「理解できるわけがない」
「おね、が…いっ……話をっ!!」
 堪えていた感情が一気に溢れ出しそうになる。それと同時、入り口で様子を伺っていた残りのドワーフ達が一斉に駆け寄って来た。従業員や店内に居た客は、これから何が起こるかを察知し全員避難を終えている。
 もう悩んでいる暇などなく、あやこは素早く弓矢を手に取った。
「浪漫が解らない天使風情じゃぁ、なっ」
 彼がドワーフから『先生』と呼ばれた時点で答えは出ていた、もう救い出せない領域へと踏み込んでいると。
 背を向けた彼に素早く狙いを定めると矢を放つ。しかし至近距離に関わらず狙いは外れ、続く攻撃は駆けつけたドワーフの斧に弾かれた。
「ァ…アアァッ……!」
 涙で滲む視界ではしっかりと標的を捉えることは出来ず、気配を読み取り射ろうとすれば矢はギリギリの距離で彼からは外れてしまう。
 思い出の彼と今の彼。理想と現実。使命感と本心との葛藤。耐え切れなくなった心が悲鳴を上げ、あやこの口から次々と飛び出していく。
 考えることを止めるよう強く頭を揺さぶると、飛び散る涙を拭うことなくあやこは次々と矢に手をかけた。
 しかし既にドワーフが彼を守るよう完全に取り囲み、斧やハンマー、大きな盾で全ての攻撃を弾きながら撤退の姿勢へと移行している。
「行っちゃ…ダメ……ッ」
 どれ程の言葉を矢に乗せ放っても何一つ届かず、結局彼を無傷のまま出口へと到達させてしまった。
 未だあやこは弓をしならせ、距離を測りながら攻撃の手を止めることはない。いつしか攻撃は、的確に周りのドワーフを退け始めてもいた。わずかでも希望が残っているのなら、まだ諦めたくない。
 けれど次の瞬間、彼はゆっくり足を止めると無表情であやこを見た。
「――――この…ビッチがっ……」
 武器を持たぬ彼から静かに吐き捨てられた台詞が、まるでトンッと音を立てるよう素早くそして静かに、いとも簡単にあやこの胸を射る。
 しっかり手にしていた筈の弓矢は簡単に離れ、強く大きく開かれていた羽は力なく閉じると、あやこは地に落ちそのまま膝を突く。
 彼はそんな様子を黙って見ると、無言で背を向け姿を消した。複数の足音が遠ざかっていく。
 やがて静寂が訪れた店で、あやこは静かに床へと倒れた。
 すっかり嗄れ、そして枯れ果てたあやこの気持ちを代弁するよう、外では強く激しい雨が降り始める。



 その後のことは良く覚えていない。どうやって自室まで戻ってきたのか、それからまたどれ程泣いていたのかも。
 いつ意識を手放したのかも分からないけれど、泣き疲れ眠ってしまった時間は恐らく短い。全く抜けていない身体の疲れがそう知らせていた。
 薄暗い部屋では今が何時かも分からず、ゆっくり顔を上げればドアが開いていることに気付く。
「目を覚ましたか」
 その声と存在に、ようやくドアが開く音で目を覚ましたのだと思い出した。
 枕元には天使が立ち、素早く起き上がろうとベッドに腕を突く。自分は任務を失敗した、真っ先に思い出すべきはそれだったというのに、あやこの動作には思いもよらず「そのままで良い」と制止の声が掛かった。
「今回の件に関して君に咎はない。よって罰も下されない。君は奴らを効率よく一箇所へと誘き出し惹き付け、良くやった」
 淡々としたその口調。失敗したはずの任務だというのに、これから言われる言葉を、多分別の意味で恐れている自分にあやこは気付く。
「あの場に居た者は全員抹殺した。しばし君は休みたまえ」
「――――。」
 あやこの言葉を聞かぬまま――もとより、今の様子を見れば待つ必要などなかったのだろう。静かにドアは閉まり、闇と静寂が訪れる。
 それは本当に部屋の暗さなのか。目を閉じているだけなのか、現実を見ぬよう心を閉ざしてしまったのか。
 ただ、その闇の向こうに彼が見えた。穏やかに微笑み、そっとあやこに背を向ける。それが、彼を見た最後の瞬間。
「……    」
 彼の名を囁き、今度こそ深い眠りの闇へと堕ちていく。
 最後に聞いた雨音が、今も耳から離れない。